第28話 天使の忠告
疲れを取ろうと思い、早々にベッドに潜り込んだのだが、目が冴えてどうにも寝付けなかった。
僕は気分転換に、なんとなく窓を開けて、闇夜に浮かぶ月を見上げた。この世界でも変わらずに月は煌々と輝いている。
あの満月の夜から僕の生きる世界は変わった。そんな事が頭をよぎると、彼の憎悪に満ちた目が僕の脳裏に姿を現した。ただそれだけで脈を打つ音が加速する。いつのまにか手に汗を握っていた。
明日から長い旅が始まるというのに何を考えているんだ。奴に会うことなんて、もう1パーセントの可能性だってないのに。なぜ、思い出す。夕方に見た夢のせいだろうか。
怯えている自分がいる。心に刻印のように消えることない傷を残したあいつ、
……御堂 テシマに……。
唐突に僕はビクッとした。なぜなら、ドアをコンコンとノックする音が聞こえたからだ。
「誰?」
僕はドアに近づきながら、言葉を投げかけた。
「エルナですわ。開けてもらってもよろしいかしら」
何の用だろ? そう思いながら、ドアを開く。
眼前にニコッと微笑むエルナがいた。どんな男でも惹きつけそうな魅惑的な笑顔。
エルナは二つ年上だ。これが年上の持つ魅力だろうか。そんな彼女はおもむろに部屋の中に入り、バタンとドアを閉める。
僕はそれと同時に後ずさった。部屋の中は月明かりのみである。
彼女はネグリジェ姿だ。少し目のやり場に困る。僕の赤く染まっているはずだが、この暗闇のおかげで、頬の色は悟られていないかな。
「この幻想的な明るさ、夜這いにはピッタリですの」
そう言うと、エルナはこちらに近づいてくる。
「どどどどどどしたんですか、エルナさん!?」
僕はさらに後ずさり、背後のベッドにつまずき倒れてしまった。エルナは僕に覆いかぶさるような姿勢を取った。
「まあ、ウブなこと」
エルナは妖艶な笑みを浮かべ、僕の顔に手を這わせる。僕の体はかつてない緊張に支配され、固くなっていく。心臓の鼓動も尋常じゃないくらいに加速していく。
「ななななんか用があったんじゃ……な、ないんですか?」
なんとか絞り出した言葉だが、自分でも意味不明だ。
「あっ、そうですわ。ついつい、シチュエーションにつられてしまいましたわ」
エルナは立ち上がり、部屋のライトに魔法で火を灯した。ベッドと小さな机と椅子が一つだけあるシンプルな部屋全体が照らされる。
「こういう話は明るいところでする方がいいですの」
なんのことだ!?
って、それよりも暗がりだったから気づかなかったが、彼女は妖艶な空気を醸し出すパープルのネグリジェを着ていた。まだそこまでは耐えることができるのだが、問題はそれがシースルーということだ。黒い下着が透けている。
大人だ……。って違う違う!
エルナは僕の様子を見て、「ふふっ」と余裕の笑みを見せ、ベッドに腰をかけている僕の隣に座った。
男なら心情的には「お姉様」と言って、飛びつきたくなるだろう。
「アレルさん、あなた、元人間だったですのよね?」
僕のお花畑の頭とは裏腹に、エルナは真顔でそんなことを聞いてきた。
「えっ!?」
僕は予想だにしていなかった質問に驚いてしまった。
「まあ……そうだけど……」
「この世界には慣れましたか?」
「まあ生活する上では……」
「違いますの。あなたが暮らしていた平和な人間界とは違う、残酷なことがあるこの世界にですの……今日のように」
僕は即座にある光景が頭に浮かんだ。
「ルンさんが跡形もなく彼らを燃やした時のあなたの表情を見て、少し心配になりましたの」
「それは……」
すぐに次の言葉が見つからなくて、言葉が詰まった。
「今ならまだ引き返せますのよ」
揺るぎない視線から僕の心境を試すように推し量っているのがわかる。
「……大丈夫だよ。人間界だって戦争とかあるし」
「……さっきの言葉には語弊がありましたわね。確かに人間界も残酷無慈悲な世界や場面はありますわ。でも、あなたは戦争などない国で育ったのでしょう? だからあのような顔をした」
