布施山2
バンっ!
そうぼんやりと考えていたために、逃げ遅れてしまった。
勢いよく開けられたドアから出てきた千尋とばっちりと目が合う。
目が合った瞬間、千尋は目を見開いて驚いていた。
そして、悲しそうに表情を曇らせると夜尋など見ていなかったかのように踵を返すと、自室のある2階へと続く階段を登って行った。
後にも先にも、千尋のあんな辛そうな顔を見たのはこれきりだった。
それから1週間もしないうちに千尋は事件に巻き込まれ、亡くなった。
ショックでどうしようもなかった。
夜尋は涙も流せなかった。
茫然と、ただ葬儀が終わるのを見届けていた。
通夜も葬式もほとんどなにをしたのか覚えていない。
兄の体の損傷が激しいせいで、棺桶の中は少しだって開けられることはなかった。
だから、兄が亡くなったことにいまいち実感が湧かなかったのもあるかもしれない。
ただ、兄の棺桶に献花できなかったことだけが、少しだけ寂しかった。
火葬場で千尋の遺骨を待つ間が退屈で、中庭に出た。すると、両親が話しているのを偶然見つけた。
あの優秀な兄を亡くして、両親はどう思っているのだろう。
そんな好奇心から、両親の話に聞き耳を立てた。
だが、話の内容は夜尋が思っていたものとは全く違ったものだった。
『…しかし、まぁ、これで良かったのかもな。これで、あの事が親戚にばれずにすむ』
さほど遠くで話しているわけでもないように、やけに声が遠く聞こえる。
『あなた、それはいくらなんでも…』
母はその先の言葉を飲み込んだ。
やはり、母も少なからずそう思っていたのだろう。
風が脇を通り過ぎていくのを感じた。
とても寒い風だった。
体が震えて仕方ないほどに、冷たい風。
あの二人の血が流れていることに、夜尋はおぞましく思った。
しかし、あの優しい兄と同じ血が流れているのも事実だった。
二人にとって千尋は恥でしかなくなってしまった。
たった一つの想いだけで千尋はいらない子供になってしまったのだ。
あんなに優秀だと喜んでいたのに。
あんなにやさしい兄だったのに。
あの時の、両親が話していたあの言葉はきっと本心だろう。だから夜尋は今でも忘れない。
きっといつまでも忘れないだろう。
父も母も兄が死んで安堵していたのだ。
大好きだった兄への両親のその感情が、夜尋にはどうしても許せなかった。
それから、夜尋はさらに両親と疎遠になっていった。