8.山本大将との会談
明治38年(1905年)12月 東京
東郷さんたちとの会談から数日後、俺はとある料亭に呼ばれた。
「初めまして、山本閣下。大島少尉であります」
「ほう、君が東郷さんの言っていた人物か。まあ、座りたまえ」
「はっ、失礼します」
東郷さんに連れられていった座敷には、すでに山本大将が待っていた。
彼は鷹揚に俺のあいさつを受け入れ、着席を勧めてくれる。
俺と東郷さんは、彼の向かいに座り、改めて彼と向かい合った。
山本大将は今年、53歳のはずで、いかにも聡明そうで、働き盛りな感じの御仁である。
実は東郷さんより4つほど若いのだが、そうは見えないような落ち着きがあった。
さすが、海軍の軍政を担ってきた重鎮といったところか。
「まあ、まずは一杯、やりましょう」
「は、お注ぎします」
「うむ、頼もうか」
すかさず2人の盃に酒を注ぐと、俺も自分の盃を満たす。
軽く乾杯をして酒を飲み干すと、今度は料理に手を付けた。
そうしてしばし、なんでもない話を交わしていると、ふいに山本大将が切りこんでくる。
「今日は東郷さんから重要な話があると聞き、楽しみにしていたのです。しかし新品の少尉を連れてきたのには、少々おどろかされましたな」
「まあ、そうでしょうな。しかし彼は前の海戦で同じ三笠に乗っていましてな。たまたま話をしたら、不思議なことがあったのですよ」
「ほう、不思議なこととは?」
山本大将に興味深そうに問われ、東郷さんが答える。
「最初、彼から、”未来の夢”に心当たりがないかと、訊ねられました。普通なら叱り飛ばすところですが、その瞬間、頭の中にいろんな光景が浮かんできたのです」
「ほほう……その光景とは、どのようなものですかな?」
「とんでもない戦争の光景です。欧州の主要国が、国力を総動員して殴り合う、それはそれは凄惨なものでした」
「それはまた、なんとも……」
さすがに予想外だったのか、山本大将が言葉を失う。
彼はしばし考えを巡らすそぶりを見せてから、また口を開いた。
「ひょっとして、そんな大戦争が将来、起こると言われるのか?」
「ええ、そのとおりです。今から9年ほど先に、欧州大戦が勃発します」
「……とても信じられませんな。最近の欧州では小競り合いはあっても、そんなきな臭い状況ではないはずだ。それに一体なぜ、東郷さんにそんな予知能力が備わったのですか?」
「そう考えるのは当然でしょうな。しかしそのきっかけが、この大島なのです」
そう言って東郷さんが俺を見たので、後を引き継いだ。
「実は私には断片的ですが、これから数十年さきの記憶があるのです。その記憶によれば、9年後には欧州大戦が発生し、そして36年先には、日本がアメリカと戦争をします。そして日本は完膚なきまでに打ちのめされ、多くの人命を失うのです」
「プッ……馬鹿馬鹿しい。まるで子供の夢物語だな。そのような戯言を聞かせるために、私を呼んだのですか?」
山本大将が俺と東郷さんに、怒りの目を向ける。
しかし俺はなおも食い下がった。
「お待ち下さい。閣下が信じられないのも、当然でしょう。しかし我々は、大真面目で話をしているのです。その証拠として、来年に起こる地震のことを、お教えしましょう」
「地震だと? どこでいつ、それが起こると言うのだ」
「まず来年の2月1日に、南米のエクアドル沖で大地震が起きます。その被害は凄まじく、津波で千人以上が死亡します。ちなみにその津波は、和歌山の串本でも観測されるそうです」
「2月1日にエクアドル沖だと?……やけに詳しいな」
「はい、さらに3月17日には台湾で、4月19日にはアメリカのサンフランシスコでも、大地震が起きます。どれも大勢の死者が出る、大災害ですね」
そう言うと、さすがに山本大将も考える目をした。
そして俺のことを見極めるように、探りを入れてくる。
「ふうむ……仮にそれが実現したとすれば、君たちには未来を予知する力があるわけだ。そして数十年後には日本が、アメリカに負けると言う。しかしそんなことを伝えて、私に何を望むつもりだ?」
「基本的にはアメリカと戦争にならないような、国作りをすること。さらにはもしも戦争になっても、容易には負けない軍隊を作ること。それに協力していただきたいと思います」
「ほおう……」
山本大将は呆れたような顔をしつつも、否定はしない。
そして東郷さんに目を向けて訊ねた。
「最近、東郷さんが主力艦の建造を止めようとしていたのは、彼のせいですな?」
「ええ、実は1年ほど先に、イギリスが画期的な戦艦を発表するのです。その後は従来の戦艦が一気に陳腐化するので、それを無くしたいと思いましてね」
「それが単一口径巨砲の搭載と、蒸気タービンによる高速化ですか。言われてみれば、たしかに強力そうな仕様だ。しかしそれであれば、同じような戦艦を造ればいい話だ。なぜ全てを中止しようとするのです?」
「今回の戦争で、ロシアの脅威は大きく減退したからです。今は戦艦を増やすよりも、国力を増強するのが、長期的には日本のためになります」
そう言われ、山本大将は首をかしげる。
「つまり戦艦よりも、国内の投資に金を使えと。しかしそんなことは我ら軍人には、実現できんでしょう……まさか、他にも協力者がいるのですか?」
「そのとおりです。今はまだ、誰とは言えませんが、強力な後ろ盾があります」
「ふうむ……私を信用できませんか。まあ、それも当然ですな」
ここで彼は、また俺に目を向けた。