エルナは責めるような鋭い眼光を向ける。
「確かに戦争はなかったけど、この世界では僕も敵の命を絶ったよ。だから、大丈夫。ただ、まだそういうのに慣れてないだけだよ、それに……僕は人間界でも人を殺したことがある」
エルナは目を見開いた。
そうだ、僕は人を殺せる人間なんだ。こんな戦争とは無縁の平和な毎日の中でも……いじめという環境下から生まれた復讐の二文字から殺意は膨れ上がったことを今も鮮明に覚えている。
「アレルさんにそんな過去が……驚きましたわ。でも、深いことは訊きませんの。人には触れてほしいものと触れられたくないものがありますわ。貴方のは後者の方だと思いますから」
柔らかな笑みを浮かべるエルナ。
「ただ、わたくし達は今は人間界でいうところの軍人とさして変わらないですの。この先、敵に情をかけないようにしてくださいですの。そうしなければいつか自分が寝首をかかれることになりますわ」
昔、観た戦争映画を思い出した。命乞いをする敵を見逃した矢先にそいつに撃たれるというものだ。確かに戦争とはそういうものだろう。慈悲や慈愛をかけたところで、裏切られるのが当たり前なのだ。いや、それどころか自分だけではなく、仲間を危険な目に合わすかもしれない。それが、今この世界に起きていることなのだ。この作戦に参加する限りは非情になれ! とエルナは暗にそう言っているのだ。
大丈夫、人は残酷無慈悲に同調する生き物だという事を、僕は人間だった時に嫌というほど思い知っている。
「……うん、わかってるよ」
今は、あの時のような復讐心からではなく、大切なものを守る為に、戦うのだ。あの時より幾分も苦しくない。
「なら、良いのですの。では、この話は終わりにしますわ」
エルナは再び柔らかな笑みを浮かべた。
「それでは先ほどの続きを致しますの」
「えっ、続きって?」
「男と女がベッドの上でやることと言ったらひとつですの」
エルナの口角が艶かしく上がる。
「い……いや、それはちょっと……」
僕はベッド上で壁際まで後ずさる。すぐにゴンと壁に頭をぶつけた。近づいてくるネグリジェ姿のまごうことなき天使。心拍の上昇が止まらない。
その時だった。勢いよく部屋のドアが開け放たれ、怒鳴り込む銀髪の美少女が一人現れた。
「アレル! さっきからうる――」
僕らの光景を見て、言葉を失い目を最大限に丸くするミラン。
「そろそろ来る頃だろうと思ってましたの。ではアレルさん、おやすみなさいませ」
エルナはベッドから降りて、スタスタとドアに向かって歩いていく。僕は思考が止まり、束の間惚けてしまった。彼女達の会話が耳を通り抜けていく。
「あああんた達なにをしししてたのよ!」
「ミランさんが想像してるようなことは、まだなんにもしていませんの」
「別にあたしはいやらしい想像なんか……し、してないわよ!」
「ふふふ」
「そ、それよりエルナ、あんたなんて格好してんのよ!」
「あらあら、ミランさんもピンクのパジャマとは可愛いですわね。アレルさんも喜びますわよ」
「……そ、そうかな」
ミランは頬を紅色に染め、チラリとこちらを見る。確かにかわいいけども……。
「じゃないわよ!」
自分にツッコミを入れるミラン。
「大丈夫ですわ。ただ、あなたが気づいていても言えない……明日からの旅の心得を話していただけですの」
「な、なんのことよ」
エルナはなにか意味ありげな笑みを口元に浮かべた。
「では、二人共おやすみなさいませ」
そう言うと、エルナは立ち尽くすミランの横を通り過ぎようとして、「あっ」と何かを言い忘れたかのように声を上げ、こちらに振り返った。
「アレルさん、胸を揉む時はがっつかないで優しくしてくださいね」
天使のくせに小悪魔的な邪悪な笑みを浮かべ、部屋を出て行くエルナ。
最後になんたる爆弾を投下していくんだあのエセ天使!
「アレル~!!!」
ミランはかつてないほどの鬼の形相になっている。いや、これこそが悪魔だよね……。
このあと、弁解するのに相当な時間を要したことは言うまでもない。




