05.領主の屋敷へ
源十郎がドリスへ着いて程なく、レイチェルの住まう屋敷へ招待された。
招待とは言っても、そのまま一緒に屋敷まで向かっただけの話だが。
魔石の換金やレイチェルの両親への説明もあり、3人は街の端にある大きな屋敷まで到着した。
「……大きいですねぇ。」
「先祖代々受け継いできた大きいだけの土地です、お父様は維持費が馬鹿にならなくて困ると嘆いております。」
「そりゃあ、庶民的なお父上で少々ホッとしてますよ。」
そう笑いかける源十郎につられてレイチェルも笑う。
ここへ至るまで源十郎はレイチェルの素性について聞かなかった。
専属の護衛がいること、そしてかなりの額になると言っていた魔石を代わりに換金すると言った事で、なんとなく良い育ちの家なのだろうという当たりはつけていた為だ。
ラインハルトが屋敷の門を開くと、蝶番のこすれる金属音が辺りに響き渡る。
それと同時に、屋敷の扉が開かれ、中からは源十郎と同じか、少し上か、スーツに身を包んだオールバックの男が外へ出てきてお辞儀をした。
「おかえりなさいませ、レイチェルお嬢様……と、はて……?馬車の方はどうなされました?」
「ただいま、セバス。馬車は……野盗に襲われ、置いてきました。」
「なんですと!?」
セバスと呼ばれた初老の男は、レイチェルの言葉に目を見開き慌てふためいた。
その様子を見たラインハルトは片手を上げてセバスに声をかける。
「そんなわけで、旦那様に報告させて貰いたいのだが、旦那様はお戻りでしょうか。」
「か、畏まりました……レイチェル様……よくぞご無事で……。」
涙ぐむセバスに連れられ屋敷内へ通されると、所々古ぼけてはいるものの、とても綺麗に掃除されている赤絨毯が源十郎の視界に飛び込む。
ここまで裸足でやってきた源十郎は躊躇するものの、満面の笑みで源十郎の手を引くレイチェルによって絨毯を踏みしめた。
「……海外旅行に来た気分ですねぇ。」
「ふふ、寛いでいってくださいな、ゲンジュウロウさま。」
家に辿り着き、ようやく安心出来たのかレイチェルは自然な笑顔を先程から浮かべていた。
どうやらとても元気な子のようだと、ここで初めて源十郎はレイチェルの素を見れた気がした。
前を行くセバスがその様子を見て、ハッとして自己紹介を始める。
「申し遅れました、私はこちらで執事を勤めさせていただいております、セバスと申します。」
「ああ、これはどうも、こちらこそ申し遅れましたね。源十郎です、旅は道連れと言いますか、奇縁でお邪魔させて頂きましたよ。」
「ゲンジュウロウさまは、私を野盗から救っていただいた恩人です。」
「なんと……!ゲンジューロー様……ありがとうございました……!」
セバスはレイチェルの言葉を聞いて、深々と源十郎へ頭を下げる。
感謝されるのは今日で何度目かと思う反面、レイチェルがどれだけ皆に好かれているのかも確認出来た源十郎は、自身の行動に間違いが無くて良かったと安堵していた。
それから屋敷の奥の扉の前でセバスが立ち止まると、3度ノックをする。
「旦那様、レイチェル様がお帰りでございます。」
「おお、帰ったか。通してくれ。」
中から聞こえた言葉に従い、セバスは扉を開くと、一歩後ろへと下がった。
レイチェル、ラインハルト、それに続いて源十郎が室内へ入っていく。
中では机で書類に目を落としていた男が、丁度レイチェル達へ顔を向けている所だった。
「お父様、只今戻りました。」
「お帰りレイチェル……と、変わった上着を着ているな?それから……後ろの御仁は?」
レイチェルの姿を見た男は不思議そうに首を傾げる、着ている上着は自身の見たことが無い作りの物、そしてレイチェルが持っていない服だった。
男の視線が源十郎へ向けられると、ラインハルトが一歩前へ踏み出た。
「レイン様、単刀直入にご報告させて頂きます。レイチェル様が野盗に襲われ、私を除く6名の護衛が殉職致しました。」
「…………なんだと?」
レインと呼ばれた男は一瞬ラインハルトの言葉の意味が頭に入ってこなかったのか、その言葉が口から出るまでに少々間が開いた。
しかし、理解が追いつくとレインが手にしていた書類束は机の上へと落下する。
「私の不徳の致すところでございます。」
