01.神の領域へ
短編で書いてましたが、なんか楽しくなってしまって続き書いてました。
「……やれやれ、参ったねぇ……」
手の平を肌寒い頭頂部へ当て、ペチンと音を立てた男が一人。
何も本当に頭が寒かったわけではなく、思わず頭を抱えたくなったようだ。
開かれているのか、閉じられているのか、細い目で辺りを伺っている。
「ハッキリと断ったはずなんだが……。」
大きく溜息を吐き出した男の格好は"この世界"ではかなり変わったものだった。
白の着物に黒袴、そして黒の羽織と、腰には白木の長物。
そんな男が、何故こんな大森林のど真ん中に立ち尽くしているのか。
話は少し前に遡る。
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「……うーむ……参ったねぇ」
男は少し前でもやはり困惑していた。
その戸惑いは当然で、見渡す限り視界全てが真っ白の空間にポツリと立っていたのだ。
目に支障をきたしたわけでは無い、と判断出来たのは自身の見慣れた手が確認出来たからだろう。
一先ず目の心配をし終えた後は、頭の方を心配した。
心配と言えど、髪は既に無いのだが、そちらではない。
なにせ男は少し前まで畳の香りが広がる自室でお茶を啜っていたはずなのだ。
少なくとも、畳に大量の蛍光灯を仕込む趣味はない。
「……ふぅ」
鼻から空気を吸い込み、口から吐き出す。
やや混雑としていた頭も、少し冷静になれたようだ。
その直後、目の前に突如として少女が降り立つ。
表現を正すまでもなく、気配も、前兆もなく、本当に突然現れた。
「ようこそ、桂木源十郎。神の領域へ。」
「…………?」
白い透き通るような長い髪に、白銀の瞳で男の名を呼ぶ彼女からは神々しさが溢れ出ていた。
眩い程の神気に当てられるも、桂木と呼ばれた男は今しがた彼女の口から出た言葉に首を傾げる。
「聞きたい事はようさんあるが……一先ず。私は何故こんな場所にいるのかねぇ。」
「貴方は亡くなりました、よって今この地にいます。」
桂木の問いに淡々と告げる少女、何から何まで突拍子の無い出来事に桂木の顔から表情が抜け落ちる。
「死んだ……と?死因は?」
「心臓麻痺です。」
源十郎は溜息をついた。
何を馬鹿な……と言いたかったのだろうが、今己がいる場所を改めて見回してしまったからだ。
どれだけ現代の技術が発達していようと、こんな大掛かりな仕掛けを桂木個人に使う利点も方法も無い。
納得は出来ないが、理解してしまった。
「……それではここは死後の世界……と言う事ですか。」
「いえ、正確には死後の手前で、別の空間に貴方をお連れした段階です。」
「死んだ後も手続きか何かが必要で?」
「いいえ。端的に言えば、貴方には別の世界へ行って貰いたいのです。」
問答は止まる。
別の世界と言う物が彼には理解出来ない。
「……別の世界?」
「ええ、貴方の暮らしていた現代とは世界の理からして違う、言うなれば異世界。」
「……言ってる意味が理解できんのだがね。」
桂木源十郎、齢52。
パソコンやアニメなど触れたこともなく、持っているスマホはつい先日長年愛用していたガラケーが故障したから手にしただけ。
異世界、なんて言う言葉もピンと来ない。
「地球とは別の進化を遂げた世界、そこは魔物が蔓延り、剣と魔法で人々は日々を暮らしている。」
「……魔物……?魔の……物……妖怪や幽霊のような物かね?」
少女は初めて、源十郎の言葉に首を縦へ振った。
「私は神の使いが一人、アリエス。貴方を若返らせ、その地へ送ります。」
「……いや、断らせて貰おうかね。」
そう告げた源十郎の言葉に、アリエスと名乗った少女はようやく表情を表に出した。
目をパチクリさせながら首を傾げる。
「…………なぜです?」
「何故私をそこに送りたいのかは知りませんが、私は生まれ落ちての生涯に満足してるんでねぇ。若さを取り戻せる、なんて聞いても、じゃあ私が今日まで生きてきたのは何だったのかと言う事になるんですよ。」
「え、あの……貴方はもう亡くなっています、このまま転生ではなく死を望むのですか?」
「それが私の終わりだと言うなら、それを受け入れるのみですねぇ。」
源十郎よりこの上なくハッキリと告げられた答えに、アリエスは口をパクパクと開閉して次の言葉を探そうとしている。
元々色白な肌のアリエスではあるが、その顔色は今や真っ青と言って差し支えない。
「えっと、いや……困ります。」
