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OVER THE CONTRAIL  作者: 三毛
MISSION 3:ネバーエンディング・レイン
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38話:フラグメント・スカイ

レオナード・クリステンセンは、「何も」と答えた男を静かに見つめた。


 空でドラケンのHUDから伝わる息吹は、確かに本物だった。絶対に自分を撃墜する意思があった。味方の2機までも彼に撃墜(おと)された。余程空に対する執着が無ければここまで速く動けないだろうとも。それに雲の中でも目が見えている。まるで自分たちの飛び方を吸収したかのように。一瞬、それが恐ろしく感じてしまったのだ。


 それが今は何なのだろうか。抜け殻だった。


「聞こう、何が見えた?」


 男がこちらを向く。胸のウィングマークと”レイ・ハンター”の文字。


「何も。真っ白なこと以外は、何も」


「そうだろうな。ここの空は、白いんだ。どうしてだか分かるか。我々のだからだ」


「違う」


 言葉に何か別の意味を含んでいるようだった。しかしこの男はそれを口に出さなかった。


 レオナードは、雨で湿り切った瞳を空に向けた。


「なら教えてやろう。レイ・ハンター」


 ついてこい。と部下に彼を抱えさせ歩く。誰も傘をさす者はいなかった。


「ここは昔から美しい森林地帯だ。時間はかかるが先に行けば漁業で栄えた漁師町だってある。この狭い土地に4つの国があるが、そのどれも境を、空を越えてどこも俺たちの故郷と呼べるものだ。空だって美しく見えたことだろう。お前が雲の上で見たものだ」


 頭上で轟音。戦闘機が降りて来たのだ。三角形の戦闘機、ドラケン。ただの道路だと歩いているこの舗装路も、彼らの滑走路だった。


「しかしだ、見上げてみろ。空は何色に見える?答えは言わん。お前が感じたものと同じだからな」


 自分がそう言うと、景色の色味が無くなっていく気がする。これで良い。


 基地への帰還を出迎える兵士たち。彼らも少ない。残党、という言葉の方が似合う気がする。皮肉なものだ。その先頭に立つ自分でさえが、こんなことを思うのだから。


 落ち着け。と仲間たちを制した。どういう視線を向けているのか分かる。客人として、もてなせと事前に言っておいた効果はあったかもしれない。


 小さな部屋に案内した。なんでもないただの部屋だ。なんでもないからこそ、どうとでもなる。自分たちの行く末、側にいる他所の空の住人。連れて来た訳。自分だって知りたかった。なぜ戦うのか。なぜ『彼女』がいるのか。彼女は全てを捨てたのに。


 空の舞台は地上に降りて。ドアを開いた。



エミリア大尉。


 レイは部屋にいた先客に向けて駆け寄ろうとした。しかし足に力が入らない。崩れるようにその場に倒れ込む。


「彼女はまだ何も話さないのか」


 僕を連れて来た男が、部屋に居る仲間に話しかけた。


「ええ。まるで抜け殻です。これがあの大尉だなんて信じられませんよ」


 ふうむ。と考え込んでいる。レイも予想外だった。


「大尉、エミリア大尉」

「レイなの・・・?」

「僕です。無事だったのですね。良かった」

「うん・・・」


 下は向いたままだ。声も良く聞こえない。


「感動の再開に浸れるところ悪いが」


 僕らの目の前にやってきて、真っ直ぐ見下ろしてくる。見つめるその目は、空で抱える負の感情を詰め込んだようだ。平時は柔らかな目つきなのだろう。本当の自分をどこかに捨て去って、この場にいるのかもしれない。


「自分はレオナード・クリステンセン。元スウェーデン空軍中尉。スカンジナビア連合第1飛行隊。初めまして、レイ・ハンター中尉。そしてお久しぶりです、エミリア・ヴァリーン大尉」


 僕は顔のある(・・・・)敵を見上げた。今度は名前が付いた。名前と顔のある敵。僕にとっての敵には、そのどちらも無かった。バンディッツという概念としての総称があるだけだ。


 彼の名前にエミリア大尉は肩をピクリと反応させる。知らなければこんな反応は示さないだろう。やはり、共に飛んだ仲間なのか。


「望まぬ形だが、一度会いたいと思っていた。本当はゆっくり腰を据えて話したいものだった。しかし戦ってしまってはそうはいかない。無礼を許して欲しいと共に、我々の行動も理解して欲しい。これは我々の空の為であると」


