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序章 赤い煌めき

 僕は何の取り柄もない、目立ちもしない、ごくごく一般的な中学三年生だった。ただ一つ違うといえば、幼い頃に発病した心臓の持病があり、激しい運動は禁じられていた。

 

 そのせいで憧れだったサッカーもできず、専らの帰宅部。帰ったらなにをするわけでもなく、漫画やゲームで時間を潰すだけの毎日を過ごす。

 いわゆる半引きこもりともいうべき状態。それが僕の日常だった。


 しかし、ある日を境にそんな僕の同じ旋律で奏でられていた日々は次第にひび割れるような音を立て始めた、と思ったら、それは猛烈な勢いでノイズと化していった。

 単純にいうと、僕がクラスでいじめの対象になったからだ。きっかけは主犯格の彼(クラスのやんちゃの代表)に当番である掃除をするように促しただけの些細なことだったのだ。


 あの日は発売したての新作ゲームの続きがしたくて、一刻も早く家に帰りたかった。それと前日に読んだヒーロー物の漫画の影響もあったかもしれない。

 そんな僕の欲望と正義感が変な風に混ざりあって、彼に掃除をするように促したのだ。 

 それを深く後悔することになるのは、本当に極めてすぐだった。

 人とあまり関わらずに生きてきた僕にとって、イジメなんてテレビの中だけの遠い世界の話……そう思っていた。


 イジメの内容はパシリから始まり、殴る蹴るは当たり前になり、そこからエスカレートしていき金銭は要求され、女子の前で衣服を剥脱されることもあった。


 友達(学校のみでプライベートでは交流はない)だと思っていた奴らは見て見ぬふり、女子からは蔑まされる冷たい視線、そういう者のなかにはいじめに加担する者まで現れていった。

 教師はそういった対処が面倒くさいのか、問題にしたくないのか、誰も助けてくれず、僕の思春期特有ともいうべき男としてのプライドもあり、親に心配かけまいと相談もせず、学校を休むこともしなかった。


 そんな地獄のような日々を送っていたある日、僕は劣悪非道ないじめに対して決心する。心の中の瀬戸際で耐えに耐えていた防壁がいとも簡単に決壊したのだ。それは最後に辱められた日だった。



 その日は黄金色に眩く光る満月の夜だった。

 僕はいじめの主犯格である彼の帰宅を家の庭影にひっそりと潜み、待ち伏せしていた。どこかで遊んで来たのだろう、やけに遅い帰宅だったがノコノコと彼はやってきた。


 彼に悟られないように息を殺し、暗殺者のように忍び寄り、この日の為に購入した包丁で腰骨あたりを刺してやった。震える手を必死に制御する。


 致命傷に至ったかどうかなど確認する余裕もなく、呻く彼を置き去りにしてその場から逃げ出した。

 一瞬、翻った時に捉えた、月明かりに照らし出された彼の苦しみと憎しみに満ち溢れた歪んだ顔は、僕の脳裏にくっきりと焼きついた。

 

 その日の深夜、僕は自宅の庭の木にロープで輪っかを作った。そう、ちょうど頭が入るくらいに。


 辺りは静寂な闇で覆われている。その闇がこれから成そうとしていることの恐怖よりも逆に僕に落ち着きを与えてくれた。


 僕はあらかじめ用意しておいた脚立に登り、ゆっくりとロープに頭を通す。

 空を見上げると、先ほどと同じように雲の隙間から闇夜に浮かぶ満月が煌々と輝いていた。

 今から為すべき決断を鈍らせるほどに美しい満月だ。それに反抗するように脚立を勢い良く足で蹴った。

 そのまま苦しさにもがきながら薄れゆく意識の中で今までの短い人生が素早くフラッシュバックする。

 これが走馬灯というものだろうか。家族との思い出、幼かった頃の出来事、よく遊んだ女の子……。



 部屋の壁をコンコンコンと三度ノックでもするように叩く。すると、少しして、そのノックが同じように返ってくる。

 これが僕らの訪室しても大丈夫という合図だ。僕は嬉々として隣の病室に駆け出す。


「あっくんはサッカー選手になるのが夢なの?」


 そこでいつものようにその病室の住人である女の子が訊いてきた。

 僕は当たり前のように答える。


「うん、だってかっこいいもん! 病気が治ったら、いっぱい練習する!」


 僕らは心臓の病気で病院暮らしだった。いつかここを出て、したい事、なりたいものを語るのが僕らの日課だった。


「リンちゃんもだろ?」


 彼女はあどけない顔で純粋に「うん」と頷く。二人共、この頃はテレビのワールドカップにハマりサッカー選手になるのが語らい草だった。


「あたしはあんな風に走り回れるようになりたい」


 陽光の温かみと共に窓から爽やかな風が流れ込み、そう言った彼女のきめ細やかで美しい黒髪が僅かに揺れる。


 こうして、僕は毎日のように彼女の病室に訪れ、お互いを勇気づけていた。


 そんな日々を過ごしながら、僕は彼女を差し置いて先に退院に至った。

 しかしながら、病気の後遺症でサッカー選手になるという夢はおろか、まともな運動でさえ、控えめにしなければならないことを義務付けられた。

 僕の夢は挑むことさえ許されず、あっけなく幕を閉じた。


 今思えばあの頃……「リン」と呼んでいた女の子と、話したり、言葉遊びをしたり、小さな病室でかくれんぼしたりした時間が……あの病院で彼女と共有した時間こそが僕の短い人生で唯一の楽しかった日々だ。


 退院するときから始めた文通も僕が出したものが最後に随分前から途絶えている。

 最悪の結果が怖くて、彼女の病院に足を向けることはなかった。


 あのコは今頃どうしているだろうか? 

 生きているのだろうか? 

 どちらにせよ、もう再会は当然叶わなくなる。意識が現実から遠退いていく中で、突如、胸に鈍い痛みのようなものが走り抜けた。何かが赤く煌めいていた……。


アルファポリスにも掲載していきます。

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