1話:フライオーバー・ハイ
飛ぶ理由に、無垢さを求めて良いだろうか。
ただ空を飛びたい。空のように青く。空気のように透き通るだけ。
誰かと飛びたい。自由に空を飛んでいるような誰かと。
戦うのは、きっとその後からで良い。
だって今は、純粋なままでいたいから。
青空。
視界には青い視界と、1機の戦闘機。空の中で360度回転、ターン。氷で踊るフィギュアスケーターのように、2人のデュエットは輝いていた。
雲はない。
空にキャノピーのガラス。そのガラスの更に中にはHUDの薄いガラスが、透き通る目で戦闘機を捉えている。
武装選択は短距離ミサイル。ロックオンの目標指示装置が敵機に定まらない。その焦りが右腕側にある操縦桿を折れんばかりに握らせていた。速く飛べているのにそれでもまだ追いつけない。敵機が機体を翻して背面ダイブ。追随して同じ機動、天地を逆さまにして操縦桿を手前に引く。かかるGは大きく首がシートに張り付いた。半周までに吐いた息が耳障りに感じる。
目線を上げれば、特徴的な二本の垂直尾翼と双発のエンジンを備えた敵機が視界から消えた。なぜ?と考える余裕も無い。自分がバテているのかも分からなくなっていた。
警告音。
機体をバンクさせて首を後ろに向ける。愛機だけが無感情にも背後だと教えてくる。
反対側へ旋回。半周でもう一度切り返して旋回。警告音。引き剥がせない。振り向けば敵機のノーズが、噛みつきそうな勢いで伸びてくる。はっきりと視界に映るまで近付いた敵機は撃ってこない。まだ。
急減速して機首上げをすれば、この距離感なら・・・。
「スカール7、ユーキル。反転して方位280で離脱しろ」
くそ。と悪態をついた。乱暴に酸素マスクを外して『了解』と応答する。演習終了が宣言され、私の前を敵機役が飛んで行く。翼を振って合図を受ける。私は真っ直ぐ飛ぶその機体を見つめ続けた。
その戦闘機の尾翼は、青く塗られていた。
見つけた。と思った。
国連航空軍第34戦闘飛行隊は、8機のF-16戦闘機で構成される、航空軍の中でもありふれた戦闘機部隊の1つである。『スカール隊』の愛称で呼ばれる彼らは、ハート型の骸骨をパーソナルマークとしている。
同航空軍パイロット、特別航空治維持飛行隊の一人、レイ・ハンター中尉は愛機のF-15C戦闘機の機上かタキシングしていく彼らのF-16を見送った。
キャノピーを開けてエンジンを切る。乾いた風がコックピットに吹き込んだ。頭上は雲一つない青空。汗が触れて涼しかった。ヘルメットを抱えて機体から降りると、先程までの演習相手であった戦闘機達は遠くにあって1列で駐機している。
それらを眺めていると、降りた1機のパイロットがこちらに向かって歩いているのが見えた。反対側に進む他のパイロットに対して1人で来ている。そのパイロットのシルエットがはっきりと見えるようになる頃には、女性ということと演習前に顔を合わせていた一人だということを思い出した。
普段なら気にすることも無く引き返していくところなのだが、真っ直ぐ向かってくる彼女をどうしてか見つめている。ずっとイーグルの側で佇んでしまった。
空から降りてきた冷たい風がエプロンを漂う。見つめ合った。いや、僕とイーグルのどちらを見ているのかは分からない。微妙な距離感だったから声をかけるにも遠い。風に乗ったジェット音が吹き当たる。
何故か表情ははっきりと見えてしまう。飛びたかっている、もう一度飛ばせて欲しい目だ。鏡で自分を見ている感情にかられた。
そのパイロットが引き返して行くまで、レイは立ち竦んでいた。
シャーロット・ロペスというのが、彼女の名前らしい。
この飛行隊は長らく欠員が出ていて、その補充の新米パイロットだった。この飛行隊長曰く素質の良い奴が入った、と。演習前の顔合わせに居た筈だが、コールサインとして記憶をしていたのみである。
