32話:ミッシング・フィーリング
雲を突き抜け現れた騎士たちはこう言った。
ここから、出ていけと。
空に境界線は無い。どこの誰でも、神様でも決められない。だが彼らにあるならば、それはあの白空に浮かぶ雲。なら雲は彼らの所有物か?違う。
そこまでの彼らに、一つ見たくなった。
この空の景色を。
警告。繰り返す。警告。
マニュアル通り、マニュアルどうしのやり取りなど挨拶の代わりにすらならない。とりわけ、これから撃つぞというタイミングならば。
無線越しの警告はやがて自機の警告音に変わる。警告、レーダー照射。
「ブレイク!」
ステラー2、エミリア大尉の声で散開する。4機のステラー隊が2機ずつのエレメントに分かれた。レイはエミリア大尉に付く。グリペンとイーグル。最高のペア。
細長く三角形の物体が突っ込んでくる。デルタ翼。想起される機体は3つ。判別は一瞬でやらねばならない。来た。
やや上方を4機が揃って通過した。機体色は深緑色。黒っぽい色も入っているようにも思える。機種は、グリペンではない。ビゲンとも違う。ということは。
ドラケン・・・!
左上昇旋回。腰が浮きそうな感覚を受けながら操縦桿を倒し続ける。スロットルレバーを前に、間髪入れず加速態勢。機体をねじって横にローリング。不明機はその間に離れて行くがついていけないわけじゃない。
「ステラー1よりウェザーマスター。敵機と認識して良いか」
「ウェザーマスター。発砲は許可しない。待て」
IFFはUNKNOWNのまま。不明機は散開せずに4機ぴったりで行動している。こちらに合わせてくるバンディッツとは違う。リーダー機の動きを待っているような仕掛け方。こちらの様子を伺うわけでもなさそうだ。
常に距離を取り続ける不明機。上は抑えられている。火器管制レーダーを向けてくる度に旋回とダイブでやり過ごす。だが降りすぎると雲が待っている。
空が狭い。
使える空があまりにも狭い。本当に彼らとやり合うならば、あそこに突っ込まなければ活路は無い。
「ステラー4!」
「っ!」
後方、雲から1機飛び出してきた。5機目か?ロックオン警告。
「ブレイク!」
操縦桿を右に倒す。空の景色が青空から眼下の白空へ。揺れ出す機体を感じる暇もなく、機体を加速させてダイブする。左回りに回るアナログの高度計、引き算されていくデジタルな数字達。勢いそのまま引き起こし。強烈なGに首が下がる。縦方向への宙返り機動。
天地逆さまに。向こうは天地のままに。背中合わせで僕は不明機、いや敵機と相対した。
深緑色のドラケン。ドラケンIIじゃない。先代のJ35だ。
細長い胴体。首元から末広がりに伸びていく二重三角の翼。突き出したエンジンノズル。滑らかに立つ一枚の垂直尾翼。これが、竜の名を冠する戦闘機だ。
イーグルが初めて飛んだ時から20年も前の機体とは到底思えない。バンディッツにも通じる機動の鋭さがある。まるでパイロットが乗っていないかのような。リバイヴ・ファイターがどんなものか、改めて実感させられる。
出来れば味方を振り切ってこちらに突っ込んでくる前に目の前の機体を撃墜したい。急減速。イーグルの背中に付いたエアブレーキが立ち上がる。翼に激しい水蒸気を描きながらドラケンの旋回機動に割り込んだ。
ガンサイト、イン。マスターアームを素早くオン。全搭載武装の安全装置解除。迷わずレイは機銃を選択した。レディ・ガン。
トリガーを押し込む。1秒半の射撃。100発近い弾が放たれた。ドラケンがロール。ひらりと躱してみせた。続けて雲にダイブ。レイは見逃さない。自分も雲に飛び込んだ。
一面の白面空間。空と言うよりは箱の中。自身を取り巻く環境が”空間”という実態を持つものに変わる感覚。五感が置き換わっていく。
目は使えない。だが、目はどんなことがあっても使わねばならない。レーダーと交互に見続ける。一寸先も見えない状況でレーダーは淡々と敵機との距離を伝えてくる。”光学的に”は距離があるが、”視覚的に”はすぐ目の前にいるかもしれないのだ。
それが、段々と人間を狂わせる空の病へと変化して行く。
レイはレーダー上でギリギリまで敵機に追随した。せめて視界に捉えようと。だが間違いだと気付くのには遅過ぎた。
目の前に現れる敵機。思わず機体を捻らせてブレイク。姿勢を立て直そうと旋回、水平飛行。レーダーを見て上昇。操縦桿を引く。
身体が上方向に浮く感覚。確かに機体は水平に戻って上昇が出来る筈。雲を抜けなければならない。けれど身体が浮いている。それも上に落ちている。
心拍数の鼓動と同時に、頭の血管に激しく血が流れる感覚も襲って来た。頭に血が上る・・・。機体は水平、いや逆さま・・・?
「ステラー4!ステラー4!」
操縦桿を引いて引き続ける。身体がシートに押し付けられた。急激な引き起こしに呻きそうになる。速度の感覚がもっと遅いようにも感じていた。
「ステラー4何をしている!」
ウェザーマスターの声がやけにうるさい。何をって・・・しまった。
レイは計器を見る。姿勢計、高度計、指示計、速度計。
すべてがめちゃくちゃだ。機体は逆さまどころか下向きにやや斜め、高度は下がっていて速度が速過ぎる。指示計が示す方位はめちゃくちゃに移動して最早分からない。これでは雲から脱出できない。空間失調から来る情報錯綜に脳が完全にショートしている。
姿勢計を頼りに機体を元の水平に戻しつつ高度計を見て上昇機動。それでも上っている感覚は無いに等しい。高度計の数値が増えていることを確認しながら操縦桿をゆっくり横へ倒してローリング、姿勢計が元の正しい位置に戻るのを確認。変に浮いている感覚が消える。高度計を頼りに真っ直ぐ上昇。速度そのまま、方位もそのまま。
一面の青空。雲から抜けた。同時に自機位置の確認。
「ステラー4よりウェザーマスター。自機位置を見失った。指示を乞う」
「ウェザーマスターよりステラー4、一体どこまで行っているんだ。方位170、高度はそのままで良い。直ぐに戻れ」
速度を上げつつ旋回、イーグルを駆り立てた。
雲に落ちて行く国連軍のイーグル。ちょっと残念だ。そう思う。
出来る奴ほど、弱いのだ。自分たちとドラケンは違う。
この空を、この雲を飛ぶそれだけの為に在る存在だ。そう易々と目の前で飛ばれていては困る。だが、あのイーグルは飛べていた。いや、飛べそうな気がした。
帰投する。宣言して、再び身を雲中に潜らせた。
青空は、眩しすぎる。




