28話:黒白(こくはく)の軌跡
操縦桿を倒す。追うのは1機の敵機、”黒鳥”。
交戦から5分と経っていない。時間の感覚が引き伸ばされ、キャノピーの外はまるで時間が止まったように動きがなく、1分1秒が永遠の世界に切り替わる。
自分の息などとっくに切れかかっている。無限に息が切れない身体だったらと、余裕のない頭で思う。イーグルもそんな弱音は吐くなと言うように機体を揺すってくる。
横には寸分の狂いもなく私に合わせて飛ぶもう1機のイーグルがいる。最強のウィングマン、イーグルドライバーであることに他ない。時折私を引っ張り、押したりと”黒鳥”と戦う飛び方をさせてくれるのだ。そしてこれは負けない飛び方、この短い間で学んだモノ。
ここは東京上空。いや、厳密にはあの空が狭く感じるまでにそびえ立つビル街の上空にいるわけではない。海と陸地の間くらいなところで、正確に言えば東京湾上空だ。
敵機が上昇旋回。ジャンプするように加速していく背中を見続けてどのくらいだろう。こちらもイーグルを加速させて上昇。敵の進路に回り込むようにしてなるべく直線的に上っていく。インメルマンターン、ヘッドオン。
素早くスロットルレバーにある武装選択を操作、短距離ミサイルをセットする。SRMの項目がSTBYからRDYに変わる。ロックオンの照準音が鳴り響く。
バレルロール。敵機がガンを発射。後ろに控えるレイ中尉がすかさず応戦、ガンを放つ。高速ですれ違う衝撃が伝って機体ががくんと揺れた。なんというパワーだろうか。下手をすれば敵機が放つ乱気流で私たちが失速してしまう。こうして翼が触れ合うレベルでの格闘戦をやるのは、いささか怖くもある。
右急旋回。大きく息を吸う。敵機も旋回してこちらを躱そうとする。だが純粋な旋回勝負ではイーグルに勝てる機体は少ない。それは過去の新型機として例外ではない。ならば、最速で敵を上回り続けることだ。
敵機が加速。機体を捻ってらせん状に降下。一瞬遅らせて私もダイブ。レイ中尉は敵の頭を押さえるように上空に控える。また警告音が鳴り響く、攻撃照準。
「ブレイク!」レイ中尉からの声が飛び込む。咄嗟に機体を倒して反転。
白い筋が伸びていく。ミサイルを発射したのだ。ほぼ真後ろ上空にいる彼に向けて。この瞬間に敵機も機体を180度反転降下、スプリットSという機動で私を躱す。くそ。
追跡に頭を動かして周囲を見やる。爆発炎が見えた。ミサイルを自爆させたのか。突き抜けるようにイーグルが黒煙から飛び出してくる。この一瞬でレイ中尉の背後にあいつがいる。玲は加速させつつ大きく回って旋回。進路を予想して今度はこちらからヘッドオンに持ち込む。
素早くガンに切り替える。操縦桿のトリガーを軽く引いてガンサイトオープン、照準…!
