7.軍の改革を進めよう
明治38年(1905年)12月 東京
俺と後島は東郷大将、伏見宮殿下と会食しながら、海軍の改革について話していた。
とりあえず、日露戦争の戦訓の見直しは納得させたが、本番はこれからだ。
「ところで以前から言っている軍制改革ですが、状況はどうでしょうか?」
そう訊ねると、東郷さんが渋い顔をする。
「まだほとんど外部には相談できておらん。猛烈な反対が予想されるからな」
「それはそうですが、こちらもおろそかにはできませんよ」
「分かっておる。しかし主力艦の建造中止だけでも、大騒ぎだったのだ。すぐにそんな話をしては、収拾がつかん」
「ああ、たしかに大騒動でしたもんね」
元老たちとの会談後、東郷さんも説得して、主力艦の建造中止を提案してもらった。
それは起工済みの3隻を含め、合計8隻もの主力艦を葬る提案だ。
しかしそれに対する海軍内部の反対が、想像以上に強烈だった。
日本海海戦で大殊勲を上げた東郷提督の言葉なら、それなりに耳を傾けてくれるかと思ったのだが、甘い甘い。
そもそもドレッドノート級戦艦がまだ公表されてないため、まず提案の信憑性が疑われた。
そこは東郷提督のつてで、極秘情報を入手したと言い張ったのだが、証拠がないので弱い。
それでも提督が進退を賭けると言って、強硬に主張したため、計画の見直しまではたどり着いた。
しかし次はどの艦を残すの残さないのの話になって、揉めに揉めたのだ。
あまりに揉めたので、天皇陛下に事情を説明して、海軍に下問してもらうことにした。
”新型戦艦の登場が予想される中で、このまま建造を続ける意味がどれだけあるのか?” というような問いかけだ。
しかしあいにくと前世と違って、陛下は俺たちの事情を知らない。
そのため海軍に対する追求も中途半端になり、8隻全ての建造中止には至らなかった。
まずは起工済みの艦の建造を停止し、東郷提督の提唱する新型戦艦として再設計することになった。
そしてその3隻の出来栄えを見て、今後の建艦計画を見直すという結論に至ったのだ。
しかしそれだけでも、東郷さんはずいぶんと恨みを買ったらしい。
「そういうわけで、とても言い出せるような雰囲気ではない。そもそも陸海軍を統合する必要が、本当にあるのかね?」
「もちろんです。別に陸海を完全に融合する必要はありませんが、統帥権の分裂は早急に是正する必要があります。さらに軍令を内閣の下に置かないと、国策として管理できません。それができなかったから日本は、アメリカとの戦争に突き進んでしまったのですよ」
「むう、そうは言ってもな……」
史実の統帥権のあり方は、あまりにもお粗末だった。
大日本帝国憲法においては、”天皇は陸海軍を統帥す”というように、統帥権を天皇の大権としている。
しかも軍令については、陸軍の参謀本部と海軍の軍令部が輔弼することが慣例となっており、国務大臣の関与が許されていないのだ。
それでも明治時代は、天皇が軍令を議論する場に、首相を呼んでいたため、それなりに機能していたらしい。
しかし大正以降はそのような配慮もされなくなり、軍部が勝手に軍令を決めてしまう。
しかも陸海に連携があればまだしも、1903年の戦時大本営条例の改正で、陸海の統帥権は戦時においても並列対等となった。
これはつまり、陸軍と海軍が勝手に軍令を考えて、天皇陛下にそれを突きつけられるようになったということだ。
場合によっては、そこに国政上の制約や、陸海の連携などというものは、考慮されなくなる。
おかげで大日本帝国は、軍事作戦を国策の一部として、管理できなくなった。
そんな、笑うに笑えない統治機構の欠陥が、太平洋戦争を引き起こしたと言える。
ちなみに、第1次世界大戦を引き起こしたドイツ帝国にも、同様の欠陥があった。
ドイツはベルギー中立侵犯によりイギリスの参戦を招き、それが敗戦の要因になっている。
そのベルギー中立侵犯は、参謀総長のシュリーフェン(開戦時、死亡)が立案した戦争計画の一部だった。
しかしこのシュリーフェンプランは、軍部が勝手に作成した計画でしかなく、外交的・政治的な検証が為されていなかった。
もし事前に外務省なりが検証していれば、ああも簡単にイギリスの参戦を許さなかっただろう。
結局、ドイツ帝国も軍令を国策の一部として、政府の下に管理できていなかったわけだ。
こんなドイツのベルギー中立侵犯と、日本の真珠湾奇襲を、20世紀最大のお騒がせ作戦と呼ぶ向きもある。
その根底には、軍令を国策として管理できなかった、国家としての欠陥があったと言えるだろう。
そんな説明をしていると、東郷提督が音を上げた。
「大島の言いたいことは分かる。しかしそれも、俺が未来の記憶を持っているからだ。そうでない人間に説明するのは、大変なのだぞ」
「まあ、そうでしょうね。そして最大の障害は、山本大将ですか?」
「ああ、そうだ。山本さんは海軍の強化に、心血を注いできた人だからな」
山本権兵衛。
現役の海軍大将で、海軍大臣の地位にある重鎮だ。
その人生はまさに海軍と共にあったといえるもので、海軍の組織化や連合艦隊の編成に、多大な貢献をしてきた。
後に2度も首相を経験するほどの人物であり、その能力には高いものがあるのだろう。
しかしそれだけに敵に回すと、非常に厄介な相手だ。
前世では御前会議での虚偽報告などを糾弾して、予備役に追いやった。
しかしこの世界では状況が違うので、それも難しいだろう。
俺はしばし考えて、別の提案をした。
「それならば、山本大将も味方にひき込みましょう」
「山本さんをか? しかしどうやって説得する? 彼には未来の記憶などないのだぞ」
「はい。しかしあれだけの人を、小手先で丸めこむのも難しいでしょう。ならば我らが、未来の記憶を持つことを明かすべきだと考えます」
「むう……しかしそんな話、信じてもらえるか?」
「普通なら難しいですが、来年に起きる地震を、言い当ててみせます。来年は2月にエクアドルで、3月には台湾で、そして4月にはサンフランシスコで地震が起きますから」
「ああ、言われてみれば、台湾やアメリカで地震があったな」
1906年の2月1日には南米のエクアドル沖で、超大型地震が発生する。
おかげで千人以上の犠牲が出た他、津波が和歌山の串本でも観測された。
さらに3月17日には台湾の嘉義付近で、4月19日にはサンフランシスコでも地震が起こる。
どれも大勢の死者を出した、大地震だ。
普通ならまず覚えていない知識だが、なぜかそれは俺の頭の中にあった。
おそらく存在エックスが、お節介を焼いてくれたのだろう。
そして俺はこれらを予告することで、山本大将を味方に引きこめないかと考えている。
正直、彼がそれを知った時、どのような態度に出るのか、多少の不安はある。
素直に協力してくれるかもしれないし、逆にこちらを利用しようと、奸計を巡らしてくるかもしれない。
しかしまずは、実際に話してみないと、事態は進まないだろう。
その決意を東郷さんに伝えると、彼もうなずいてくれた。
「うむ、たしかに危険はあるが、避けては通れない道だ。一度ぶつかってみるか」
「はい、会談の場を設けてもらえますか?」
「ああ、任せておけ」
さて、山本大将との会談は、吉とでるか、凶と出るか?