部隊性格上、他の部隊と対戦闘機訓練をするのは少ない方だ。一般飛行隊と僕らとでは相手にするものが違う上、同じ戦闘機でも動きが全く異なる。『相手にならない』と言われるにも慣れている。だから演習をしてもすぐに忘れてしまう。
デブリーフィングを終えて遅めの昼食。ミネストローネをぱくつく。
「前、良いですか」
声をかけられて前を向くと、トレイを持った女性が見下ろしていた。
「うん。良いよ」
遅い時間だから食堂には人は少ない。それなりに広く席もかなり空いているのだが、と思いつつも座る様子を見届ける。ウェーブのかかった栗色の髪がふわりとなびく。シャーロットは雲のように座った。
それから無言で食べ進めて、残りはクラッカーを齧るというところで彼女が口に出した。
「あの。レイ・ハンター中尉。ですよね?」
「僕のこと?」
目が合う。自分のことだと分かっていてもわざと尋ねてみせる。彼女は頷いた。
「いかにも僕だよ。何か用?」
「えっと」
しばらく言葉を詰まらせる彼女に首を傾げた。目線を落とすと食事は殆ど減っていない。仕方なしに食べることを促してみる。半分ほど食べ終わるところを見て、同じ質問をするとシャーロットは目つきを変えた。
「あんな風に飛行機を飛ばす人がいるのかと思いました」
「あんな風にって?」
「まさか。あの飛び方は普通じゃない」
「それはもう承知しているよ」
レイは首を振った。そう言われたのは初めてではない。
「教えて下さい。どうやって飛んでいるのですか」
「どうやってか。それは教えるようなことじゃないんだよ」
「でも・・・!」
「僕らと君たちは飛び方が違う。それが全てだよ」
彼女は前のめりになった身体を直して、顔を伏せた。
自分達と通常部隊の区別は、やはりこのような言い方をするしかない。バンディッツが飛び方を違うたらしめているのだ。クレイジーだと思う。シャーロットはまだ知らないだけだ。諦めきれないと訴える顔。
「じゃあ聞くけど、少尉はどんな風に飛びたい?」
「どんな風に・・・。私の?」
シャーロットは口を紡ぐ。では、彼女は何になろうとしているのか。
再びの沈黙。突然に立ち上がり、失礼します!と駆け出して行く。あの様子ならまた来るだろうとレイは背中から感じた。
基地より少し北、空の低いところに飛行機が見える。
その飛行機はゆっくりと左回りに旋回していた。綺麗だ。姿勢が乱れず同じ円を描き続けている。簡単に見えて、これが難しい。普通に飛んでいるのでは段々と大きくなって螺旋になってしまう。このパイロットは筋が良い。
飛行機が右へ切り返して旋回を始めるところで、レイは先日の昼食際に言われたことを思い出した。
『あの飛び方は普通じゃない』
そうだ。普通ではない。
同じ機動をしても、翼から伸びたヴェイパートレイルがぐちゃぐちゃに伸びる方が自分たちだ。真っ直ぐ伸びるところを僕らはわざと複雑にしていく。そういう事を繰り返しているから”普通”ではない動きになる。
彼女は自分の飛び方に何を見たのだろうか。
「レイ中尉」
背後から声がした。振り返って敬礼をする。大尉のバッジだ。見覚えがある。レイは既に敬礼していた。堀が深く四角味のある顔が壁のようだ。
「第34戦闘飛行隊、飛行隊長ベッカー大尉。この間会ったばかりだね」
「自分に何か御用でしょうか」
「この間私の部下が君に失礼をしたと聞いてね。事実か?」
はて、とレイは首を傾げそうになる。数秒の間を置くと彼女のことを思い出した。
「ロペス少尉のことですか」
「そう、彼女のことだ。食堂でとのことだったが」