「地震にしろ戦艦にしろ、君らの言うことが正しいかどうか、今は判断がつかん。しかしその時になれば分かることで、軽率に嘘をつくとも思えない。そこでとりあえずは、君の言うことを信じるとしよう。そのうえで君らは、何をしようと考えている?」
「……はい、まずは陸海軍を統合し、兵部省を復活させたいと考えます」
すると山本大将が、怒気を露わにした。
「馬鹿なっ! それでは海軍の独自性が、損なわれるではないか! 仮にも海軍に籍をおく者として、なんということを考えているっ!」
「そうでしょうか? 軍とは本来、国と民を守るものです。それが陸海でいがみ合って、勝手に戦争を起こしていては、本末転倒でしょう。数十年後の対米戦は、政府の管理下にない軍の暴走によって、引き起こされる部分が大きいのですよ」
「貴様っ! 我らを愚弄するか?!」
激昂する山本大将を、東郷さんがなだめに掛かる。
「山本さん、落ち着いてください。現実に我が国の軍隊は、大きな欠陥を抱えているんです」
「東郷さんまでそんなことを! 一体、あなたはどうしてしまったんだ?」
「まあまあ、ここは一杯」
そう言って東郷さんが酒を勧めると、山本大将も少し落ち着く。
彼は盃を飲み干して少し間をおき、再び説明を求めた。
「それで、我が国の欠陥とは、なんのことですかな?」
「それは大島に説明させましょう。大島、頼む」
「はい。まずは陸海の統帥権が並列対等とされており、それが政府の管理を受けていないことです」
「それの何がまずいと言うのだ? 海に囲まれた我が国では、海軍こそが主流になるべきなのだ。それが陸軍の下に置かれていたのを、ようやく対等にしたのだぞ!」
「閣下のおっしゃることも、分からないではありません。しかし今後は科学技術がますます発展し、さらに国家同志が、その総合力をもって戦うようになります。そんな中で陸海が別々に動き、さらに政府の管理を受けていないのでは、勝てるものも勝てなくなるのです」
それを聞いた山本大将が、不満そうに鼻を鳴らす。
おそらく国家が総力戦体制で殴り合うさまが、想像できないのだろう。
なにしろ日露戦争までは、兵器や弾薬が尽きれば、そこで戦争をやめるしかなかったのだ。
それが後方で兵器や物資を生産し、延々と戦争を続けるようになる状況など、信じられないのも仕方ない。
それでも聡明な山本大将は、ある程度折り合いをつけたのだろう。
彼なりに反論を試みる。
「仮にそうなるとしよう。しかし海軍の事情も知らない陸軍が、頭ごなしに指示を出すのでは、我々は戦えない。同様に戦争を理解しない政府に掣肘を受けるのも、大いに危険だ」
「ならば大本営に統合幕僚本部を設置し、陸海を統合的に運用する体制を構築するべきです。それに政治や外交を考慮しない軍事作戦は、時にとんでもない失敗につながります。そんなことのないよう、統帥権は首相ないし内閣の輔弼によって行使されると、憲法に明記する必要があるのです」
「むう……しかしそれは理想論であって、現実には陸軍や政治の影響を、強く受けてしまうぞ」
驚いたことに山本大将は、俺の言い分を認めていた。
ただし現実には陸軍や内閣との力関係で、海軍の独立性が奪われてしまうことを、危惧しているのだろう。
「閣下、何事もやってみなければ始まりません。現状を見過ごしてしまえば、陸軍が大陸で暴走し、海軍が無謀な作戦を実行したことにより、日本は300万人以上の犠牲を出すことになるのです」
「なんだと……」
絶句する山本大将に、俺はここぞとばかりに、切り札を切る。
「閣下、本件には元老の松方閣下と山縣閣下、そして伏見宮博恭殿下も、賛同してくださっています。もしも閣下の協力がいただければ、軍を改革できる可能性は高いでしょう」
「なんと! 元老に宮様までいるのか……それならば、かなりの事まで出来そうだな」
山本大将は驚くと共に、深く考える顔になった。
やがて顔を上げ、また口を開く。
「統合幕僚本部の設置と、首相による輔弼は分かるが、兵部省にまとめる必要はあるのか?」
「貧乏な日本がアメリカと渡り合うには、極力ムダを省く必要があります。現状のままだと兵器の開発や補給体制などに、重複する部分が多々あって、とても非効率なのです。さらに教育体制も共通部分を増やすことで、陸海が互いを理解するという利点が生まれます」
「ふむ、言いたいことは分かるが、そこまでやる必要があるのか?」
「仮想敵国であるアメリカの国民総生産は、現状で日本の15倍以上あるのですよ。やれることはなんでもやるべきです」
「ふむ、そうか……」
山本大将はまたしばし考えこんでから、ニヤリと笑った。
「なかなか面白い若者ですな、東郷さん。いろいろな事情に通じているうえに、従来にない考え方をする」
「ええ、大島いわく、神のような存在に、未来を変えろと言われたそうです」
「神のような存在、か……そのようなことを言われれば、私も協力しないわけにはいきませんな。無論、本格的に動くのは、2月の地震を確認してからですが」
「おおっ、協力してもらえますか。それはありがたい」
「ありがとうございます」
思ったよりも簡単に山本さんの協力が得られることになり、俺はホッとしていた。
しかしそれが今後、いいようにこき使われるきっかけになるとは、知る由もなかったのだが。
あっさりと説得に成功したのは、主人公の人徳ってことで。
ついでに山本大将も、大島を利用する気まんまんです。w