9話 見えざる秘密
服屋から出た拓哉達は、昼ごはんを食べるために、モールの中のフードコートにいた。
結局のところ、美結は服を1着も買わず、後日気に入ったものを買いに来ると言って服屋を出ていったのだ。
まあ拓哉自身、ファッションショー(?)を見せられて悪い気はしていなかったし、美結が楽しめたのならそれでいいと思っていた。
そうして店を出て歩いていると、
「ねえ…お腹空かない?」
と美結に言われ、壁に掛かっている時計を見る。
時刻はまもなく正午。たしかに、ここらで昼飯を食べておくのもいいだろう。
「そうですね。どこに行きましょうか」
そう返すと、その返事を待っていたかのように美結が言う。
「あ、なら私、良いとこ知ってるよ。一緒に行かない?」
拓哉はすぐに頷いて、先導する美結についていったのだった。
そうして拓哉は、ある店の前に連れてこられた。いや、連れてこられてしまった、というべきだろうか。
フードコートの中にあるこの店の名前は激辛料理店。店の名前からしてヤバイのは明白だが、メニュー表も悪い意味で、拓哉の予想を裏切らなかった。
そう、品物の写真が全面的に…赤いのだ。もう料理が、赤いとしか形容できない代物になっていた。名は体を表すとは、こんな店のためにある言葉なのかもしれない。
「いらっしゃい!何にするんだい?」
と、店員から声をかけられ、何を頼もうか、もう一度メニューを確認する。
赤いラーメン、赤い餃子、赤いコロッケ、赤いそば、赤いサラダ……。
………何にするって、何もかもほとんど一緒じゃねぇか。
なに?赤い物の材料が唐辛子か、ハバネロかの違いとかそんなことを言ってんの?
…いや、そんなわけないと思うけどな。
まあ、ここは無難にラーメンでいいか。
そう思い、ラーメンを注文しようとすると、
「「ラーメン1つお願いします…あっ…」」
意図せずして、ラーメンを頼んだ美結と声が被ってしまう。
美結はアニメなどの定番のように、少し顔を赤らめているが、こういうフラグが立つようなイベントは、自分に起こるべきじゃなくないか、と思ってしまう。
「オッケー!ラーメン2つね!辛さレベルは?」
「辛さ…レベル?」
拓哉がそうきくと、店員は看板のようなものを取り出した。そこには、辛さレベル1〜10と書かれていて、レベルが上がっていくほど、表示が赤くなっていた。
「辛さレベル1が普通の辛さ、2は2倍、3は3倍…って感じだよ!」
元気のいい店員は説明する。
要は、レベルが高ければ高いほど、辛くなっていく、という認識でいいだろうが…普通の辛さって何だ?そんな言葉初めて聞いたんだけど…。
まあ何が出てくるか分かったもんじゃないし、1でいいな。
「1で」
「10で」
おっと、今回は被ら…10?!
