22話:幻の爆撃(1)
高度1万メートルより深い思惑がこの空にはある。
「敵機確認!」
雲の切れ目、かき分けるようにして敵機が現れる。ダイブして接近。僚機のエミリア大尉が先行、グリペンの背中をレイはぴったりその背後につく。
敵機は4機。こちらも4機。イーブンな戦いは二機対二機の散会で始まった。
こちらを模倣する敵機はこうした展開でも慌てない。片方の一機は回り込んで僕を引きはがそうとする。だがそれは甘い。僕ではなくエミリア大尉が動いてその動きをけん制する。僕は目の前の敵機をただ追いかけるだけで良く、HUDの向こう側に捉える機体のシルエットを見つめ続ける。
SRM、RDY。
ピピピと照準音。敵機はローリングやダイブを繰り返しながら逃げる。旋回、スティックをややきつめに倒す。シャープに動くその先に敵機の背中。
高高度故の青空と雨雲の薄暗い中を息継ぎするように、繰り返す。青空に出れば太陽に照らされ機体も光り輝いて主張する。雨雲に入れば、グレーな機体色が重なって姿を隠す。
それでも青空で星を探すよりは難しいことじゃない。直ぐに見つけるし、イーグルは見逃さない。
敵機がインメルマンターン。レイは大回りして躱す。一瞬の水平状態。僕は見逃さなかった。ミサイルロック。ピーという甲高いビープ音。間髪入れずにリリースボタンを押した。
そう。体感ではこういうことだ。バンディッツと戦うのは。
「スワロー12、キル」レイは撃墜宣言をする。
翼を振って離脱していく機体。XF-3という。不幸な空に放たれた、不幸な翼。
レイは機体を上昇させる。まだ敵機は残っているし、支援に向かわないといけない。
エミリア大尉がもう一機の敵機に追われている。機種は同じ、あの篠原玲だ。円形に旋回する彼女らに対してレイは突っ切るように接近した。敵機が反応、ターゲットを僕に定めてヘッドオン。
避けたと思った。バレルロールで躱してそれからだと思った。だが、
「ステラー4、ユーアーキル」やけに雑音交じりの無線だった。
「了解」
レイは翼を振って、離脱の合図をした。
「今から諸君らに任務を通達する」
この一言が、僕らステラー隊を狂わせる。
直属の司令官であるストークマン中佐ではなく、本部が直々に僕らをTV会議に呼び出して言い放った言葉はまるで汚い物に葉っぱをかけるようだった。
僕らにしか出来ないと言いながら、それは煩わしいものは押し付けてしまえということの裏返しでしかない。言われた内容を要約すればこうだった。
「現時刻を以て日本におけるバンディッツ案件の解決をステラー隊に任せる。その際に必要な弾薬、施設は諸君らが好きに使って貰って構わない。これは極東軍団が承認済であり、日本政府及び自衛隊との協力で任務に当たれ。期待している」
僕らは帰れなくなった。そしてまた降りかかる火の粉を払えと言う。
武器こそ撃たないが、彼らに指導するために飛ぶ空は格別だった。
澄みきって見える空。たまに現れたバンディッツを抜きにしても、それが揺らぐこともなかった。あの撃墜事件までは。
今はどうだろうか。こうして愛機のキャノピー越しに仰ぐ空は、少しばかり赤い。バンディッツという絵の具が混ざった結果だ。本来の色を取り戻すために、もう一度”描き直す”しかない。二度と塗り替えることがないように。
そして僕らは僕ら、自衛隊の特殊飛行班はそれぞれ独自にバンディッツに対する調査を行い始めたところだ。立て続けに起きた事件と相成って、ようやくそれが出来る体制が整った。横田基地にあるステラー隊のデスクは早くもごっちゃりと散らかっている。
不意な出現が多いバンディッツではあるが、それでも行動や出現空域、前回からの期間などを推理していくことである程度予測は立てることができた。それは向こうでも、日本にいる今でも変わらない。
「レイ、それ取ってくれ」
無造作に築かれた山から写真を取り出す。手渡すと、透明な下敷きの上に並べていく。僕やエミリア大尉がこの間飛んだガンカメラから現像したものだ。
「この機体は?」ギルベルト・リューデル中尉が指を指す。
「第6世代ステルス戦闘機、F-42。米国製」レイが返す。
「米国製…元は米軍機か」
「そう。こいつは輸出されてない機体だし、お得意の国内限定の戦闘機だった。かのF-22Aと一緒だね」
顎に手を当てながら彼は考える。
「だとすると米軍が関与してんのか…?」