レイは迷った。別に何とも思っていなかったし、こうして頭上の飛行機を見るまでは忘れていた。自分にとっては珍しくもないことだから、風に流すかの様に済んでいた話だ。
「失礼ながら、自分は無礼とは感じていません。少尉とは少し話をしていただけです」
フム。とベッカー大尉はあまり納得していなさそうに頷く。レイはこの際話すことにした。彼女が自分の飛び方に興味を示していたこと。話した後、普通に彼女は立ち去ったと。
「人の飛び方に興味を持つのは、パイロットとして至極当然だと思います」
大尉はそうだな、と一息入れて話し出した。
「私も興味がある。君たちのようなエース級がどうやって飛んでいるのかと。我々が同じように飛ぶことが出来れば誰にも負けることはないだろう。しかし現実は分からない。バンディッツの何が君たちを飛ばしている?」
「バンディッツそのものです」
「それだけか?」
「空の存在そのものです」
真っ直ぐに見据えて答える。これだけは譲れないものだ。例え個人的な感情だとしても空さえあれば、何度でも飛ぶことが出来るのだから。
風向きが変わったのを見計らうように先程の飛行機がこちらに向かって来た。単発の戦闘機だ。誰もいない滑走路上空を、高速で飛び抜ける。右から左へ過ぎると機体を傾けて旋回上昇してあっという間に点になって行く。
「空か。彼女もそう言っていた気がするな。ところで中尉、君に再戦の申し込みが来ていてね。あのロペス少尉から名指しだよ。次にいつ飛べるのかと」
「それ程僕に惚れ込む理由も聞きましたか」
「いや、聞くまでもないだろう・・・。私からもお願いがあるんだがね」
「なんでしょうか」
「彼女の話を聞いてやってくれないか。才能が開花出来れば素晴らしいパイロットになると信じている。だからこそ、我々と一緒に飛んではくれないだろうか。そう思うのは彼女だけではない。私もだ。君たちのような存在が、パイロットとしての本能に刺激をくれる。ずっと普通に飛んでいるだけで満足できると思うか?中尉だってそうではないか?」
なるほど。とレイは心の中で頷いた。
「自分も、興味が出てきました。宜しくお伝えください」
戦闘機が右旋回して帰ってくる。青空に乱れなく、見た通りの円を描いて。そのまま直進、頭上を通り過ぎるコースを取る。雷鳴のようなエンジン音が空気を震わせて。
レイは視線をずらさない。じっと戦闘機を見つめる。いや、見なければいけない気がした。シルエットもはっきりしている。パイロットだって捉えることができるだろう。
矢じりのようなフォルム。単発のエンジン、楕円形のエアインテーク、デルタ翼の主翼、垂れ下がった水平尾翼。それが手前で左翼を下げてバンクを付ける。斜めになる機体、決して遅くない速度で突っ込む。
高速のフライパスが、見るもの全てを連れて行く。
その通り行く様に魅せられる。パイロットは見せつけたのだ、きっと。一瞬に羽ばたく翼を乗せて。
熱い風が空に混じって、乱暴に吹き荒れる。見上げた視界から空が離れて行かない。戦闘機は既に点となった。
レイは思わず口元を緩めそうになる。そうか、これかと呟いた。
彼女も同じものを見た。空の中で。
「あいつ。降りたら説教だな」
「聞いていたのかもしれませんよ。僕らの会話を」
ベッカー大尉は大げさに肩をすくめて、屋上から離脱していく。レイは付いて行かずに残った。飲みかけのミネラルウォーターを一口飲んで空に透かす。この色が飛ぶべき空の色を表している。そういう空からやってきた。
推力を絞った低いジェット音が聞こえる。レイはフェンスに任せていた身体を起こした。滑走路には背を向けて、歩き出す。
次に飛べるのはいつかな。
もう飛びたくなった自分を可笑しく思う。だが空の事を考えないのも自分ではない。
飛ぼう。
飛行機を飛ばす為に。




