突然の出来事
腕を動かし、尾ひれで波を強く蹴って、灯台のあるあの島へ。
逸る気持ちを抱いて、姉さまたちが教えてくれた目印を思い出しながら海流を越えた。
今はまだ、太陽は水平線から覗いている時間帯。海の中を泳いでいたら影がよぎったので、カモメにたちに挨拶をしようと海上に顔を出した。
こんな時間に海上へ顔を出すのは、成人前はいけないことと止められていたから、少しどきどきする。
海の上に長い光の道が出来ていて、赤い太陽へと続いてる。太陽の周りの空はオレンジ色からグラデーションになっていて、頭上の空は青がとても深い。
星はまだちょっと出ているだけで、そこにある一人ぼっちの白い月は、横顔でウインクしてるみたいなの。
あたしは悪戯が見つかった幼い子のような気分になって、波を潜って島へと急いだ。
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この間と同じ、砂浜から少し離れたところに着いたときには、もう辺りは暗かった。でもまだ遠くの海がうっすらとオレンジ色をしているから、まだ灯台には明かりは灯らないはず。
さて、どうしようかな? あんまり浜へ近づいて、この間みたいなことになるのはゴメンだし。
そんなことを考えていると、お尻に何かがぶつかってきた。
「クィックリー! もう、びっくりさせないで!!」
振り返るとそこにいたのは、イルカのクィックリーだった。
この子は去年産まれた子で、泳ぐのがとっても早いの。何度も競争をけしかけられて、その度に負けている。
「どうしたのって? 灯台が光るところを見に来たのよ」
可愛らしい声で話しかけてくるから説明してあげた。この間見た光景も。
「そんなの、とっくに知ってるよ、ですって? そうよね、クィックリーは私より早く大人になるんだもんね」
クィックリーの丸い瞳が、月明かりを反射した。クィックリーはあたしの周りを潜ったり、顔を出したりして忙しない。
「もう! 少し落ちついて。人間に見つかっちゃうじゃない。この間、怒られちゃったんだから……」
クィックリーが遊べないの? と言うので、「今は無理」と答えると、じゃあ歌って、と言ってきた。
うーん、とあたしは迷って、「そうねぇ、どうせ待ってるだけだし。じゃあ、少しだけ。小さな声でね」と言った。
海の中だったら構わない。あたしたちの声は人間には聞こえないけど、少しでも不安要素は取り除いておきたい。
あたしとクィックリーは、とぷん、と水の中に潜り、向かい合わせになった。クィックリーはお客さまになってくれて、大人しくしてくれた。
あたしは静かなゆったりとした歌を歌った。以前姉さまたちに教わった、今夜の波のようなゆったりとした歌を。
そのときだった。
突然、後ろから誰かに腕を捕まれ、海上に顔を出させられた。
「見つけた! やっと見つけた!! ずっと探していたんだ!! 君の歌声を忘れられ無かったんだ!!」
「やっ! 離して!!」
あたしは身を捩って腕を振り回し、彼の手から離れると、波を強く蹴って彼から距離を取った。
見るとそこにいたのは人間の男だった。歳は若いとは言えない。何だかくたびれていそうな人だった。
彼が突然、悲痛な叫び声を出した。
「待ってくれ、どうか、……どうか、……行かないでおくれ」
語尾は弱々しくなって、絞り出すような声になっていく。
見ると、沈痛な面持ちで肩を震わせていて、先程の荒々しさはもう無かった。
「あなたは誰なの? あたしを知っているの? あたしの歌声を知っているってどういうこと?」
あたしの質問に、彼はハッとしたように見えた。
「そうか、君に分かるわけないか……。でも僕は、君のことを、ずっと探していたんだよ。……頼む、僕に歌を聴かせてくれ。……それじゃなきゃ、君の世界へ僕を連れていってくれ」
あまりのことに驚愕して、つい語気が荒くなってしまう。
「あなたを? あたしの世界へ? あなたは人間でしょう? そんなことが出来るわけ無いじゃない!」
彼はますます落胆して言った。
「……そうか、それもそうだな。僕のことを信用して貰えなければ、どの道無理ってことか……。僕は、僕はね、君の……」
彼は一度何かを言いかけて、深いため息をつき、あたしを真っ直ぐに見た。その顔は、急に歳をとったように感じた。
「……もうすぐ、僕の寿命は終わる。なぁ、生き物の中には自分の寿命が分かると、姿を隠す種族もいるじゃないか。僕が君の世界に行きたいのは、そういう理由だと思ってくれないか。頼む! 君の世界へ僕を連れていってくれ!!」
そう叫ぶと彼は気を失ったようで、派手な水飛沫とともに、海の中へ倒れこんでしまった。
あたしはそれを黙って見過ごすことは出来ず、けれどあたしたちの世界へ彼を連れていくわけには行かず、クィックリーに手伝って貰いながら砂浜へと、彼を運ぶしかなかった。
あの、伝説の人魚姫のように。