7話 初めての戦闘
今、拓哉達がいるのはオロスの森という場所だ。
はじまりの町の西に位置するこの場所は、いかにも初心者用のステージといった雰囲気がある。
だが、初心者用のステージとはいえ、景観は目を見張るものがあるのだ。広がる草原に、木々のざわめきが聞こえる。横になればすぐ眠れるだろうが、そんな命知らずなことは今の拓哉にはできない。
「ん、いたよ。ジンヤくん、見て」
と、ミユが指差す方を見ると、なんとも可愛らしい黄色いカエルがいた。大きさは僕の身長の半分くらいだろうか。僕が169くらいだから、85センチくらいと仮定しよう。
そんなカエルに武器を構えるミユ。
え…まさか…、
「え?あれと…戦うんですか?」
拓哉は思わず聞いてしまっていた。
こんなに可愛いく、愛嬌のあるモンスターを倒すのは気がひける、と思ったからだ。倒すにしても、もっと他のモンスターがいるだろう。
カエルはまだこちらに気づいていないらしく、ここから少し離れたところで座っていた。ここが草原でなければ、一般的なカエルの佇まいと言えるだろう。
(やっぱり…このモンスターは放っておいて良いんじゃないか…)
だが、ミユは拓哉の心の声など聞こえていない。
そしてそのまま、
「今からあいつ、やってくるから」
とだけ言い、カエルの方まで走っていくのだった。
カエルもそれに気づいたようで、ミユを警戒しはじめる。
そして、走って間合いを詰めたミユはカエル目がけて、手に持っている斧を力一杯振り下ろす。
「やぁ!」
気合いと共に森中に轟音が響きわたり、地面に小さい穴が空く。
「…いや、オーバーキル過ぎません?!」
その威力と倒し方には、拓哉も思わずツッコんでしまうほど。
ただ…これでは、あまりにもカエルがかわいそうだ。
あんないかつい武器でペッチャンコなど、カエルもたまったもんじゃないな…と思っていたその時。
「ジンヤくん!足元!」
突然ミユが叫んだのだった。
何事かと思い周りを見るが、何も見当たらない。
「違う!下だよ!」
言われて下を見るが、時すでに遅し。足元にいた何かは跳躍し、拓哉の腹に鈍い痛みを与える。
(クソッ…痛みは再現かよ…!)
拓哉はその場から吹っ飛ばされ、ミユの方まで転がっていってしまう。
さっと起き上がり、その姿を見るとその正体が分かる。
「君、油断しすぎ」
「いや、戦闘なんて初めてですし…」
「そんな事言ってたら、命いくつあっても足んないよ?」
そう、さっきのカエルだった。
多分、このカエルはさっきのミユの攻撃を避け、自分の方まで近づいて、体当たりをくらわせたという感じなのだろう。
方法がどうであれ、気を引き締めなければと思ったその時、拓哉の方を見たミユがびっくりして声を上げる。
「え?!君、体力減りすぎ!」
最初なんのことか分からなかったが、拓哉は視点の右上に表示されている値を発見する。
そう、この世界での拓哉のHPだ。前までは121あったのが、76まで減っていた。
…え?3分の1も減ってる…?