 レオナードと名乗ったパイロットは、先ほどの態度が嘘のように、かしこまった言い方で話し始めた。


「あんたの言う、空の為ってなんだ」


 レイは、問いかける。


「改めて言うことでもないと思うのだが。何が聞きたい?」


「僕は、他にももっと意味があるように思える。ただ一言空の為と言うが、僕らと戦ってまで守りたいものでもあるのか?その翼で?」


 見下ろす目つきが鋭いものに変わる。


「俺は、俺から奪った空を取り返している。ここは、俺にとってはかけがえのない場所だ。それを守りたくてなにがいけない。勝手に奪い、勝手に土足で入り込んだのは貴様たちだ」


「こんな、色のない空が取り返したいものなのか?」


「貴様に何が分かる。初めから青空しか知らないくせに。それとも貴様は、天の使者のつもりか?空は一色とは限らない。なぜそれが分からない。貴様が青なら、俺は雲の色だ。あの中に、今までの空が切り刻まれている。大尉、あなたのものだって」


『私はあの時見た空を、自分で作れる空を探すの』

『ここには、残した欠片が多すぎるから』

 

レイはエミリア大尉の言葉が、何かに突いて出てきたように思い起こされた。切り刻まれたもの、大尉のもの。欠片ではないのか。


「大尉。なぜ話してくれないのです。ずっと俺たちは、この空で待っていたのですよ。あなたの欠片を集めながら。やっと会えたのに。なぜです」


「レオナード、もう関係ないのよ。私は。取り返すどころか、私は捨てることを選んだ。だから貴方にそこまで言ってもらえる資格はない。今更こだわりもないのよ。捨てるその時に済んだ話。戻って来たつもりもない」


 目線を合わさず大尉が答える。レオナードは手が真っ赤になる程に握りしめて、腰から黒い物体を取り出した。拳銃がエミリア大尉に向けられる。


「やっぱり大尉もこいつらと何も変わらないのですね」


「違う!」


 叫んだ。レイは無意識に。


「あんたは逃げているだけだ。勝手に空を使って、そこに閉じこもっているだけだ。大尉は、自分のようになって欲しくなかった。あんたはいくらでも変われたし、大尉もそれを望んだはずだ。それなのにあんたは適当な理由を付けて空に八つ当たりしているだけじゃないか!」


 レイは胸倉を掴まれた。触れ合わんばかりに顔が近い。


「ではどうする?俺たちをバンディッツと同じ括りにして殺すか?その後はどうする?誰がこの空を守る、誰が悲しみを終わらせられる。それが貴様だとでも?自分の描く空とは違う空で散れると誓えるか?ここで、俺たちに!」


 誓えるさ。当然のように頭に浮かんできた。空がどこだろうと関係ない、守るべき空は一つしかない。見上げる場所が違うだけで、空には境目はないのだから。


 少しの間を置いて、小さく息を吐く。レイは答えた。


「誓えるさ。僕は誓う」


 レオナードはたじろいだ。瞳には明らかな恐れが見える。


「なぜ。俺はお前が分からない。なぜそこまで空に自分を預けられる。俺からすれば今のおまえは、無色透明にしか見えない。お前は、何者だ(・・・)?」


「空が僕自身だ。そして、空の青さを知る者だからだ」


「それがお前の答えなんだな。レイ・ハンター」


 彼は再びエミリア大尉、と声をかけた。


「大尉、あなたが彼らと飛ぶ理由が少し分かりましたよ。もしあいつが一緒にいたら、俺もあなたについて行ったかもしれない。けど、あいつもいなければ、俺は最後まで見届ける責任もある。空に手をかけた者として」


「レオナード・・・」


「俺は貴女があいつを撃墜(おと)したことを責めたりしません。今思えば、目が覚めたのだと言えるでしょう。ある意味では、あなたに撃墜されたかったのかもしれない。大尉、教えて下さい。あいつは最期になんて言ったんです?」


 エミリア大尉は答えた。


「『これで、良かった』」


「そうですか」


 銃口が一瞬地面に降りて、レイに向けられた。


「レイ・ハンター。もう一度俺に証明してみせろ。俺が信じることの出来なかった空を、見せてくれ」


 レイは静かに、しかし強く頷いた。


「立て。ここを出て左に行けばハンガーがある。そこに予備機があるだろう。武装も施してある。貴様にならこいつに乗れるはずだ。さあ、行け」


 良いのですか。と止める部下を彼は手で制した。


「大尉、また会いましょう。ここではなく、もっと高いところで」


 レオナードは微笑んでいた。もう二度と見ることのない顔に向けて。



 レイはエミリア大尉を肩で支えながら、湿った廊下を走り出した。


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