29話:明日への空
空を見上げる。冬晴れの青空に戦闘機が舞う。今日は空の祭りだ。
わあっと歓声が上がった。高度300メートル程度の低空フライパス。高速で滑走路の上を飛んでいく。数秒と経たずに飛び切ってハイレートクライム、ファントムが真っ直ぐ空に突き進む。駆け抜ける轟音がその力強さを物語る。普段自分たちがどういうものに乗っているのか、分かるのだ。
戦いが終わってからは全てが雲の流れのように過ぎた。レインボーブリッジ破壊から始まった事件は、航空機を用いた前例のないテロリスト集団が攻撃したという発表に留まった。そこにはバンディッツという言葉も、特殊飛行班という名前も、私たちの名前も出ない。聞こえは悪いがこうすることで政府との間を取り持ったのだろう。下品な週刊誌が嗅ぎまわって私たちが編隊飛行していた写真の記事を上げても、数日後には消えている。
左手からファントムが降下しつつ進入、低空で模擬射撃。機首を上げて左上昇旋回。ファントムらしい低音で底から響くエンジン音に身を震わせた。およそ30年前に退役しきった戦闘機とは思えない迫力さは、地上にいるからこそ実感出来るものだった。子供時代の戦闘機と言えば、静かなのが多かったから。
篠原玲は立ったまま演目を眺めている。格好は私服だ。今は一般客と変わらず、そこに溶け込んで過ごしていた。自分の周りでしきりに写真を撮る人、買ってきた焼そばを食べる人、子供と談笑している家族は、当然私を知る由もない。だがこれで良いのだとこの瞬間を噛みしめる。普段自分たちがやってきたことを果たせたと思えば、それ以上の喜びなど必要ない。
特殊対策飛行班、いわゆる特殊飛行班は現在解体の是非を問われている最中だ。対バンディッツ部隊として立ち上げた反面、本当のところはあの”黒鳥”との因縁が遠山二佐にあった。二佐は初めから”黒鳥”が誰なのか分かっていて、決着を付ける為のカバーストーリーとしてバンディッツごと利用したと告白した。XF-3も、彼の言っていた通り切り札的な存在として使う予定で、開発チームにも彼の協力者が少なからずいたと言う。結果は”黒鳥”の早すぎた登場で狂ったものになったが。
戦闘機が奏でる雷鳴のように、全員は怒った。しかしやり場のない怒りの矛先が今更分かったところでもうどうしようもなかったのも事実だ。隊のイーグル乗りでリーダー的存在の君塚二佐が「終わったことだ」と諫め、ようやく向き合うことができた。
「玲」末川悟志二尉が背後から声をかけた。
「末川二…さん」
「この時くらいはそれで呼ばないと不味いかもな。いや、俺といる時はそれで構わないが」
「ええ。でもそればかりですね、いつも」
「俺なりの優しさだぞ。有り難く思えって」
「思っていますよ。いつも」
ファントムは演目を終え、順番に着陸。ドラッグシュートを展開して滑走路を減速。それぞれが演目を終えて帰ってきた。
「私たち、どうなるのでしょうね」
「わからん。ただ祈るしかないだろうな」
「どんな結果になっても飛べる環境にいられれば…私はそれで」
「ああ。翼まで奪われちゃ生きていけんからな」
「相変わらず辛気臭い話ね」
三条則子一尉が私の肩に手を当てて話しかけた。すっかり元気そうだった。後ろでは焼きそばやから揚げを頬張る御稜威ヶ原たちが見える。
「少しは忘れたら?こういう時間なのだから」
「三条氏は出来ているのですか」末川二尉が尋ねる。
「割り切りも大事なのよ。どうなろうと、私は生きていく。それまでは考えないつもり。自分で決められない飛行ルートに対してどう飛ぼうかと思ったってどうしようもないじゃない」
「相変わらず貴女は捻くれておいでだ」
「現実的だと言って欲しいわ、末川。受け止め方が違うだけ。悲観的にも楽観的にもなりたくないの。するべきことを見失うから」
「そのするべきが、今のこれだと?」
「ええ。だから忘れてこの場にいるんじゃない」
エンジンが切られて会場が静かになる。
「でも、一つ願うとすればあなたたちと同じかもね。私もパイロットの端くれ、翼を失うことはそれこそ考えられない」
「誰も知らなくて良い、誰からも表彰されなくても良い。だからせめて彼らとだけは一緒にいたい。それが私たちの居場所です」
「ええ。そう言えば篠原にはXF-3を完成させろと言ったわね。今回の事件で計画ごと立ち消えになったら私は許さないわ」
「どうして?」
