布施山3
約束の時間の10分ほど前に着いたが、幾島はすでに来ていた。
こちらに気づいていないのか、明後日の方向を茫然と見ている。
その様子に、ほんの少し違和感を感じながらも声を掛けた。
「お待たせしました」
声を掛けると、幾島はゆっくりと夜尋の方に顔を向けた。
その表情は、何も感じていないようなそんな顔だった。
そして、恐ろしく切なく悲しい顔だった。
ぞっとした。
まるで死に顔のように見えた。
冷水を頭から被ったような感覚に囚われる。
なんだ?
なんだ、この感覚は。
しかしそれもほんの一瞬で、幾島は少し困ったように微笑むと夜尋に挨拶を返す。
「こんにちは、都築さん」
見間違いかとも思うほど、さっきまでと異なる表情はになった。
それがひどく不気味で異様で、夜尋は怖くなった。
近づいてくる幾島に数歩後ずさる。
その様子に幾島が歩みを止め首を傾げる。
(っ!俺は何を怯えてるんだ)
こんな、やせ細り、今にも倒れそうなこの男に怯えたことに夜尋は恥ずかしくなった。
首を小さく2,3度振り、再度幾島を見つめた。
もう怖くない。全く怖くなくなっていた。
そもそもどうして、この男を怖がっていたのか分からないほどに。
「都築さん?どうかしましたか?」
またしても幾島に心配そうに顔を覗きこまれた。
昨日から、このやり取りを何度か繰り返している気がする。
そもそも、幾島は夜尋をすぐに心配する。
自分の方が苦しい思いをして、大変なはずなのに。
それが、酷く苛立たしい。
「さて、それでは調査を始めます」
幾島の問いかけを無視し、仕事を進める。
まずは周りを散策して霊を探すことにした。
何度か来てわかっているが、やはりいつもと変わらずこの山に嫌な感じはしない。
「当時の行動はどういう風に?」
形式だけの散策を一通りした後、幾島が辿った経路を確認することにした。
「まずは、道を外れてこちらの方に入って少し散策のようなものをしました」
そう言って木々の生い茂る方を指さす。
ほの暗い鬱蒼と生い茂った木々へ入っていくのは、まだ日の高いこの時間でも躊躇してしまうほど不気味だ。
幾島の神経が理解できず、思わず気になったことを問いかける。
「幾島さん、何時に此処へ来たんでしたっけ?」
「夜の8時ごろです」
信じられない。
(俺だったら絶対入らない)
幾島の神経の図太さに夜尋は若干引きながらも、木々の中へと足を踏み入れる。
辺りを散策し、時折なにか感じないか目を閉じて確認する。
それを何回か繰り返していると、とある場所で異様な雰囲気を感じた。
いままでこの山で妙な気を感じたことが無かったため、夜尋は嫌な予感がし、その違和感の出所を探る。
なにかを感じるが、それがはっきりしない。
散策しているとその気配に強弱があることに気づいた。おそらく強い方に出所があるのだろうと、そちらの方へ近づいて行く。
近づくにつれ、徐々に嫌な感じが強くなっていくのを感じ、少し身震いした。
しかし、そこで怖気づくわけにもいかない。恐怖心を無視し先を急いだ。
一番強く感じるところに行くと、そこには少しだけ開けた場所があり中心から少し外れたところに一本の木があった。
木には一見なにもないように感じる。
開けた場所に足を踏み入れ、散策していくとあることに気づいた。
そう、この嫌な感じは、この木がおかしいからじゃなく、この木の前の開けた場所がおかしいのだ。
もっと言えば地面。地面から嫌な感じがする。
地面が気になり手で触れる。
すると今までぼんやりとしか感じなかった嫌な感覚が、触れた瞬間、濁流のような勢いを纏って夜尋を襲った。
『アツイ』
『アツイアツイアツイアツイアツイアツイ』
『アツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツ』
『タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ』
周りは真っ暗で何も見えない。何も感じない。
ただ、擦れて苦しそうな声が頭に直接流れ込んでくる。
同じ言葉を何度も繰り返し、叫び続けるその声で気が変になりそうだ。
恐ろしくなって咄嗟に手を離す。
一瞬、精神がおかしくなるところだった。
なんだ。
なんだ、今のは。
怖い。
怖くて、そして痛くてたまらない。
(いけない、これじゃだめだ。引き摺りこまれる)
霊の強い思いに感化されて、時々おかしくなる霊能者もいる。
今この状況で、夜尋がそうなってしまっては誰にも収集が付かないだろう。
とりあえず、手を引っ込め、もう片方の手でかばうように包みこんだ。
目を瞑り、深呼吸する。
すぅー、はぁー。すぅー、はぁー。すぅー、はぁー。
数回繰り返すと、どうにか落ち着いてきた。
目を開け、先ほど触った手のひらを見つめた。