「……よい、お前までもが負傷したとなると、相手は戦技使いか魔術師だろう。命を落とした者には悪いが、レイチェルが無事だった事が私には何よりだ。」
「はい、風の戦技による不意打ちでした。隊は壊滅、レイチェル様へ凶刃が迫っていた正にその時、こちらの御仁。ゲンジュウロウ様に助けていただきました。」
報告を聞き、レインはすぐさま席を立って源十郎の元へ歩んできた。
手を差し出すレインに習い、源十郎も手を出すと、その手をしっかりと両手で掴んでレインは源十郎に頭を下げた。
「申し遅れたが、私はこの娘の父のレイン、ドリスで領主をしている。娘を助けて頂き感謝する、ゲンジューロー様。」
「いえいえ、あまり気にしないでくださいな、たまたまあの場に居合わせただけですから。」
「例えそうであっても、娘に、レイチェルに何かあったなら私は狂っていただろう。本当にありがとう。」
ギュッと強く握られた手から娘を思う気持ちの強さを理解した源十郎は、ニッコリと微笑んで感謝を受け取った。
その様子を見ていたレイチェルもまた、嬉しそうだった。
「野盗のその後ですが、ゲンジュウロウ様に無力化され逃げ出したところを、サーペントタイガーに遭遇し血の海になりました。」
「…………サーペントタイガーだと!?」
「はい、そしてそのサーペントタイガーもゲンジュウロウ様によって……一撃でこうなりました。」
レインは魔物の名を聞くと握っていた手を離してラインハルトへ向き直る。
そのラインハルトの手には大きな魔石が乗せられていた。
ラインハルトの報告を聞いて、信じ難い物を見る目で瞬きしていたレインだったが、魔石の存在がその信憑性を物語る。
「……一撃……サーペントタイガーをか?」
「はい、報告に虚偽はありません。」
「失礼、ゲンジューロー様。最高アーツレベルは……幾つだろうか。」
「んー、生憎とあーつとやらは知らないんですよ。」
頭をペチンと叩いて笑って答える源十郎。
その様子を見るレイチェルは何故か嬉しそうだ、どうやら父親を驚かしたい子供心のようだが。
レイチェルの思惑は上手く行ったのか、源十郎の言葉に対してレインはもう何から驚いていいのかわからないようだった。
「レイン様、ゲンジュウロウ様はマスタークラスです。」
「……すまない、驚きすぎて言葉が出てこない。」
「心中お察し致します。」
その後、顔を真っ青にしたレインがセバスを呼び、人数分の紅茶を淹れさせると、改めて詳細を語った。
レインにとって、聞いた話はどれも耳を疑うような物だったが、その都度問われた事に、大した事はしていないと答える源十郎がまたレインの常識をかき回す。
そして大体の話が纏まった頃、外は夕日に染まっていた。
「……信じ難いが、理解した。しかし……アリエス様が呼んだマスタークラスとは……。」
「ちょいとお聞きしていいですかね。意味は何となく理解してるんですが、そもそもマスタークラスってのはなんでしょう?」
頭を抑えながらぼやくレインに、初めてマスタークラスについて問いかける源十郎。
その言葉にふむ、と一呼吸置くとレインは語り始めた。
「戦技については、ご存知の事と思いますが。」
「ええ、道中ラインハルトさんから伺いましたよ。」
「マスタークラスと言うのは、戦技を習う側ではなく、その元となる方。戦技無しでその強さを持ち得ている方々の事です。そもそも戦技自体が、マスタークラスに追い縋らんとする為に生み出された物ですから。」
「ああ、やはり私の認識で間違ってなかったんですねぇ。」
源十郎の想像してた内容は、道場の開祖と生徒。
マスタークラスとは達人の事なのだろうと。
そして同時に、自分が達人と呼ばれてる事を再認識して苦笑いを浮かべた。
「ふぅむ……どうやらマスタークラスと呼ばれるのは今後も慣れそうにないなぁ……。」
納得と共に源十郎から自嘲気味に小さく呟かれた言葉は、静かに部屋の隅でラインハルトの耳に届いていた。
------
箸の存在しない豪華な食事に苦戦し、首をかしげるセバスに白湯を頼み、綺羅びやか過ぎて落ち着かない入浴を済ませた源十郎は、魔法の明かりが灯された庭の隅で、正座のまま瞑想していた。
まだこの地に辿り着いて1日も経過していないが、自身の見知った世界が消えるというのはそうそう簡単に受け入れられるものではない。