息を合わせるようにレイ中尉が左にブレイクする。真正面に敵機。こちらも向こうも進路を変えない衝突コース。我慢比べか、やってやろうじゃない。トリガーにかけた指はそのままに、速度も落とさない。曲芸飛行の類いならば凄い演目だったかもしれない。だが戦いともなれば、相手は本当にぶつかってでも墜とせればそれで良いのだ。
発砲炎が見えた。こちらは撃つ隙が無い。
機体を傾ける。”黒鳥”も反対側に傾けた。互いに腹を見せるようにすれ違う。ドンと叩かれるような衝撃。こんなことで怯まない、傾けた方へ素早く旋回。1秒でも回り込む時間が惜しい。背後につけた頃にレイ中尉が真正面から来た。
「敵機がブレイクしたら撃て、”ローズ”!」
「了解…!」
中尉の短いガン射撃。”黒鳥”が飛び込み台から飛び降りるように右へ急降下する。玲はトリガーを引いた。1秒半、約100発近くの弾丸が敵機に向けて吸い込まれていく。見越し射撃で敵より前、予測で撃ち込んだ。煌めく曳光弾の軌跡。真っ黒い機体で光った、数発命中か。
警告音。ミサイルアラートが響く。玲は唸りながらも急旋回、高速で激しいGが身体を締め付ける。瞬間、ミサイルは手前で自爆した。衝撃とミサイルの破片が飛び散る。ビーという損傷の警告音。目視では翼と背中に小さく穴が空いている。
更に警告音。敵機6時方向、攻撃照準。明確な殺気を背中に感じ取った。冷たい風がコックピットを駆け抜ける。無意識に身体が身震いした。滅茶苦茶な方向へ動かそうとする手をなだめる。イーグルの背中にあるスピードブレーキを展開。急減速してバレルロール。予想外だったのか彼がオーバーシュートして玲を追い越す。形勢逆転だ。レイ中尉も横に並ぶ。
「バンディッツに告ぐ」
レイ中尉が呼びかけた。敵の動きが鈍い今のうちなのか、何か狙いがあるのか。
「これ以上は無用だ。諦めろ」
投降を促したのか。叶うことならと私も思っていた、これで済めば。と玲は希望を抱いた。短い沈黙の後、無機質な声が無線から流れて来た。
「無用などない。貴様らの飛び方と我々の飛び方、どちらかが去り、どちらかが舞い続けるまで、終わりなど無い」
「ならこの状況、既に決まったと見えるが」
「貴様はまだ生きている敵に対して安易に勝敗を決められる程愚かなのか?」
「なんだと…?」
警告音。
「ロックされた!」玲は叫ぶ。
「くそったれ!」
“黒鳥”が加速する。今のロックはブラフだ。格闘性能に劣る筈のあの機体は、スペック以上のものをパイロットが引き出している。なんて奴なの、と玲は歯ぎしりをする。ほぼ全方位に撃てる火器管制、大容量の武装類、隙が無い。
「”スレッグ”より二機に告ぐ!」
末川二尉の声が聞こえて来た。
「沖合まで押し上げろ、一気に叩く!奴から離れるなよ!」
「了解。”ローズ”は右に、僕は左から追います。現在の高度は維持、僕が上って頭を押さえます。良いですね?」
「了解!」
スロットルレバーを前に、イーグルを加速させる。絶対に逃がさない。機体が大きく見えてくる。何度見ても黒いカラーリングに慣れることができない。見つめ続ければ、私があの機体の一部になってしまう。夢に見た手を伸ばしてくる光景のように。
右に行けば右に、上に上がろうとすればそれを抑え込む。もう地上の光は遠い。そろそろイーグルもイライラするだろう。もう少しだ。レーダーに友軍機、末川二尉の機体だ。前方正面に待機していたのか。ミサイルキャリアの彼は残りの弾をありったけ”黒鳥”に撃ち込むつもりなのだろう。
“黒鳥”が現れた時、彼は私たちと同等の数を揃えて挑んできた。第一陣、第二陣と2、3機ずつの編隊が順番に交戦、”黒鳥”本人は最速で乱戦を飛び越えて真っ直ぐ突き抜けたのだ。そして一番近い私たちが彼を追撃している。
「そのまま照準し続けろ!」
データリンクで目標を共有。末川二尉がロックオン、XF-3のウェポンベイが開く。攻撃態勢。
「FOX…」
