30話:白き空と彼女の空
白い空。皆なら何を思い浮かべるだろうか。
例えば、雲が出てくると思う。これは正解。雲の量が多ければ更に良い。
次に。曇りの日。いや、白と言うよりは灰色と言えよう。あるいは雪を思い浮かべるのもアリかもしれない。微妙な答え。
自分で考えておきながら、やっぱり自分は青い空を飛びたいのだと強く思ってしまう。やめておこう。
国連軍第51飛行隊、特別航空治安維持飛行隊。通称SFSDのパイロット、レイ・ハンターは窓から流れる空模様をじっと見上げている。少なくとも30分以上は同じ事を考えていた。
「おはよう。レイ」どこからか綺麗なスウェーデン語の発音が聞こえる。
「おはようございます、エミリア大尉」
相棒のエミリア大尉だ。エミリア・ヴァリーン。彼女の挨拶はいつも母国語で交わす。僕も簡単な挨拶なら覚えている。Godmorgon。これがおはようだ。
「早起きね。みんなまだ寝てるわよ」
「大尉こそ。寝てると思ってたのに」
「きっと同じタイミングで起きちゃったのね」
くすりと笑ってから、コーヒーマシンで淹れて来たココアを差し出してくれた。エミリア大尉は甘めのコーヒー。
「今日は非番だけど、何か予定は?」
コーヒーを啜りながら、そう問いかけられる。レイもココアを飲んでから、
「特には。けど、そろそろお菓子を買いに行きたいかな。ストック、切れかけだし」
「本当好きよね。チョコとかたくさん種類あって、無くなっているところを見たことないわ」
「基地の外に良く行くお菓子屋があるんですよ。そこで買いだめして、逆に外出が中々出来ない時は届けてもらったりしていて。種類を多くしているのは僕が欲張りだから、ついついあれもこれもと増えちゃうからですね」
照れくさそうにレイは笑う。
「見慣れないお菓子持ってきたことあったわよね、かなり美味しかったけれどまたくれないの?」
「ああ、あれですか。新作が完成したということで特別に貰ってきちゃったんです。是非僕にって。大尉が気に行ってくれたようなら買ってきますよ。僕も大好きだから」
ザッハトルテをスケールダウンして、そこにラム酒の風味と果物が入った感じのだった気がする。エミリア大尉も美味しそうに食べていたのだが、それは前では言わないでおこう。
彼女の金髪の髪が朝陽に照らされて輝いている。笑顔はそよ風のように穏やかで、涼しげだ。普段あまり見せないような”素”がそこにある。流れる風のような自然さが。
「ところで、今日の天気はどうなりそう?」
「雲の量がちょっと多いかな。曇り後、みたいな。冷たい風が上空に流れ込んでいる筈なので、変わりやすい空模様だと思います」
「私にはただ晴れ空に雲がたくさんあるようにしか見えないけれど、そんなことも分かるのね。流石天気が得意なだけある」
「得意って程じゃないです。独学で勉強していた時があったくらいで。僕の予報なんて半分くらいにして下さいよ」
「でも、良い天気よね」
「・・・良い天気?」
エミリア大尉が唐突に言うので、レイは少々面食らってしまう。
「ねえ、レイにとって良い天気ってどんなもの?」
「僕は、青い空にしか、良いとは感じません」
「どうして?」
「僕が仰ぐのは青空しかないですから。つまりは青がそこにある限り良い天気です」
「快晴とかかしら」
「ええ。大尉は?」
そうね、とエミリア大尉も空を見上げて考える。
「私も勿論晴れ間が良いと感じるわ。でも荒れた天気も悪くないのよ」
「荒れた天気、ですか」
「そう。私が飛ぶきっかけでもある」
「どんな空だったんですか。それは」
「じゃあ目を閉じて」
言われて目を瞑る。周りが暗くなって当然、何も見えてこない。
「木々がざわつくような強い風。黒い雲と灰色の雲が入り混じった雨模様。あなたの傘はもう壊れかけで、風を押しながら歩く。すると、どこからか戦闘機の音が聞こえてくる」
視界に風景が広がった。世界は安易に、かつ具体的に広がっていく。僕は台風が作り出すような空を想像した。