「それを考えるのが、俺たちの仕事さ」隊長のライアン・クーパー大尉が言う。
自衛隊の人たちも言うあの”黒鳥”。隊でも同じように呼んでいる、どちらかと言えばあれは怪鳥かもしれない。嵐を呼び込む怪鳥だ。
「まずはこの間のこいつと、東京の橋を破壊した奴、いずれも同一機なのか確かめる必要がある」
「日本側は何か調べはついているんでしょうか」エミリア・ヴァリーン大尉が言う。
「少なくとも、この機体が何なのかは分かっているだろう。俺たちと同じだ。まだそこからなんだよ」
ため息交じりにクーパー大尉が返答した。
「そこで、俺たちの出番ってわけだな」
背後から声がした。振り向くと馴染みのある顔がそこにいる。
「ビショップ」
「久しぶりだな、レイ」
レイは立ち上がってビショップ中尉と握手をする。
「今までこっちで何やってたんだ?」
「へっぴり腰を叩き直す作業。お陰で奴らも背筋がまっすぐだ」
それで。とビショップ中尉は向き直ってクーパー大尉に言う。
「俺たちに何をしてほしい?」
「この機体の調査だ」
「こいつはまたやりがいのありそうな….」
本当にそうは思っていなさそうに言う。
「具体的には?まさかこんな言葉通りとか言わないよな大尉?」
「この写真の機体が元はどこにあったのか、身元を調べて欲しい。そういうのは得意だったろう?」
写真の束を近くに寄越しながら言う。
「それは”遺産”に関してのことだ。まぁでも出来ないわけじゃない。もっと情報は?」
「この机にあるのを好きに見てもらって構わない。今のところこれが全部だ。これから俺たちは上がらないといけないから後で話そう、すまないビショップ中尉」
「良いとも。大尉らは飛ぶのが得意だ、是非務めを果たしてもらいたい」
にやっとしてビショップ中尉は返す。
飛ぶ支度をして外へ出ようとするときに中尉に呼び止められた。
「そうそう。あの”アキハバラ”、良いところだったぞ」
「その話詳しく」
レイは素早く詰め寄った。日本に来たら真っ先に行ってみたい地だった。
「それは帰ってくるまでのお預けだ。さぁ飛んで来い」
バン、と肩を叩かれるのであった。
機体のプリチェック。エアインテーク、エンジン、パネル諸々の外部点検。見て触って機体を何周もする。次に乗り込んで内部のチェック。異常なし。
機体の側にいる整備に指一本を上げて、エンジン始動の合図。まずは右。
コックピットパネルの右下にあるJFSをオン。回転数上昇、一定の数値でスロットルをアイドルに。イグニッション。
唸るような声をイーグルが上げてエアインテークがガクッと下がる。JFSが自動でオフ。同様の手順で左エンジン。
この間にシートベルトを閉めて、機器の作動チェックを済ませる。ヘルメット一体型のHMDも確認。全て異常なし。
機体は比較的短期間で修理された。レイ自身それを見守ってはいたが、その短さに一抹の不安を抱えている。整備を信用していないわけではないのだが、イーグル自身がどう訴えてくるのかが気がかりだった。今のところ問題はなさそうか。
キャノピーをクローズ。整備が武装の外部安全ピンを引き抜く。両手を挙げて車輪止め外せの合図。黄色いブロックが引かれ機体から遠ざかっていく。
外部のコネクターを外し、誘導員が誘導を始める。整備に敬礼、グッドラック。
タキシング。滑走路に向かいながらラダーやフラップ等の作動をさせる。異常なし。
天候は快晴、見事な冬の空だ。夕焼けで赤みを帯びた青が僕らを出迎える。離陸準備良し。
離陸許可。ドンと押されるように加速したイーグルは力いっぱい地面を蹴って、青空に吸い込まれて行った。
眼下に広がる海と陸を半々に眺めながら、ステラー隊の4機は飛ぶ。
眩しいくらいに陽の光を反射するビル群。空の青さに比べてそれは灰色に輝く群像たちだ。地面に逆らって伸びるこれらは、その青さを吸収して自らの灰色に作り変えている。東京の空は、そんな二色の狭間にある。
一つ大きな橋が見えた。名前はレインボーブリッジだと言う。東京を象徴する建築物の一つらしい。
だが今はどうだ。中心から左右にかけて橋は無くなっている。虹の名前を冠しても、これでは雨上がりは訪れない。
「あれが例の橋ですか」とエミリア大尉。
「そうだ。バンディッツの攻撃で標的になったものだ。見事なまでに」
とクーパー大尉が返す。
「橋の入り口辺りにも何か見えますね…?」