拓哉は美結の言葉に耳を疑った。
「いや、先輩?!10って…分かってるんですか?!一番辛いやつですよね?!」
比較的大きな声で問う拓哉とは対称に、美結はきょとんとして、
「ん?10だよね?…分かってるけど…どうかした?」
と返すのだった。
いや、分かってて言ってたのならもっと恐ろしいんですが…。
…まあ、本人が良いのならそれで良いだろう。人の好みにとやかく言うのも、あまりよろしくないしな。
「ヘイ!ラーメンの10と1ね!…オーダー入りました!ラーメン10と1を一つずつ…それと……」
注文を終え、席を選ぶためカウンターから離れた拓哉達は奥の方の席を取り、料理を待つことにした。
10分程して…
「お待たせしましたー!」
またもや、元気のいい店員が料理を運んでくる。
余談だが、この10分の間にも会話は無かった。人がいるところで美結みたいな人に話しかけて彼氏だとか思われたら失礼だろうし…とかなんとか心の中で思いながら、ちびちびと水を飲んでいた。
その間に美結が何度かこっちを見ていたのだが、拓哉は気にしていなかった。この状況にも関わらず、拓哉はずっと、自分の後ろに誰かがいてその人を見ている、と思っていたからだ。
「はい、1のラーメン一丁!」
「ありがとうございます」
定型文のような挨拶を言い終わった後、ラーメンを見る。運ばれてきた拓哉のラーメンは、実に担々麺らしいもので、一般にスタミナラーメンと言われるようなものだった。
…良かった、これなら食べられそうだ。
僕のものを配膳した店員は、美結の近くに頼んだラーメンを配膳していく。
「ほい、10一丁!注文は以上で?」
「はい、ありがとうございます」
店員の問いかけに笑顔で答える美結。その表情は、なんだかとても嬉しそうだ。よほどここのラーメンが好きなのだろう。
そう思って、美結のラーメンを見てみると…
とりあえず……赤かったのだ。…というか、ラーメンなのかこれ…。
どうやら、美結の頼んだラーメンは拓哉の想像していた以上にヤバイものだった。
特に、麺に積まれている赤い物の量が半端じゃなく、完食なんてすれば、体のどこかは絶対に悪くなるだろう。逆に店側の利益になるのか不安になるレベルの食べ物だ。
何も知らない人がこれを見たら、100%ラーメンなんて思わないレベルに赤い。
まあ、ラーメンと言われたところで信用せず、確かめようともしないだろうが。
ていうか…これ、人間が食べて大丈夫なのか…?!
「あの…先輩…?これ…食べれますよね…?」
「?、そりゃ、食べ物でしょ?…食べれるに決まってるじゃない」
拓哉のかけた気遣いの言葉も、美結には軽いボケとしか映らなかったらしい。これには、さすがの拓哉もお手上げだ。
…本人が良いのなら、それでいいことにしよう。
店員が得体の知れないものを配膳し終わったところで、拓哉達は食べ始めた。
「「いただきます」」
拓哉は箸ですくったラーメンを口に運ぶ。
…うん、なるほど。おいしい。普通に美味しい。
コクとかコシとか難しいことは、よく分からないが、十分人に勧められるおいしさには仕上がっている、それが拓哉の正直な感想だった。
うーん…辛さへのこだわりさえ無ければ流行りそうなんだけどなぁ、この店。
今度来るときは家族3人で来ようか…などと思っていたときに美結が話しかけてくる。
「美味しいね、拓哉くん」
音符のマークが付きそうなこのセリフと表情だけ見れば、美結の容姿と相まってとても良いものを食べてるように思うだろう。
…だが、当の拓哉から見れば、これは食事というより、罰ゲームにしか見えない(こんな事言っちゃいけないが)。
美結が麺を口に運ぶときなんて、箸で麺をつかむというより、赤い物を食べるついでに麺が絡んでくる、そんな光景のようにだって見える。
…美結がそんな物を食べているからか、周りからやたらとシャッター音らしきものが聞こえてくる。指摘して注意したい拓哉であったが、当然そんなことをできるような勇気もなく、気づいていないフリをしておくしかなかったのだ。
周りの視線とシャッターに耐えながら、なんとか拓哉と美結は完食した。(美結は周りに気づいていなかったが)
「おいしかったね」
「はい…それより、全部食べて大丈夫なんですかね?…体とか…壊してません?」
拓哉は最大の疑問を口にしたが、
「そんなこと気にしなくていいよ。月に3、4回は食べてるから、慣れてるしね」
美結は平然と答えた。
これには拓哉さんも反応に困り、