「油断してたし、クリティカルくらったのかなー?にしても、君弱すぎでしょ」
「仕方ないでしょ!始めたばっかなのに!」
ミユと軽いやりとりを交わすが、そんな余裕が無いのは拓哉自身が一番よく分かっている。
…よし、こうなったら戦おう。このままやられっぱなしなのは嫌だし、こんなところでくたばる訳にはいかない。
(僕だってやればできるってところを見せて、ミユを驚かせてやる…)
そう心に決めた拓哉は、メニューを開いて装備から、ふつうの剣 を装備する。
効果音と共に、急に手に現れるものだから、落としそうになったが、しっかりと手に収める。
初期装備だからか、木でできていて掃除で使うほうきみたいな重さと長さだった。
(こんなんでダメージなんて入るのかな…)
僅かな不安を残しながらも、カエルに啖呵を切る。
「よし!かかってこい!」
「お、かっこいいじゃないの〜。なら、私は見学〜」
と言い、ミユはその場から離れる。
(え…いや、一人で大丈夫だ…)
一瞬驚いたが、すぐに構え直す。
大丈夫、一人でやれる。たかがカエルに負けてられない。
すると、カエルがもう一度拓哉に飛びかかってくる。
だが、拓哉だって馬鹿じゃない。攻撃を食らう前に、左に飛んで回避する。
「同じ手は…食らうかあ!」
カエルの攻撃を避けたのを確認すると、すぐに左足に力を込め、もう一度飛ぶ。
そして、カエルに近づき、右手に持った剣で、カエルを斬りつける。いや、この装備の場合、叩きつける、が表現的に正しいんだろうが。
見事、攻撃はカエルにヒットし、吹っ飛ばされたカエルはよくわからない呻き声をあげる。
瞬間、拓哉の胸には何か熱いものがこみ上げる。
相手を斬った感覚、高揚感。…戦闘って…こんなに楽しいのか!
いつのまにか、拓哉には、わけのわからない興奮が湧き上がっていた。このまま行けば倒せる、突っ込めば…勝てる!
モンスターにトドメを刺そうという衝動、これが拓哉の心を染めあげていく。
(…このままなら…いける…!)
拓哉はこの衝動に身を任せ、剣を持ったまま、カエルに突進する。
カエルはこちらに気づき、右に飛んだ。…拓哉の予想していた通りに。
「そこだぁ!」
そこで拓哉は剣の動きを止める。途端にその場で急停止し、興奮と気合いの入り混じった声を上げながら、カエルを上に蹴り飛ばす。そう、まるでサッカーボールを蹴るかのように。
拓哉に蹴られたカエルは宙に浮いた。この間、カエルは身動きができないだろう。つまり…、
(ここが…チャンス!)
「うおおおお!」
落ちてくるカエルの体を真っ二つにするように、タイミングを合わせ、全力で斬りつける。
倒した、という確かな感覚。それを証明するかのように、カエルから、バリィン!という効果音が出て、体が消滅する。
(…これが戦い、これが勝利。なんて清々しいものなんだ…)
この時の拓哉は死の恐怖なんて忘れて、純粋に戦いを楽しんでいた。あの時はルールを聞いて気が動転していたが…いつのまにかその恐怖心は拓哉の中から消え、喜びとなっていた。
勝利の余韻に浸っていた拓哉の耳に、
「初勝利おめでと〜」
という声が耳に入る。
遠くから拓哉を見ていたミユだ。
「いやあ、すごかったねえ。最初はどうなるかと思ったけど、案外頼りになるじゃん。戦い方も途中からすごかったし」
「え?そうでした?」
「そりゃそうよ。あそこでカエルを蹴るっていう発想は無かったわ〜。私なんて、初めての時はそこらじゅう穴だらけにしたもんよ」
しみじみと語るミユだが、その姿が想像できてしまって、微笑ましかった。
そこで、ふと拓哉は思い出す。
(あれ…?…何であそこでカエルを蹴るなんてことができたんだろう…?…それに、カエルの避ける方向が分かったのだって…)
そう、拓哉はこのゲームを始めてプレイする、まったくの初心者だ。なのに…なぜあんな高度な動きができたんだ…?
まだ見ぬ問題の悩んでいる拓哉の思考を制止するかのように、めでたい効果音が流れる。
「お、レベルアップだね〜。メニューは開かれてるだろうから、ステータス上げてみなよ」
ミユに言われメニューを見ると、自分のパラメータと思われるものが表示される。
LV 2 HP 131/131 MP 70/70
攻撃 7 魔攻 4 速さ 5
防御 4 魔防 4 運 3
第一印象としては、割とバランスのとれたパラメータじゃないかと思った。HPが全回復していることから、レベルを上げれば体力は回復するのだろう。後はステータスの上げ方だが…どうするんだ?