「そう言われてもだね……。」
目に見えて狼狽え始めるアリエスを前に、源十郎もまた困り顔を浮かべる。
その直後、ここまで開かれているのか閉じているのかわからなかった源十郎の片瞼が、わずかに動いた。
アリエスの手が光りだし、何かの模様が宙空に描き出されたからである。
「……何をしているのかね。」
返答は無い。
源十郎からみて、アリエスから悪意や害意と言った気配は無いようだが、見に覚えの無い悪寒が走ったのは確かだった。
その動作は予想して行われたものではないだろう。
しかし、染み付いたとしか言いようの無い自然な動きで、無手の左手から、右手で何かを抜き放つ。
袴に隠された足運び、羽織でハッキリと見えないその動作の意味が、果たしてアリエスに理解できたかどうか。
決して早いわけではない、かと言って遅いわけでもないにも関わらず、気づけばアリエスの背後に源十郎がすり抜けていた。
目で追えるはずの速度を、目が追わなかった。
しかし、その異常性は一つで終わらない。
「……えっ……!?」
アリエスが驚きの声をあげるのも無理はない。
先程アリエスが発動しようとしたのは、源十郎を若返らせる為の魔法。
しかし、その魔法陣が宙空で無手の相手に無効化されたのだ。
「ば……ばか……な……どうやって……!?」
「いや、驚いてるのは私もなんですけどねぇ……。本当にここは現し世ではないようで……。」
ため息交じりにそう呟いた源十郎の手を見て、アリエスは目を見開いた。
いつ仕舞われたのか、最初から抜いてすら居なかったのか、そもそもどこから出したのか。
源十郎の左手には、白木で出来た反りのある刀が握られていたのだ。
「か、神の領域に武器を……!?いや、その何の能力も通っていない鋼の塊で……魔法を断ち切ったのですか……!?」
「すみませんね、できれば説明差し上げたいところなんですが。私自身も何やったのか今ひとつ理解してないんですよ。」
源十郎にしてみれば、魔法などを見たのも初めてだ。
アリエスが何をしようとしていたのかすらわからない。
刀は呼び出せると思って呼び出したわけでは無い。
今着用している服が、着ていて当たり前であるように。
ただ、いつものように。自然に。斬りたいと思った物を。斬ったのだ。
それは神の使いであるアリエスをもってしても、明らかに常軌を逸していた。
「…………!!」
「うーん……弱ったねぇ。」
アリエスは即座に新たな魔法を展開する。
今度は別の文字が書かれたものが、5つ、同時に開かれた。
しかし、源十郎は半分ほどまで抜いて見せた刀身を鞘へ再び収めた。
ただそれだけで周囲の魔法陣は消え失せる。
抜かなかったのではない、既に抜き放ち終わっていたのだ。
アリエスは絶望した。
「おねがい……します……!」
「……そう言われましても、私の意志はどこにあるんでしょうか。」
懲りず次弾を放つアリエスにキリが無いと再び溜息をついた源十郎。
今度はゆっくりとした動きでアリエスへ向かった。
ただ、源十郎が考えていたより、アリエスは覚悟を決めていたのだろう。
少し脅かしてやろうと思っていた源十郎を、アリエスは確固たる意志で見つめ返してきた。
そして大粒の涙を瞳から溢れさせながらも、目を閉じることなく、アリエスは食いしばる。
それを見た源十郎は思わず刀を止めてしまった。
「……私もまだまだ修行が足りないねぇ……。」
本当にほんの僅かな時間。
気づけば、刀を持っていた腕は魔法陣に呑み込まれていた。
そのまま徐々に腕先の感覚が消えていき、諦めた源十郎の瞳に、呆けた後、何かを言おうとしているように見えたアリエスの姿が映っていた。
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「やれやれ……これはしばらく鮨はおあずけだねぇ……。まあ、彼女の言が本当なら、既に死んだ身としてはわがままか。」
一体幾度目になるのかの溜息をついて、源十郎は辺りの木々に視線を向けた。
どうやら見知った樹木は無いようだ。
しかし、それよりも一番困っている事があるようで……。
「うーん……よりにもよって、靴が無いとはねぇ。足冷えちゃうなぁ……。」
源十郎はあの空間に行く前は自室で茶を楽しんでいた為に靴など履いていなかった。
どうせなら先程の空間で靴も出せばよかった、等と考えながらも一歩を踏み出す。
「さて……どこに行くかねぇ……。」
その一歩が、やがてこの世界に住む者達が彼の名を刻み込む一歩となる。