11.軍の教育を見直そう
明治39年(1906年)5月 東京
「それじゃあ、軍制改革の成功に」
「「「かんぱ~い!」」」
なんとか軍制改革を成功させた俺たちは、久しぶりに5人で集まっていた。
改革の成功をみんなで、祝おうという話になったのだ。
まずは酒を飲み干すと、佐島がオヤジ臭い声を出す。
「か~~~っ、ほんま今回は、大変やったな。改革いうんは、しんどいもんや」
「だよね~。前世では軍人にお任せだったから、よく分かってなかったけど」
「しっかし、あそこまで丸投げするのも、どうかと思うぞ」
「「「だよな~」」」
皆が口々に愚痴をこぼしているが、これは陸軍側の中島、佐島、川島も、俺と同じ目にあったからだ。
しょせん、偉い人の考えることは似たり寄ったり。
昨年末に陸軍士官学校を卒業したばかりの3人を、すぐに陸軍省の軍務局に放りこみ、改革を主導させたわけだ。
当然、彼らも恨みや妬みを買って、膨大な仕事を押しつけられた。
つい最近までは、俺や後島と同じように、深夜帰りの毎日だったそうだ。
しかし俺たちは1人も欠けることなく、それを乗り切ったのだ。
「けど成功したいうても、まだ表面的なもんやからなぁ」
「そうだな。陸海軍の真の融合は、まだまだこれからだ」
「だよね。次は教育機関の整理統合だ」
「まあ、どうせしばらくは落ち着かないから、追々でいいさ」
「前世でもそうだったからな~」
陸海軍が兵部省の下に統合されたとはいえ、それは表面的なものだ。
むしろ強引な統合に、将兵の不満が高まっていると言ってもいい。
その辺は俺たちだけでなく、協力者の方々も分かっていて、次なる改革を覚悟していた。
そしてその目玉が、教育機関の整理統合になるのだ。
現状、陸海軍ともに幼年学校、士官学校、大学、そして機関、経理、砲兵、軍医などの各種学校がある。
これらをなるべく陸海で共通化して、質の向上と効率化を図るのが、次の大仕事だ。
もちろん、”陸軍と海軍ではやることが違うんだから、統合なんてできない!”という反論は、絶対に出る。
下手をすると刃傷沙汰になりかねないぐらいの、反発を招くだろう。
しかし教育機関の整理統合は、なにも効率化だけが狙いではないのだ。
最大の狙いは、陸海軍の間で交流を増やし、互いの事情や環境を理解しあうことだ。
なにしろ史実の太平洋戦争では、陸海軍の連携がとにかく悪かった。
陸軍は大陸側には手を出すなと言う一方で、海軍は海側には手を出すなと言っていがみ合う。
おかげで島嶼防衛のやり方は非効率極まりなかったし、ニューギニアに引っ張り出された数十万の陸軍兵士が、無為に命を散らすなんてことも、起きてしまった。
それもこれも、ほとんどはくだらない勢力争いのせいであり、互いの状況に無知であった部分が大きい。
もちろん、どんなに文明が発達しても勢力争いは無くならないのだが、それを少しでも緩和するのが、教育機関の改革なのだ。
そのための方策は前世でもやったように、こんなことを考えている。
・幼年学校、士官学校、軍大学、軍医学校は、陸海で分けずに統合する
・幼年学校の教育内容は、全国で共通とする
・士官学校、軍大学は基礎学科を共通で受講しつつ、それぞれの専門を選択受講する
・士官学校には兵站、経理、各種技術などの専門学科を統合し、極力陸海での共通化を図る
完全な共通化は無理でも、同じ釜の飯を食ってすごせば、多少は親近感も湧こうというものだ。
それぞれの軍に分かれても、その後の付き合いは残るだろうから、情報の共有もしやすくなるかもしれない。
そのためにも教育機関の整理統合は、避けて通れないのだ。
「でもこれに手を付けたら、ますます身辺がやばくなるね」
「ああ、なんであんなに怒るかな?」
「自分たちは特別だとでも、思ってるんだろう。なんにしろ、早めに警護要員はつけてもらいたいもんだな」
「たかが少尉に、付けてくれるかな」
「そりゃあ、なんとかしてもらわんと、敵わんでぇ」
前世でも教育改革に携わった人間は、たびたび襲われていたらしい。
そこで日本版SPみたいな組織が、早々に作られていたぐらいだ。
この世界でも、早期の対応をお願いしたいところである。
「しかしこうやってみると、前世とはだいぶ違うな。前はもっと、余裕があったような気がするんだが」
「そりゃあ、軍のことはほとんどお任せだったからだろう。まさかそれを、自分でやることになるとは……」
「まったくや」
前世では軍属だったが、最初はけっこうこっそり活動していた。
そのためいろいろな所を視察したり、民間企業にテコ入れする余裕があったのだ。
しかしこの世界では、目の前の仕事が忙しすぎて、とてもそんな暇はない。
「この分だと、民間企業へのテコ入れは難しそうだよね」
「ああ、当面は国主導でインフラ投資がメインだな。そして兵部省主導で研究所を作って、そこから民間に技術移転するような形にでも、するしかない」
「そんなんで大丈夫かな? 敵はチート国家のアメリカだぜ」
「まあ、本番はまだ30年以上先や。なんとかなるやろ」
「だな。俺も載舟商会からの投資は、積極的にやるつもりだ」
「おお、そういえば、そっちは順調か?」
「まだ始まったばかりだって」
実は川島は、激務の合間をぬって、新たな商会を立ち上げていた。
それは看板となる閑院宮載仁殿下から1字をもらって、”載舟商会”と名付けられた。
載舟とは、”載舟覆舟”という中国の言葉が由来で、君主は人民を愛し、政治を安んじさせるべきという意味である。
皇室が国民のことを忘れていないという意味をこめて、付けられた名前だ。
今後、皇室予算の一部を使って、有望な企業に投資し、その利益を慈善事業に投じていく予定である。
もちろんそれだけでなく、日本の国力を上げて、世界の情報を集めるのも大きな目的だ。
「それにしても、今後もしばらくはデスクワーク中心かぁ」
「だな。教育改革が終わるまでは、お偉いさんが放してくれないからな」
「まったくやで。一応、少佐までは最短で昇格させてくれるっちゅうのが、救いではあるな」
「そうでもないと、やってられねえよな」
「ほんとだよ」
今回の改革専従に当たり、山本さんや山縣さんは、俺たちの階級を最短で引き上げてくれると言った。
それが本当なら、6年ほど先には少佐になっているだろう。
その先には第1次世界大戦があるので、多少は武功も積んで、発言力を増したいところである。
いずれにしろ、しばらくは忙しなくも、危険な生活が続きそうなのが、悩みどころだ。