「はは、ソデスネ…」
とした言えなかった。
まあ、この料理店の前に立った時点で薄々予想はしていたが…まさかここまでとは。
だんだんと美結の体が心配になってくる拓哉。
急に倒れたりしないよね?AEDがどうとか、よく分からないんだけど…。
そうして席を立ち、食べ終わった容器を片付けた拓哉達は会計を済ませる。
拓哉は会計の時に気づいたが、この店、辛さレベルによってラーメンの値段は変わらず、700円らしいのだ。
たしかに、美結みたいな人にとっては良い店だろう。美結みたいな人にとっては…ね。
「さあ、先輩。次はどこに行きます?」
時刻はもう1時を過ぎている。
午後からはなにをするのだろうと思って美結に聞いてみる。
「……」
美結の返事を待っていた拓哉だが、返事は返ってこない。
「あの…先輩?」
心配になって声をかける。
どうしたのだろう…あんまり話していないことが裏目に出たのだろうか?いや…それとも……。
脳内で必死に答えを探す拓哉に返ってきたのは、今にも消えそうな、美結の声だった。
「ごめんね…ちょっとお手洗い……」
そうとだけ言って、美結は拓哉を店の前に残してお手洗いがあるであろう方向に歩きだしていった。
その足取りはとても不安定で、酒を飲んだ大人を彷彿とさせるようなものだった。
どうしたのだろう?何か悪いものでも…、
「…あ」
…そこで拓哉はある結論に辿り着いた。
(……食ってたわ、あの人。それも、すぐ前に。
…多分、あのラーメンじゃ…)
そう、あんなものを食べたから体を壊した。拓哉はそう解釈したのだ。…まあそりゃそうだ。あんなもん食って、体壊さない方がどうかしてるだろうから。
言ってしまえば、一時的な体調不良だろう。きっとすぐに良くなるはずだ。
(それならそうと、先輩を待つか…)
そこは、女子トイレ。
なんの変哲もない個室の中に、文字どうり今にも死んでしまいのそうな様子の女性が1人。
(危なかった…あんなとこでくたばっちゃったら、拓哉くんに申し訳ないもんね…)
女性は便座に座り、何度も深呼吸をする。
だが、依然として頭はクラクラするし、足は思うよ うに力が入らない。
やはり、服を買わなくて正解だった。
そんなものを持っていれば、体に負担がかかりすぎていただろうし、それに…。
(仕方ない…これを使おうかね……)
そこで、女性が懐から取り出したのは、手のひらサイズの瓶だった。その中には、瓶の中身の3割を占める錠剤。
女性は数なんて数える余裕もなく、一気に口の中に放り込む。
おかげで瓶の中身は1割にも満たなくなってしまったが、今はこれでいい。
女性はわずかに安堵の表情を浮かべる。
だが、これで全てが終わったわけではない。
所詮、その場しのぎのようなものだ。このまま遊び続ければ、また同じことを繰り返してしまうだろう。
(あらら…。今日は一段とヒドイや…)
誰に言うわけでもない言葉を心の中で呟き、気を紛らわす。
…やっぱ、このままは厳しいかな…。
女性はこれ以上は限界と悟り、2つの場所に電話をかける。
まずは1つ目。
「もしもし…。あ、お母さん?茅島モールまで、来て欲しいんだ。……うん。事情は…分かるよね…」
お母さんは、二つ返事で了承してくれた。今すぐにでも来るそうだ。
あとは…
「もしもし…仁野さんのお宅ですか?…あ、渚ちゃん?…あのね、お兄さんを茅島モールまで迎えに行ってあげてくれないかな?お母さんと一緒に。……うん、分かった。ありがとうね」
…拓哉くんも、これで家に帰れるだろう。
事前に家の電話番号を聞いておいて良かった。渚ちゃんに紹介も兼ねて聞いたことが、ここで役に立つとは。
PKLSをする時間は、後で家に電話をかければいいだろう。
…なぜか、彼は電話を持っていないから家に直接かけなければいけないのが少々面倒だが。
(ごめんね…拓哉くん。私から誘ったのに、勝手に帰って…。本当にごめんね…)
彼に伝えればいいものが、生憎、今の私にはそんな元気は無い。
そこで、女性もとい、美結はため息をついた。
(…つくづく、自分が嫌になる)
今日だって、"本当の意味で"彼と気楽に話すことはできないし、特別目立ったことは無かっただろう。
こんな"偽り"の自分は捨てて、早くミユになって…それで…。
そうした想像に思いを寄せているうちに、美結の体力は、なんとか歩けるレベルにまでは回復していた。
ふらつく足に力を込めて、女性はトイレから出て行く。
(じゃあまた後でね…ジンヤくん)