24話:メッセンジャー(1)
『また会いに来る』
青い空が二日過ぎた。
航空自衛隊・特殊飛行班の篠原玲は、手書きでメモ帳に書き殴る。これまで起きたことを順番にぎっしりと、自分でしか分からない字で。時折ジェット音と窓から空模様を見上げて、じっとメモ帳に向かい合った。
外気温は10℃。室内は空調があるとはいえ、僅かに差し込む日の光でさえ恋しくなる。こう言っては何だが、自然の暖かさの方が玲は好きだ…そんなことまで書いてしまった手を一旦止めた。落ち着けと。
『また会いに来る』。彼らはこう残していった。レイ中尉がいる方は『また会おう白帯』。バンディッツなる敵が喋ったことはないらしく、ステラー隊の面々も驚いていた。
このメッセージは一体なんだ。わざわざ言う必要のある一言なのか。ある種の犯行予告と受け取れる。現に、私たちも含めて出迎え―――こう呼ぶのも不適切だが―――する準備を大げさに進めているところだ。
「なんて書いてあるんだ、それ…?」
「ぎゃっ」
先輩の末川悟志二尉が後ろから覗く。
「み、見ないで下さい!」さっとメモ帳を胸に抱えた。
「悪い悪い。あまりにも真剣に書いてたもんだからな、気になっちまった」
「乙女のトップシークレットです。不可侵ですよ」
内容的にそんな訳はない。
「良く言うよ…。いや、お前のことだから大体予想付くが」
「なんでもお見通しですか」
「これでも先輩だからな。ところで、飯でも食いにいかないか。玲」
ご飯を食べに外に出る。行先はラーメン屋。今日は日曜日、少し混んでいた。
厨房から噴き立つ湯気に幻影を見た。あの黒い戦闘機。私たちの敵。もくもくと迫る湯気に乗って、突っ込んでくる。死など顧みず、機体を当ててでも殺すというように。ミサイルも撃ち、ガンも撃つ。撃ち尽くせば自分の身体。これではまるで殉教者だ。
「わぁっ」
茹で上がった麺から発する湯気がぼうっとする顔を直撃した。情けない声に顔を伏せる。
「おい大丈夫か?」横から末川二尉が言う。
「大丈夫です」
本当かという顔をする。
「なぁ、お前が何を考えているかは知らんが、とりあえず食え。今は食え。食う時まで考えるなんてするな。玲の分払っといてやるから」
「本当です?」玲は勢いよく顔を上げた。
「お前そういうところあるよな…。マジだから、これは上官命令ってやつだ」
シンプルな醤油ラーメン。麺は細くて軟め。味は薄めだけど焼豚がしょっぱいからバランスがあり、混ざると甘味が出る。つやつや輝くスープは照りつく太陽を反射する海のように綺麗だった。
自然と箸が動く。既に玲は夢中になって食べていた。胡椒やお酢などは入れない、そのままが味わいたいから。あまりそういった後付けの味は好まないのが玲の趣向だ。
時折水を挟みつつ味わい、スープも飲む。最後の一滴というか、麺が名残惜しい。だが食べねば。レンゲで掬って、一緒に。
「そんなに美味かったか?」
にやにやしながら末川二尉は話しかける。
「美味しかったです」
「そいつは良かった」
玲はわしゃわしゃと乱暴に頭を撫でられた。
ただご飯を食べに出ただけだと言うのに、妙な充実感がある。ここへ来て一ヶ月、全てがジェットコースターのように過ぎた。空は朝昼夜を繰り返し、私は飛んでを繰り返した。空を飛ぶのが好きだった筈なのにその感覚すらも忘れかけていた。
忘れるな。
レイ中尉と話した内容が私の全てだ。バンディッツにかき乱されては駄目だ。彼らと戦うのはそう言うことだと思う。
複雑に絡み合う要素…、バンディッツ、日本人パイロット、国連軍との因縁、そしておそらくは自衛隊や日本との間にある、”何か”。
特殊飛行班のパイロット達は薄々感づいている。因縁を晴らす為に自分たちが使われ、共倒れになったとしても構わないかもしれないと。上は全てを知っている。
『また会いに来る』というメッセージ。そのメッセンジャーたる黒鳥のパイロット。ただ本当に会うだけならば、どんなに良いことか。
そんなことを考えても、このメッセージに沿って物事は進んでいる。誰かがせき止めることも、いきなり終わらせる事もできない。つまりは私たちが戦って決着を付ける以外選択肢はない。
私たち、いや私は撃てるだろうか。バンディッツを?あれはバンディッツである前に同じ日本人だ。同じ国の人間を、道が違うだけで撃てるのか?
