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巻之参 「我が愛刀、千鳥神籬」

 特命遊撃士養成コース編入の手続きを無事こなし、支局から帰宅した私を待っていたのは、両親による酒肴の用意だった。

「まさか…かおると杯を交える機会が、こうも早く訪れるとはな…」

 言葉とは裏腹に、父の口調に動揺や驚きは伺えなかった。

 私が特命遊撃士養成コース編入の適齢期である小学校高学年になってから、ある程度の覚悟は出来ていたのだろう。

-出来る事なら、適性検査に合格せずに編入適齢期を遣り過ごし、淡路一刀流の次期継承者になって貰いたかった。

 そんな父の秘めた願いは、私にも痛い程分かる。

 きっと父は、私の健康診断結果が郵送される前後になると、全財産を賭けた丁半博打に挑むような心持ちになっていたのだろう。

 そして父は今回、賭けに負けたのだ。

 気抜けした疲れと寂しさに満ちた父の顔に、何処か安堵に似た表情が浮かんでいるのは、もう賭けに乗らなくて良いと理解したからなのだろう。

「私が男子として産まれなかった事を御悔やみですか、父上?」

 私は杯を傾けながら、父に静かに問い掛けた。

 生体強化ナノマシンによる改造措置を受け、水色の訓練服に袖を通した以上、私には部分的成人擬制が適用される。

 小学5年生にして初めて口にしたアルコールは、父の愛飲している純米大吟醸「京洛の露」だ。

 後に私も、同じ銘柄の日本酒を愛飲する事になるのだから、三つ子の魂百までと言うべきか。

「悔やんでいないと言えば、嘘になるな…かおるが仮に男として生を受けていたなら、私は迷わず跡継ぎに指名していただろう。」

 こういう父の率直な所が、私には好ましかった。

「かおるは、私の課す鍛練を誰よりも熱心に受けてくれた。私が先代から教わっても成し得なかったままの事も、かおるは上手く再現しおおせていた。かおるなら、良い後継者になってくれる。そう信じて疑わなかった…」

 繰り事めいた心境の吐露は、夢のままに終わった未来図への未練なのか。

「確かに私は、淡路一刀流の後継者たる資格を失いました。今の私は、銃弾の直撃でも死なない耐久力を備え、素手でも熊を殺せる力を有しております。このような身体で、生身の門弟達にどのように剣の道を説けば良いのでしょうか?」

 肴にした辛子蓮根の後味が残る口腔を、熱燗にした純米大吟醸で洗い流すや、一気に私は父に切り出した。

 未練がましい繰り事を口にする父は、見るに耐えなかったからだ。

「しかし私に、今日まで学んできた淡路一刀流の教えを打ち捨てる積もりなど、毛頭も御座いません。今の私なりにも、進むべき剣の道は御座います。」

「か、かおるさん…」

 御銚子を回収しに来た母は、その場の異様な雰囲気に威圧されてしまったのか、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

 その一方、私に向かい合った父は、何を考えているだろうのか、杯に満たされた熱燗の水面に視線を落としている。

「では…その進むべき剣の道、とは?」

 何かを思い切るかのように杯の中身を飲み干した父は、私に向けて静かに問い掛けてきた。

 その視線は、今は真っ直ぐに私の両眼を見据えている。

「淡路一刀流の継承者を夢見た少女、淡路かおるは、今日を以てこの世を去りました。ここに居ますのは、正義と友情を旗印とする防人乙女を志す、特命遊撃士養成コースの訓練生、淡路かおる准尉。」

