死には至らない気分
取り返しのつかないこと以外は全部やってやろうと思った。
わたしはこの1ヶ月、色んなことをした。
高校をサボった。
甘いものを食べまくった。
お酒を飲んだ。
タバコを吸った。
万引きをした。
セックスをした。
でも、なにも変わらなかった。
夜。
わたしはキッチンの机に頬杖をついて、見るともなくつけっぱなしのテレビを見ていた。
母さんは三軒隣のお隣さんの奥さんが不倫して逃げた話を延々と父さんに話してる。
父さんはへえと適当に頷きながらゴルフ雑誌を読んでる。
さっき食べ終わったばかりなのに、おばあちゃんが晩御飯はまだかいと聞きにきた。
弟は部屋でYouTubeを見てるんだろう。
わたしは不思議だった。
どうしてこんなに嫌なんだろう。
家族は嫌いじゃない。
ムカつくことも多いけど、きっと他人と暮らしたらもっとムカつくはずだし。
そのくらいのことは分かってるし。
友達も普通にいるし。
あんまり楽しいことはないけど、まあ、それなりだ。
それなりなのに。
それがたまらなく嫌だ。
「結婚しよう」
一昨日、クラスメートの三嶋にそう言われた。
二人で学校を辞めて駆け落ちしよう。
三嶋は多分、本気だった。
きっと、わたしとセックスしてるうちに、わたしのことが好きになったんだと思う。
わたしはどうせなら見た目がいい奴としようと思って選んだだけで、別に三嶋が好きなわけではなかったけど、いいよと言った。
この世界から遠くに行けるならなんでもよかった。
そういうきっかけがほしかったから。
わたしたちは駅前で待ち合わせた。
しかし、三嶋は来なかった。
親に止められたのか思い止まったのか。
とにかく、来なかった。
連絡は来てたけど見ていない。
メールもLINEもあいつのものは全部削除した。
言い訳なんて聞きたくなかった。
今わたしは、行動出来ないやつに興味はない。
部屋に戻ってベッドに横になった。
スマホを見てたら電話が鳴った。
三嶋の電話番号だ。
しつこい。
こりゃ言い訳じゃないな。
きっとヤりたくなってるんだろう。
わたしはうんざりしてスマホを放り投げた。
男はダサい。
それから考えた。
どうやったら世界が変わるか。
ここから抜け出せるか。
貯金は十万円くらいある。
東京までは一万円で行けるはず。
未成年でも部屋を借りられるのかな。
多分無理だよね。
お金も足りないし。
でも、まあ、なんとかなるか。
住み込みとかそういうバイトとかあるよねきっと。
明日、朝イチで出発しよう。
わたしはのそりと起き上がり、出発の準備を始めた。
父さんや母さんやおばあちゃんが悲しむかな。
心が痛むけど、落ち着いたら連絡入れよう。
そんな風に思いながら、バッグに下着やスマホの充電器を詰め込んだ。
部屋のドアがカリカリと鳴った。
開けると猫のコタロウが入ってきた。
茶トラのコタロウ。
コタロウはいつものようにベッドに乗ってきた。
そして、目を細めて一度鳴いたあと、その場にどてりと寝転んで寝始めた。
わたしは手を止め、コタロウを撫でた。
グルグルと喉を鳴らしはじめたコタロウは世界一撫で心地が良い。
家を出ることの唯一の心残りが、この感触が味わえなくなることだ。
東京に行ったら、さすがに色々と変わるよね。
色んなことが分かるよね。
なんでもいいから、楽しいことが見つかるよね。
コタロウを見ながら、わたしは思った。
きっと、そんなことはないんだろう。
だって、全然ワクワクしないもの。
現実は多分、全然楽しくないんだろう。
大変だろうし、良いことなんて一つもないはず。
わたしだってバカじゃない。
そんなことは分かってる。
今のわたしは、不倫して逃げた三軒隣の奥さんと同じなのだ。
けど、試すしかない。
動いて、チャレンジしてみるしかない。
わたしは、気持ち良さそうに寝ているコタロウに、元気でね、コタロウ、と呟いた。
この1ヶ月色々やって、なんにも変化しなかったけど。
なんとなく、わかった。
初めて人生に触れた感じがした。
上手く言えないけど、そんな感じ。
とにかく、動かなきゃ。
今わたしには、そんな衝動がある。
本能がわたしに囁いてる。
動け。
動くしかない。
そうやることでしか、きっと、人生ってやつは始まらない。