「無粋な真似を!」不意に飛び込む”黒鳥”の声。今度ははっきりと『日本語』だった。
お互いにミサイルを発射した。”黒鳥”は1発。末川二尉は2発。距離的に前者は避けれても既に手負いの後者はブレイクする動きすらままならない。10秒と足らず吸い込まれて行くミサイル。”黒鳥”は見切ったようなハイG機動。
「舐めるなよ…!」
瞬間、XF-3が引き起こし、急上昇して旋回。明らかに過負荷だ。持つはずがない。玲は止めろと叫びそうになる。だが、止められない。見守ることしか出来ない。
何かのリミッターが解除されたかのように、まだXF-3は舞い続けている。両者のミサイルはとうに外れ長く飛ばずに自爆していた。玲は末川二尉の背後にピタリと付いた。良く見ておけと伝えるように機体からは自信が見える。
イーグルよりも一回り速い旋回。翼からは翼を覆うようにヴェイパーが現れている。流石の玲も食らいつけずに大回りしてしまう。ガタガタと揺れる機体から目を凝らしてその二機を追う。頼む、もう数秒だけ末川二尉を守ってあげて…。
「FOX3!」機銃発射(※空自内)の符丁だ。
“黒鳥”が跳ねた。驚いたように上へ飛び上がる。機体からは黒い尾、煙が出ている。上手く命中させたのか。末川二尉のXF-3は一方で力尽きたように下降を始めていた。
「ここまでか。玲、必ずやり遂げろ。それと中尉さん。こいつを頼んだ」
爆発。XF-3の翼が吹き飛んだ。”黒鳥”が何かを切り離した、あれで追い討ちをかけたのだと玲は即座に理解した。
フラットスピンで急速落下していく機体。どうすることもできない。玲は叫んだ。
「分かっただろう。まだ終わっていない」と”黒鳥”が言う。
「あんたああ!!」
「落ち着け”ローズ”!下がれ!」
スロットルレバーを全開に。ドンと勢いよくイーグルが跳躍する。距離は近い。もう射程には十分捕らえている。ミサイルリリースのボタンに指をかける。ロックオンはとうに済んでいる、後はこいつに全弾撃てばそれで良い。
「落ち着け!」
目の前にレイ中尉のイーグルが割り込む。玲は堪らずブレイク、左に機体を逸らした。
「邪魔しないでください!これは私の…!」
「見失うな!そんなこと後でいくらでも出来る、お前は話がしたかったんじゃないのか!」
くそ!とキャノピーを叩いた。照準を解除する。
「バンディッツ。いや、”黒鳥”。お前に尋ねたい」レイ中尉が語りかけた。
少しの沈黙があって、”黒鳥”も動きを止めた。だが緩やかに旋回し続け、動きを止めることは決してしない。そして再び声が聞こえた。
「その愚かさに免じて答えてやろう、”白帯”」
「お前は何の為に今こうして飛ぶ。復讐か?」
笑い声。本当におかしいと示すかのように”黒鳥”は笑っていた。不思議なことにこの笑い声だけとても人間味を感じた。無機質な声音が嘘のように。
「貴様程のパイロットからそんな稚拙な言葉が出てくるとは思わなかった。これが復讐に見えるのか?そんな直情的な感情で飛んでいるのならとっくにこの国は火の海だ。そんな事貴様だったら分かる筈だろうに。下らないことを言うな。白ける」
「なら」と玲は自分を落ち着かせつつ声に出す。
「”白帯”の片割れか。なんだ」
「私たちに戦争をさせたいの…?」
「いや」彼は即答した。明確に自分の意図とは違うのだろう、返答に迷いもなく『いや』と言い切って続ける。
「だから言っただろう。それなら火の海にした方が良いと。戦争がしたいのならいくらでも手段はあったが、何かを変える手段としてそれは適切ではない。では貴様たちに聞こう」
息を飲む。集中する。心拍数は落ちて行く、大きく深呼吸して備えた。
「本当に何かを守りたいと思ったことはあるか?」
当たり前のように飛んできた自分にとって、改めて問われるまでもない質問。胸を張って答えられるべきものなのに、彼の求める答えは、翼よりも重い。口が思うように動かない。開きかかって止まったままだ。