表にこそ然程出さないものの、内心考える事が多すぎて参っていたようだ。
結果、あまり集中出来ない瞑想が続いていたのだが、そこに一人近づいてきた。
「……ラインハルトさんですか。」
「さすが先生、見ずして私だと気づかれるとは思いませんでした。」
「単なる消去法ですよ、お嬢さんは色々あってお疲れでしょうし、レインさんも今日くらいはお嬢さんについていたいでしょうしね。」
そう返す源十郎だが、やはり流石です、と返したラインハルトに苦笑いで返した。
源十郎からすれば何故こんなにラインハルトが自身を持ち上げるのかよくわかっていない。
危ない部分を救ったのは確かだったが、出会って半日程度でしかない自分にそこまで全幅の信頼を寄せられる程の事はしていないと考えていた。
一方ラインハルトにしてみれば、いや、少なくとも今まで出会った者たちにしてみれば、もし源十郎がそれを言葉にしようものなら「何言ってんだコイツ」と思われるだろうが。
「どうされました、こんな時間に?」
「…………いえ、虫の良い話かも知れませんが、ご助言頂きたく……。」
「助言ですか、私に務まりますかねぇ……。」
源十郎は立ち上がり、ラインハルトへ身体を向けた。
ラインハルトの表情はどこか申し訳なさそうに見える。
「……先生は、サーペントタイガーをも容易く両断しました。あれは……私にもいつか出来るのでしょうか?」
そう言葉を告げたラインハルトの表情は真剣そのものだった。
今日の野盗の強襲が起こるまでは、ラインハルトは自分に自信があった。
その自信の理由は戦技に依る所が大きい、試合で負けと言う負けを知らなかった事もある。
だが、不意打ちとは言え野盗に自身の部下が壊滅させられ、守りたい者すら目の前で手が届かなかった。
あの場面で例えそれを凌いでいたとしても、その後にやってきたのは絶望を形にしたような存在。
ラインハルトは、自身の腕を、自分への信頼を、心の強さを、今日一日でひっくり返された。
身体が小刻みに震える。
ここで源十郎から貴方には無理だとでも言われようものなら、きっと立ち直れないだろう。
「ええ、出来ますよ。」
しかし、源十郎から帰ってきた言葉はあまりにも短く、それでいて、さも当たり前のように頷かれた。
「……ど、どうすれば……っ」
「そうですねぇ、人に教えるのは向いてないみたいなんですが。端的に言うなら、斬りたいと思った物を理解する事、ですかね。」
「斬りたいと思った物を……理解?」
容易く肯定されてしまった事にラインハルトは焦りと興奮を覚える。
続いて聞こえてきた教えは、未だかつて誰からも聞いた事がない物だった。
戦技を上手く使うには戦技を理解するのだと教わってきた。
それがまさか、斬る方を理解しろなどと初めて聞いたのだ。
「ええ、とは言え私自身、理解できない時はゴリ押しちゃう時もありますが……。貴方は斬鉄が出来るんでしたね。」
「は、はい、全て……とまではいきませんが。」
「鉄を斬る時に、木を斬るつもりで斬ってはいけません。野菜を斬る時に、まな板を斬ろうとする者はいないように。何を斬るか、それを理解すればいいんですよ。」
ラインハルトは思い出す。
鉄をも溶かす蛇の毒液を斬ったあの刀を。
その後に見せられた微塵も傷などついていなかったあの刀身を。
そして本当の意味で理解する。
あの時、毒液を"斬った"のだと。
聞いた教えは出鱈目だった。
それが事実だとするなら、源十郎はサーペントタイガーを斬ったのではない。
その刀で、毛を斬り、皮を斬り、肉を斬り、骨を斬り、内臓を斬り、そして何より"血を斬った"という事だ。
ラインハルトは自分が今まで何を斬ってきたのかに初めて意識を向けた。
「……やっぱり、出鱈目です先生。」
「なぁに、焦らずとも貴方は若い、貴方くらいの時は私なんて鉄は愚か、切れたのは女の子との縁くらいでしたよ。」
ハッハッハ、と声を上げて頭を叩く源十郎に、ラインハルトも笑う。
自身の折れかけていた心が、源十郎に肯定されただけで容易く復活していた事にも笑ってしまった。
だが、その言葉は何よりラインハルトの心に響いていた。
次からようやく冒険者編ですかね。