「私の相手がいなくなってしまうから。まだ十分に競えてないじゃない。元々この部隊の機体をどれかに統合しようっていう話もあったのだから」
「思えば、最悪の出会いでしたね」
「あれは本心だから。早く相手になりなさい。DACTでまだ全力を見せてもらっていないし、篠原自身も」
「ふふっ…」
「なんで笑うのよ」
玲は小さく笑った。彼女なりの優しさを想う。
「本当なら怒るところだけど今だから許しておく。全く調子狂うわ」
「なんだ、揃って反省会か?」
「君塚二佐…!」
揃って小さく敬礼。なるべく目立たないように。
「何か続報でもありましたか」三条一尉が尋ねる。
「ない。いや、一つだけある」
玲を含めた3人が彼を見つめる。
「部隊は生き残る可能性が出て来た。解散するのは惜しいと」
「それだとパイロットは…私たちじゃないかもしれない。か」
「選択は迫られるだろう。原隊に戻るかここに残るか。どちらにしても準備はしておく必要はある」
デモスクランブルで発進するイーグル。吹き抜けの良い高いエンジン音が、空気に熱を入れていく。タキシング、滑走路の端まで走って行く。
轟音。ドンと押されたように加速し滑走路を蹴って離陸。そのまま機首上げ、まるでロケットが発射されたようなハイレートクライムを披露する。贅沢に二機もだ。ファントムと同様に瞬きの間には米粒で、私たちも空に届かない首を精一杯伸ばして、見上げた。
「短い間でしたけど、あんなに遠いところで戦っていたのですね」
旋回して演目に入るイーグル。玲は呟く。
「青いな」末川二尉も呟いた。
「私たちはあの場所を守って、ここに居る彼らの笑顔も守った。今はそれで良い。陰日向で明日への空を作り、また明日と繋いでいく。私は、それを誇りに思いたい」
イーグルは鳴く。泣かずに鳴く。私の上を飛ぶそれは自由を謳歌するための声を出す。それ以外を想うこともなければ、それ以上を想うことも無い。
“黒鳥”を撃墜してしばらく、撤収という言葉が飛び交う中レイ中尉と会話した。彼もそうしたがっていたのだ。
『もう帰られるのです?』玲は言う。
『呼び戻しがかかったらすぐにでも本部に戻らないといけません。それまでは日本にいる予定です』
『そうですか。決まっていないだけ、良いかもしれませんね』
『ええ。こうしてお話できる時間がまだ作れるということですから』
『このまま日本で飛んでいてくれた良いのに。なんてわがままでしょうか』
『わがままでしょう。けどそれを言えば僕も同じわがままだ。今くらい、空が許してくれますよ』
『空がだなんて、なんだか神様みたいです』
『僕らにとってはそうかもしれない。仰ぎ見る対象はあの青なのですから』
『分かりますよ。なら私もお祈りします。もう少しだけ長くなるように』
『欲を言えば、飛べるように』
『まだ教えてほしい事もたくさんあります、皆だってそう思っていますから』
8Gで旋回機動していくイーグルを見守る。あの時間近で見た彼の機動は、敵を撃墜することに特化していても、今のような美しさがあった。必ずしも戦う為ではない。と背中が伝えていた。それを私も受け継ぎたい。
その日の最後、こう話した。
『仮に今すぐ飛び立ってしまったとしても、また会えますよね?』
『会えますよ。だって空には壁は無いのですから。その時は、先に待っています』
『そうですよね。あと…最後に一つだけ』
『何なりと』
互いにハグをする。言葉は要らない。そこにあるのは戦闘機たちの轟音と燃料と汗の”残り香”。風に乗って身体に抜けて行く。
帰る彼らから伸びる飛行機雲は、真っ直ぐに私たちと彼らを繋ぐように伸びて行った。
―――
エンジンスタート。右から。火が灯り唸りを上げて。次に左。システムチェック、各部異常なし。正常作動、テストプログラムにも異常なし。トリム、ラダー、エルロンの操作チェック。異常なし。
「01発進せよ」
「01、了解」
ガタガタと伝わる路面の音。先へ飛び立つ戦闘機のジェット音。久しぶりの音、空気、空。サイドスティックを握って、スロットルを握って、長い長い滑走路に立つ。
「篠原二尉、早く離陸しなさい。あの4人に遅れるわよ」
「了解…!」
「01。ランウェイ03、クリアード・フォー・テイクオフ」
「了解。01、ランウェイ03、クリアード・フォー・テイクオフ」
翼を広げて空へ。私の空は、広く青い。
2章Fin
※写真は自己撮影のもの。