玲は考えるままにメモにそう書き殴った。
基地に着くころにはすっかり暗くなっていた。西の空はうっすらオレンジ色がかかるだけで、あと10分もしないうちに別れを告げるだろう。
「末川二尉」
売店でコーヒーを買ってきた彼に、話しかけた。
「だから二人の時はさん付けでも良いって…」
「彼らの目的って、何なのでしょうね」
「なんだ。その事か…」
ふぅ、と息を付いて誰もいない喫煙所のベンチに座る。玲も倣う。
「この間は行動原理がなんだって言ってましたけど、私たちが撃てないの知ってて、戦争でもしたいんですかね」
「戦争か。そんなもの、とっくに始まっているのかもしれないな」
プルタブを開ける手を止めた。
「俺たちは結局、無自覚のまま気づかなかった。ここまで来て、仲間が死んで、何回も飛んで、それでも分からない。バンディッツが日本人なのも、俺たちに戦争を忘れるなと言いたいのだろうと。そう思ってる。物騒なメッセンジャーだがな」
「戦争を、忘れるな…?」
「ああ。10数年前の大戦に巻き込まれたばっかりなのにって自分でも思うけどな。でもあの時とは状況が違う。あいつは、本気で撃ちに来させたい。あの時奴は撃てるのに許されず撃墜された。だから試してる。それでも本気で俺たちが撃たなかったら今度こそは、東京は火の海になる」
「なんで、そこまで分かるんですか」
「分かるさ。あいつは….いや、なんでもない」
末川二尉は立ち上がる。
「まだそんなことを話しているの、末川二尉、篠原三尉」
「三条則子、一尉…」
二人は慌てて敬礼をする。
「貴女、てっきりもう覚悟はしてきたのかと思ってたわ。最近の飛び方にキレがあったし安心していたけど、私が違っていたようね。今更何に迷うっていうの?」
「一尉、違うんです今は」末川二尉が割って入るが構いなく近づく。初めて話した時のように。
三条一尉が玲の胸倉を掴む。同じくらいの身長だが、今は玲が小さい。
「私前に言ったわよね?これは訓練じゃなくて実戦だって。中途半端で何考えてるか分からないなら帰れとも、私があれに乗った方が良いともね。国連軍人と良く会って何を話してきたのか知らないけど、貴女の飛ぶ意志がその程度で止まるなら今すぐに機体を譲りなさい。私でも誰にでもね!!」
身体を揺さぶられる。玲はうつむいたまま、なされるがまま。
「なんとか言いなさい!言え!」
「私は」
私は、私はと何度も言う。私は、
「私は、本気で誰かを撃つために、この飛行機を作ったんじゃない!!」
自分でも訳が分からない程の声が出る。あまりの声量に三条一尉が慄く。
「この飛行機は、あの機体を任されたからには、私より後のパイロット達も安心して長く飛べて空を守れるようにって…、私は今ここで戦いたいんじゃない!あの機体に今そんなものを背負わせたくなんてない!最初に撃つのが実戦で、しかも同じ日本人だなんて、そんなの、そんなの酷過ぎる!私が託したいのはそんなことじゃない!」
握りしめた拳が震える。全身もそれに呼応するように震えた。普段は怒らない彼女でも、譲れない何かに触れたのだ。
「この…っ!」
三条一尉が殴る。そして再び胸倉を掴んだ。
「なら今ここで貴女が背負いなさい篠原三尉!これからあれに乗るパイロットが撃たなくて良いように、今貴女が撃ちなさい!本気で託したいのなら、戦う罪を背負うのよ!!」
どこか三条一尉も悲しそうな顔をする。どうして一番覚悟が出来てそうな人間が、そんな顔をするんだろう。玲は不思議と冷静に返る。