「傘が飛ばされるくらいの強風を連れて、戦闘機が離陸して行く。真っ直ぐに上昇してこの空を突き破るとばかりに。空は対抗して雨脚も強くなっていく」
グリペンが垂直にズーム上昇をかける。見上げれば顔に雨が当たるが、とうにレイは気にしていない。
「あるところでそれが宙返り。そして水平飛行。機体はもう雲に隠れて見えるか見えないか。音をよく聞いて。機体は頭上を通り過ぎていくだろう。音を追ってじっと空を見上げる。何が見えたと思う」
「アフターバーナーの青白い炎が見えた。そこからは空の境目が引かれていく。まるでモーゼの奇跡のようにね。けど空だっていつまでも見せるわけじゃない。直ぐに閉じてしまう。それでも、その戦闘機が通って青白い炎を引いたところからは光が差し込んでくる。荒れた天気から差し込む光、決して天気が好転するわけじゃないけど、私は感動した」
雨上がり。いや、これは戦闘機や自然が作り出した奇跡を見たのだろう。いつか話したものを思い出す。あれはなんだったか。
「レイン、ブルー」
エミリア大尉が微笑むのがなんとなく分かった。
「ええ。これが見えるから私は悪くないなって思った。偶然だけど、戦闘機がこんな空を生み出せるんだ、飛べることが出来るんだって。私はあの時見た空を、自分で作れる空を探すの」
彼女の空に対する視線は高い。けれど高過ぎない。雲の漂う丁度、真ん中くらいにあるような気がする。そここそ、彼女の世界だと言うように。
「まだ、見つかりませんか」
「そうね。ここには、残した欠片が多すぎるから」
レイはもう一度空を見た。白い空。色では判別出来ないものが空にはある。エミリア大尉の描くものだってそうだ。見る者によって姿を変えていく不確定性な空間。
連れて行ってくれるだろうか。そんな空に。いや、僕が付いて行く。悲しみと出会うかもしれない。青空が救ってくれないかもしれない。レイにとってそれは怖さを意味している。
「もっと遠いところに」
「付いて行きますよ。僕は」
「全く、そういうところが本当・・・。良いわ。見せてあげる」
そしてまた彼女は静かに笑うのだった。
偵察任務が言い渡された。僕らがするということは、限りなく”面倒くさい”ところであることは誰の目からも明らかな事だ。
ノルウェー王国・ヌールラン県・ロフォーテン諸島。写真では美しいフィヨルドの地形と、海から突き出したように切り立つ島々、漁業が盛んな漁師町。北極圏に近いから冬の景色は絶景だ。オーロラも綺麗だし、観光地としては有名な部類に入るだろう。
そんなこの地域、正確にはロフォーテン諸島からスウェーデンの国境にかけての空に、小さな特異点が存在する。
いつからかここは『白空』、又は『止まない空』なんて呼ばれている。その訳は巨大な雲が横たわっているからだ。何かに縛られたかのようにピタリとも動かない。そして下界は雨ばかりの天気らしい。はっきり言って異常だ。年中雨が降る地域はオーストラリアのマッコーリー島で、最多306日は雨が降る。そのことを言えばまた始まったと相棒のギルベルト・リューデル中尉に茶化され、レイは気に食わない。
さて、と基地司令官からは新メンバーの紹介よろしく、見慣れない顔を寄越した。
「コールサイン、ウェザーマスター。この任務から君たちの支援に就く。是非とも頼りにしてやってほしい。今回の任務も天気絡みだ。役に立つだろう」
お天気キャスターそのままの爽やかな雰囲気。一体どこからそんな軍人を呼んでこられるのか、不思議でならない。
飛行準備が整う傍ら、レイはイーグルを見上げた。お前は飛べるか。そう問うてみる。
無言で頷かれた気がした。お前はどうなんだ、触れた鋼鉄の冷たさは、そう問い返されているようで、僕も同じように頷いて見せた。
「ステラー隊発進準備完了。レディ・フォー・テイクオフ」
青空と白い空の境目に向かって、大地を蹴った。