拓哉が戸惑っているのを見るなり、ミユがしぶしぶ説明を始める。
「はぁ。まったく初心者って、私みたいな人がいないと苦労するんだねぇ…。
えっと…HPとMPはレベルが1上がるごとに10ずつ上昇。お察しの通り、レベルが上がれば、この2つは全快する。HPは体力で、MPは魔法を使うためのポイントだね。まあ、言わなくてもいいかもだけど、回復アイテムは町に売ってるよ」
なるほど、割と一般的な方式らしい。
無理ゲーじゃない、と言っていたミユの言葉はあながち間違いではないらしい。
「んで、攻撃は物理ダメージの値だね。防御も物理のダメージ軽減。魔攻と魔防は、それの魔法版、魔力とか魔法耐性なんて言うよ。速さは足の速さ。これによって跳躍力も変わってくるから、大切だよ〜?…え?運?これはクリティカルの受けづらさとか、とりあえず運に関係することの補正値みたいなもんかな」
「は、はあ…」
ミユの説明は分かりやすいものの、長くてよく覚えきれなかった。
いっぺんに言われると、大事なことを聞き逃しそうで怖い。その辺は後でヘルプから見ることにしよう、と密かに決める拓哉。
「そんで、これらはレベルが1上がるごとにポイントが貯まっていくの。1レベルごとに1ずつ。
それで、そのポイントをステータスに振り分けいくってわけ。最初からガンガン使っても構わないし、貯めておいて、能力に限界を感じたら使うもよし、って感じかな。…はいっ!説明終わり」
「これまた丁寧にありがとうございます」
元気な締めくくりをしたミユに礼を言い、ステータスの振り分けを考える。
(…このゲームはHPが0になれば、ゲームオーバーだ。…それなら、逃げ足を速くして戦線離脱ができれば、そのリスクは減るんじゃないか…?)
そうして少し悩んだ末、速さを選択した。
すると、拓哉の速さの値が5から6にアップする。
「へぇ〜、速さにしたんだ。何で?」
「いや、強いモンスターと戦って負けそうになっても、逃げきれやすくなるかな…なんて」
「おお、君は何度も挑戦して勝ちに行きたいタイプ?」
なんて、ミユは言ってくるが拓哉が速さを理由はそれ1つじゃない。
速く走れる人の気持ちを味わってみたい…なんて、このゲームにあるまじきバカらしい考えを持っていたことはミユに伝えないほうがいいだろう。
そうして、初戦闘を終えた拓哉達は町に戻ってきた。あの戦闘の後は、モンスターと出会うことなく(出会っていたら戦う予定だったのだが)難なく森を抜けたのだ。
そしてここは、あの時の酒場である。
さきほどと同じ位置に腰かけたジンヤは、どことなくひとりごとを呟く。
「いやぁ…。今日はなんだか疲れた…」
ジンヤは今日起きた出来事を思い返す。先輩と出会い、PKLSをプレイし、どうしようもない現実に直面し、モンスターを討伐し…。
そうして想いを馳せるジンヤに対し、ミユが疑問を投げかける。
「…君は…疑わないの?今日一日のこと…」
突然声の調子が変わったミユの声に、ジンヤは少し困惑する。
まるで、"なにか"を思い出したように変化した面持ち。その表情には、切迫詰まっているような、そんな思いがあるような気がした。
「…どういうことです?…疑う…とは?」
「…君はさ、あのゲームのルールについて、何も思わなかったの?…こんなの嘘っぱちだ!とか…。…変な嘘を吐くなよ…とか」
そう言って、どこか自嘲気味に話すミユに、ジンヤはますます頭を悩ませる。
突然何を言い出すのか、とも思ったが、おそらく今はそう言うべきではないだろう。
