降参や投了って悪いことなの?
最近ポケ〇ンの公式大会でプレイヤーが、降参し、非難の声が溢れていました。
詳しく知りたい方はツイ○ターやグ○グルで調べればすぐに見つけることができます。
この手の話は多くのカードゲームやゲームで度々話題になります。
このことについて私なりに意見を述べたいと思います。
意見を述べる前に筆者のプロフィールを記載します。
カードゲームやポ〇モンのレートは数年やっており、将棋はアマ三段程度です。
このプロフィールを載せた時点で、どれか一つのゲームをやっている方にとってはこの先私が書くことに予想がついているとは思います。
私はリザイン、投了、降参の行為についてはそのゲームでルール上認められているものであれば、して良いものだと思っています。
もっと言えば投了や降参をしたプレイヤーが非難される理由が全くわかりません。
降参について非難をしている人の意見を見た限りでは、以下の二つが大部分を占めていると思います。
1.まだ勝負がついていないのに勝負を放棄するのは恰好悪い。
2.降参は相手への敬意がない。
まず1の意見について反論していきます。
例えば、野球は9回2アウトで10点負けていても、アウトになるまでは勝てる可能性があります。
バレーやテニス、卓球なども最後の一点を取られるまで勝てる可能性はあります。
その状況であれば諦めるのは相手への侮辱になるかもしれません。
しかし、カードゲームやポケ〇ン、将棋に関してはどうしようもない盤面という物が存在します。
例としては、盤面を捲るカードが自信のデッキに入っていない、相手を削りきれる打点が存在しない、お互い間違えるはずのない詰み筋があるなどです。
ごくたまに投了や降参をした盤面や局面で実は勝負を投げた側が勝っているということもあります。しかしそれは当事者、プレイヤーからしたら負けです。何故ならその勝ち筋が見えていない時点でその人からすれば、負けを認めているからです。勝ち筋があったとしてもプレイヤーの心が折れた時点でそれも含めてプレイヤーの実力です。
次に、2点目の相手への敬意がないという意見について述べます。
大前提として自分の負けを認めるということは耐え難い屈辱です。
何かの分野に本気で取り組んだ人は共感できると思いますが自分の時間、生活、プライドを掛けた競技で負けるということは自分の今までの競技人生を否定されたと思う程の悔しさがあります。
それでも負けた方が降参するというのは自分を打ち負かした相手への敬意のあらわれです。間違っても投了や降参は相手への敬意を欠いた行為ではありません。
将棋の話になりますが、私は対面での対局とネット将棋で通算1万5千局以上は対局しています。その中で反則以外で負けた将棋は7千局以上あり、その全ては投了で負けています。
しかし相手を馬鹿にしていたり、敬意を欠いて投了をしたことは一局たりともありません。投了をするときは悔しさと共に相手への敬意があります。
それは相手が負けを認めて投了した時も同様です。負けた時の悔しさは痛いほど分かるので投了がこちらに対して敬意を欠く意図ではなく、悔しさとともに、リスペクトの意味がこもっているということも分かっています。
つまり降参した方もされた方も降参という行為に対して非難はしていないということです。
最後に、エッセイ内で何回も書きましたが、投了(降参)は相手への敬意を書いた行為では無く、むしろ相手へのリスペクトの現われです。そのため私個人の意見としては投了や降参をしたプレイヤーが非難されるというのはおかしいと思います。
お読み頂きありがとうございます!
今回のエッセイはプレイヤー思考のかなり極端な意見であることは自覚しています。
そのため賛否両論様々な意見があると思っています。
色々な意見が欲しいので感想は開いています。
お気軽に感想を書いてくれるとめちゃめちゃ嬉しいです。