レイは目を細めながら見やった。
「自衛隊の戦闘車両が対空警戒をやっているそうだ」
「こんなところで…」
「こんなところ、だからだろう。ビル群の辺りにもな。夜間は彼らが治安維持をして、外出禁止なんだそうだ」
「治安維持…、俺たちがやっていることとはえらい違いですね。あれが本分ではあるでしょうが」
リューデル中尉が言う。僕らのは名ばかり。彼らは人々を守るため。
「誰だって治安維持でバンディッツの相手はしたくないだろうさ。だから俺たちでやるんだ。俺たちが」
ステラー隊の4機は機体を傾けて、海へと進路を取る。
左ふとももに貼りつけた地図と、HMD上に表示されたナビゲーションが合っているか確認する。このまま沖合に出て北上し、折り返して帰ってくる。それがステラー隊の哨戒任務だ。
何事もなく、空を流れる雲のように飛んでいるが、3分の2を過ぎたところでレイは変に無線のノイズが酷いことに気が付いた。そう言えばこの間もあったような…。
HMDがECCMの自動作動を警告してきた。ということは今この空に僕らを妨害しようとする者がいるということに他ならない。
「隊長」レイは呼びかける。
「分かっている。なんだ…?探知できるか、誰か」
「索敵範囲には機影無し。ですがこれは…」
「全機警戒を怠るな。予定通りのコースを維持する。俺は地上と百里基地の彼らに呼びかけてみる」
常に敵が背後にいるような感覚を受けながら、飛ぶ前に見て来た情報を整理する。
バンディッツが最初に現れたのはもう5ヶ月前。まだ僕らは欧州にいた時だ。ここに来てもう1ヶ月は経つ。だがそれはいい。
次にあのレインボーブリッジを破壊したのが4週間前。僕らが日本に来て早々の出来事。そしてこの間の撃墜事件。あれは2週間前…。そして今バンディッツと思しき存在がそこにいる。まさか…。
「くそ…繋がらない。どうなってる?」クーパー大尉が焦り交じりに言っている。
「こちらステラー2。私もダメです。横田にも繋がらなくて」
「隊長」レイは恐る恐る呼びかける。
「どうした」
「今週、バンディッツが来ます」
「まさか…」
空模様が騒がしくなる。嵐の前兆が、僕らを包む。
ただいま、電波の届かないところにあるか……。
先程から原因不明の電波障害が襲っていて、電話はおろかまともにメールも通じない。手元にあるスマートフォンはただの画面のついた箱と化している。
そして私は今、車の中にいる。相方の末川悟志二尉と共にいる。陽の沈みゆく空を背景にして。
特殊飛行班の指揮官である遠山二佐から二人ずつ呼び出しを受けて、というわけだ。3人で。
資料を見てくれと運転席越しから手渡される。
「ここに書いてある名前は、先の大戦で行方不明になったパイロットの名前だ」
書面上では撃墜、戦闘行動中行方不明、又は死亡となっている者ばかりだ。大戦期に巻き込まれた日本も少なからず小競り合いは避けられず、戦闘もあった。だからといってこの名前たちは…。
「彼らのいくつかはバンディッツの可能性がある」
いとも簡単に、そう言い切った。
「どうして、そう言い切れるんです」
玲は尋ねた。
「この間の撃墜事件から一つの暗号電波を傍受した。いや、偶然にも向こうが乗せて来た、というべきか。その中に彼らの使うコールサインが紛れていた」
「生きていたと?」末川二尉が今度は言う。
「それは調査中だ。だが、軍服を来た日本人が各地で目撃されているという証言も、数か月前に遡ってあったことが分かったんだ。完全な裏付けが取れれば、逮捕を含めた作戦もあるかもしれない」
「それでこんな情報をどうして二人ずつに?まとめて言えば良いでしょう」
「情報の観点から考えた結果だ。そこは理解して欲しい。だが日本人だと考えれば行動にも頷ける部分も見えてくる。それを頭に入れておけ。誰と戦うのかを」
玲は唾を飲みこむ。ついに見えて来た、倒すべき相手が。
「他はなんて言ってるんです。同じ日本人だからって、撃てるとは限らない…乗り気じゃない奴だっているでしょう」
「それは…」と遠山二佐の携帯が鳴り響く。電波が拾えない筈なのになぜ。
唐突にエンジンがかかる。キリリとスキール音を立てて発進した。
「いきなりなんです?」玲は叫ぶ。
「奴らが動き出したんだよ」
手元にある携帯も、今は電波が繋がっていることを玲はまだ知らないのだった。