 ここで言葉を切った私は、チラリと視線を下に落とした。

 私の身体を包むのは、黒いセーラーカラーに赤いネクタイを巻いた訓練服。

 ジャケットが水色なのと、肩に階級章がない事を除けば、遊撃服と全くの同デザインだ。

「それに相応な剣の道は、この世に仇成す悪鬼羅刹の輩を切り捨て、無辜なる善男善女の盾となり矛となる、破邪顕正の活人剣。それ以外にないと存じ上げます。」

 江戸新陰流の使い手として名高い柳生但馬守宗矩が説いた、泰平の世に相応しい剣客の心構え。

 この活人剣こそ、刃を友とする防人乙女に相応しい剣の在り方と言えた。

「そうか、やはりか…」

 小さく頷き、父は静かに立ち上がった。

「かおるなら、そう申すだろうと予期していた。稽古場へ来なさい。授けたい物がある。」

「はっ。承知つかまつりました、父上。」

 今度は私が、父に頷く番だった。


 門弟達の気合いや木刀の打ち鳴らされる音で、夕方までは騒々しかった稽古場は、彼らが引き揚げた事で静寂が支配する空間となっている。

 その稽古場の中央で、軽く目を伏せた私は座して待っていた。

 強化繊維製の黒いニーハイソックスに包まれた脹ら脛から伝わってくるのは、桧の無垢板で張られた床の滑らかな感触と、剣客の道を志した門弟達の純真な思念だった。

 かつては私も、その門弟達の一員だった。

 だが、今は…

 水色の訓練服を纏って稽古場で正座をするのは、これが初めての経験だ。

 場合によれば、今回が最後になるやも知れない。

「かおる、両手を出しなさい。受け取ったなら、その目で改めて構わない。」

 父の声に従って差し出した、両の掌。

 そこに確かな重量と共に加わったのは、漆塗りの滑らかな感触だった。

「これは?」

 重みと手触りで予測はついていたが、両目を見開いた私が手にしていたのは日本刀だった。

 打たれてから殆ど使われていなかったのか、鍔や柄に手擦れた様子はなく、鞘の漆も黒々として美しい。

「かおるが成人の日を迎えるか、淡路一刀流を継いだ日に渡したかったが…こうなった以上、授けるに相応しい日は今日をおいて他にない。」

 父の許しを得て、ソッと鞘から出して刃を改める。

 鎬造りに庵棟。

 日本刀としては、正統派の造り込みと言えた。

「この業物…真剣ですね?」

「正義を守るべく悪を斬る。活人剣を成す者に、切れぬ刀を授ける道理があるまい?望みとあらば…」

 父に促されて振り向いてみると、そこには敵を模した巻き藁が佇んでいた。

 私が目を伏せている間に、業物と合わせて持ち込んだらしい。

「ムッ…」

 授かったばかりの業物を腰間に差して、呼吸と体勢を整える。

 初めて腰へ差したにも関わらず、この太刀は不思議と私に馴染んでくれた。

 まるで何年も前から、こうして帯刀していたかのように。

「はあっ!」

 サッと鯉口を切り、標的目掛けて刀風を浴びせる。

 初めて真剣に触れた7歳の頃から、何度も繰り返した動作だった。

 胴を薙ぎ、首を跳ね、それらが地に落ちる前に唐竹割り。

 私の振るった刃は的確に獲物を捉え、切り刻まれた巻き藁はバラバラと床に散らばった。

「我が娘ながら、何と美しい太刀捌き。その力、いよいよもって惜しい…」

 何処か寂しげで、それでいて満足げな微笑だった。

「素晴らしき切れ味。何より、私の手に馴染む…このような名刀を賜りまして、感謝の言葉も御座いません。この太刀に銘はあるのですか?」

 自己陶酔の伴った高揚感を抑えつけながら、私は父に問い掛けた。

茉穂(まつほ)が懐胎した日に旧知の刀鍛冶へ発注し、かおるが産まれた日に打ち終えた業物よ。銘を千鳥神籬(ちどりひもろぎ)と言う。」

 私と同じ日に産声を上げた、双子の姉妹と言うべき業物か。

 それならば、私の手に馴染むのも道理と言えた。

「その業物は餞別だ。かおるが防人の乙女として新たな剣の道を志した、門出の日のな。」

「父上、有り難き幸せに存じます。養成コースを修了し、特命遊撃士として正式配属された暁には、この千鳥神籬を個人兵装とさせて頂きましょう。」

 業物を静かに納刀して、私は父に一礼した。

 この千鳥神籬が養成コース編入祝いの品であり、尚且つ私の姉妹に相当する業物である以上、それに恥じぬ扱いをせねばなるまい。

 これが我が防人稼業における最良の伴侶となる愛刀・千鳥神籬との、運命的な出会いであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 道は1つではなく。 寄り道、脇道、回り道。しかしそれらも全て道(キュアビューティ(ォィ 己の在り様が変われば道も変わる。 そしてその道を共に歩むは……双子の姉妹と言うべき愛刀。素敵な出会い…
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