「私だって怖いわ。この上無くね。怖くない人なんていない。けどね、私は私以外の誰かが同じように撃つ光景なんて想像したくない。だから私がやるの、例え私が最後の一人になったとしても変わらない、絶対にね」
「どうして…そこまで言えるのですか。教えてください三条一尉。どうしてなんです」
「…帰る場所が無いからよ」
三条一尉も殴られたままその場に座り込む玲の側に、腰を降ろした。
「貴女はこの部隊が適当に集められたと思ってる?違うわ。私みたいなはみ出し者が寄せ集められただけ。名目通り、腕利きが揃ったかもしれない。けどここに来たらもうおしまい。多分死ぬくらいじゃないとね。機体もかわいそうだと思わない?こんな目に付き合わされて、きっと怒ってるわ」
「三条一尉…」
「でも貴女には帰る場所がある。篠原三尉、ならこの時くらい背負いなさい。後で世間から後ろ指を指されて、人殺しだなんだって言われても後に続くパイロットが出ないように、その身に泥を被りなさい。この戦場がXF-3にとって絶好の実験場にされてるなんて私でも分かる。だから意地でも生き残って、完成させてやりなさい。降ろされたとしても、まだ道はある筈よ。本当に戦う相手は身内にだっているのだから。私は少し、羨ましかったのかもね。貴女が」
「そんな、そこまで言ってくれなくても」
「良いのよ。言いたいことは今言う主義なの。これだから嫌われるのだけどね」
くすりと笑う。そこには裏表はなさそうだった。
「良い?さっきも言ったけど、身内に気を付けなさい。バンディッツが日本人なのも、私たちが使われているのも、貴女たちが機体ごと持って来させられたのも偶然じゃない。きっと指揮官の遠山二佐にも何かある。この戦い、簡単に終わらない」
彼女がすっと立ち上がって玲に手を差し伸ばす。玲も出来るだけの笑顔で答えた。
「あの、三条一尉」
「なに?」
「ありがとうございました」
「…ふん。今日はさっさと寝なさいよ」
照れ隠しのようにそそくさと歩き出す。たまたま通りかかったのか、御稜威ヶ原を捕まえていった。
玲も歩く。行くべきところは分かっている、愛機の格納庫。
こんな時でもチームのメンテナンスクルーは簡単な点検を行っていた。大人の勝手な都合で試作機に実戦用の装備をいくらか取りつけられている姿は、痛々しく感じられた。
「篠原三尉、末川二尉、お疲れ様です。もう休まれたものかと」
クルーの一人が汗を拭いながら挨拶する。
「いや、ちょっとね。機体の方はどうなっていますか」と玲。
「岐阜とメーカーから資材持って来てもらってようやくこの形です。もう8割程完成しましたし、フィードバックの調整も万全です。明日にはいけますよ」
「頼みます。夜分遅くまで、頑張っていただいて」
「任せてください。ちゃんと使える機体を下で作るのが俺たちです。完璧に仕上がるまで寝るつもりはありません」
自分の機体の機首にそっと触れる。ひんやり冷たく、無機質。私の体温かもしれないとも思う。
「玲…」
「良いんです。”彼”に言わせてください」
察してくれたのか、末川二尉も自分の方へ歩いていく。
玲は瞳を閉じて語りかける。
「ごめんね。でももう少しだけ頑張って。力を貸して」
彼との電話の最中にスクランブルの警報が鳴る。乱暴に切られた携帯をデスクに放って、私もバンディッツに会いに行く。
もう一度、見上げよう。