とても不安げなミユ。何があったのかは分からないが、このままの雰囲気は少し嫌だ。
少し悩んだ末、ジンヤが発した言葉は、
「…ミユが何故そんな事を言うのか分かりませんが…少しだけ信じてなかったですね…」
「…まあ…そうだよね…」
案の定、落胆しかけているミユに拓哉は言葉の続きを言う。
「…んでも、今なら信じられます」
ジンヤの答えに驚いているのか、ミユは何も言わなかった。
「あんなに沢山の理不尽なことを言われて、正気を保っていられる人なんてきっといませんよ…。でも、その後にミユが励ましてくれたじゃないですか」
微かだが、ミユの顔が明るくなったように見える。
「ミユはそんなつもりなかったかもしれないけど…僕は嬉しかったです。この人は優しい人だ、って直感しましたから。だから、ミユを信じようって。まあ、出会ったばかりの人間を信用するのはどうかと思うんですけど…ミユなら信用してもいいかな、なんて」
そこまで言い切ったジンヤは、頬を少し赤らめているミユを見て、自分の失敗に気づく。
(…て!何言ってんだ?!僕?!何告白みたいなことしてんの?!そんな臭いセリフ吐いたら、ミユだって恥ずかしくなるに決まってんじゃん!)
自分のミスに気づき、顔を紅潮させるジンヤ。
しばらくの沈黙が続いた後、二人はお互いに顔を合わせ、声を出して笑った。
冒険終わりだから、テンションが上がっているのだろうか?ミユと一緒にいるから?…理由はなんでもいいのだ。
( …やっぱり、ゲームは楽しまないとな)
「ハハ、やっぱジンヤ君はおもしろいね。…うん、やはり、私の目に狂いはなかったようだね」
「だと、いいんですけどね」
楽しそうに話す二人はまるで長い付き合いの友達のようで、会話が弾んでいく。
そうして、五分ほど話しこんだ頃、
「…んじゃ、今日はこの辺で終わろうか?」
と、ミユが言ってくる。
いくら現実の時間が止まっているとはいえ、長居することは良くないと考えたのだろう。
それを聞いた拓哉はあっさり、はい、と言いそうになったのを飲み込んで言う。
「いや、敵5体倒さなくていいんですか?!いきなり死んじまいそうなんですけど…」
「大袈裟だなぁ、君は」
大袈裟もなにも、命に関わる問題なんですが…。
そう言いそうになるのを抑え、ミユの話に耳を傾ける。
「大丈夫だよ、私が倒しておくから。そりゃ、あんなカッコイイの見せられたら、私も倒しに行きたくなるじゃん?」
笑いながら言うミユの言葉には、さっきの張り詰めた空気は微塵も感じられなかった。
ここで、本当ですか?なんて聞くのは野暮なのだろう。拓哉自身だって、まだモンスターを倒し足りない程だ。それをハタから見ていたミユが感じないわけがないだろうから。
そう考えた拓哉は、精一杯の笑みをミユに返し、ヘルプの下のログアウトの項目にタッチする。
《ログアウトします、よろしいですか?
はい いいえ 》
ログアウトをしようとした時、ある事に気づく。
明日も一緒にやるのなら、時間を聞いておかないといけないじゃないか。
「あれ?明日はどうするんですか?時間聞いてないんですが……」
すると、ミユは可愛らしく微笑んで、
「あ、その事なら任しといてよ〜」
なんて、軽快な返事をしてくれた。
この吸い込まれそうな笑顔を信じて、拓哉は、はいを選んで、パネルに指を重ねる。
(まあ…この人に任せておいたら大丈夫かな…)
すると、目の前が光り輝き、拓哉の意識を現実に引き戻そうとする。
そのまま流れに身を任せて、目を瞑り……。
このゲームからログアウトした。