「貴様はこの空で何を守る?私から何を守る?聞きたいのは片割れの方だ」
『俺たちは飛ぶか飛ばないかじゃなくて、飛ぶんだよ』
『貴女には帰る場所がある』
『でも私は航空自衛官です。国民を、この空を守る義務がある。一人の防人として選ばれたからには、それを全うする責務もある。立場こそ違うけど、中尉とすることは変わらない』
思い出す。今までのことを。だから、くどいくらいの質問はここで断ち切るのだ。
「自分が貴方から守りたいと思ったもの、全てを。私が飛べるこの空を」
「それが貴様の答えか」
「二度は言いません。それが答えです」
「そうか」
“黒鳥”が加速した。あっという間に自分の背後に回ろうとする。だが機体から更に黒煙が上がる。玲は機体を反転。追撃態勢。だが見えない。
「右だ!」レイ中尉の声。
上にブレイク。イーグルが羽ばたく。下方を通過して行く”黒鳥”と中尉。玲も機体を左に倒して旋回降下。やや後方につけた。
西日に照らされる”黒鳥”の機体。黒い機体色が赤味を帯びたグラデーションを映し出す。燃え尽きる炎のように、空で輝いて見せている。
「ならば今すぐここで守ってみせろ!」
前方にミサイルを発射した。対地ミサイルなのか無誘導で対空ミサイルを撃ったのかは分からない。明らかに東京の街へ向けて撃ったのだ。着弾までに彼を撃墜せなければ…。時間が無い。
「”ローズ”、良いですか。次の旋回で仕留めます。僕があいつのコースに割り込むので撃ってください。あの機体は旋回すれば余計に失速する。僕が行けば持ち直す余裕は無いでしょう。そこを狙います」
「でも、流れ弾が当たるのでは?」
「全部避けてみせますよ。それに、無駄弾をするほどの腕じゃないって信じていますから」
「レイ中尉…いや、ステラー4、”ローズ”了解…!」
レイ中尉のけん制射撃。”黒鳥”がシザースの兆しを見せた。構わず突っ込む。彼は堪らず旋回した。だが機体を翻して素早く反対方向へ動こうとする。レイ中尉が逸れた。だが…今だ。
「撃て!”ローズ”、撃て!」
ガントリガーを引いて、引き続ける。バルカンが吠え機体が揺れる。構うものか、近くなっていく目標。それでも撃ち続けた。玲も咆える。
”黒鳥”の右主翼が飛び散った。ノズルからは炎が噴き出す。姿勢を崩してスピンしていく。翼をもがれ、イーグルのかぎ爪でようやく捕らえた、”獲物”だ。
「良くやった…」途切れ途切れに声が聞こえる。
「今なら脱出出来る時間はあります」
「良い。これで。最後に、見れて良かった」
「”黒鳥”、お前は、本当にバンディッツになるようなパイロットでは…」レイ中尉も言う。
「言うな。元々お前たちとは表裏一体…、務めを果たさせてくれ」
「馬鹿な奴だ。あんたは」
「ふ…。せいぜい、新しい我々を生まないように励むことだ」
爆発。文字通り機体が粉々になり、空に還った。玲は敬礼。彼もまた答えを探して今日まで彷徨い続けた空の漂流者だった。答えを求めた先が間違っていただけで、もしかしたら一緒に飛べた空もあったかもしれない。だから願わくば、元の仲間の元へ。
「こちら”ローズ”。”黒鳥”を撃墜した。ステラー4も健在」
無線からは歓声よりは安堵の声が漏れてくる。
「レーダーからの消失をこちらでも確認した。良くやってくれた。既に他の分隊もバンディッツを撃墜し、増援も認められない。ミサイルと思わしき物体も消失した。合流し、帰還せよ」
「こちら御稜威ヶ原、見つけましたよ!末川二尉は無事です!」
「みず…貴方も…」
横を飛ぶレイ中尉が、飛び立つ前と同じように拳を挙げる。私もそうした。酸素マスクを外して深呼吸。勝った。赤い夕陽は、戦う色ではなく夜の訪れを報せる色として、私を照らし続ける。今は、それを喜ぼう。泣くのは後で良い。
「そうか。やったんだな、玲」
頭上を飛び過ぎていくイーグル。末川二尉は小さく微笑んだ。
※写真は自前のものを使用しています




