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OVER THE CONTRAIL  作者: 三毛
MISSION 2:クライイング・イーグル
19/48

18話:黒鳥はささやく

 その時私は何をしていた…?訓練?昼寝?違う。


 私はそこに最も近いところにいた。それもいつでも飛べる態勢で。


 私は黙って見ているしかなかった。積乱雲のようにこみ上げる怒りと無力感。


 敵を目の前にして、守ることさえも許されない。


 だが、この狂った空はずっと見上げ続けないといけない。


 イーグルは鳴く。嘆きのように。


 イーグルは泣く。主と共に。




「はあっ…!くそっ!」


 この叫びは誰にも届かない。自分の頭にこだましていくだけだ。敵迫る最中、こうしてどこに向ければ良いか分からない言葉を弾の代わりに発射ことしかできない。


 戦技飛行。あの事件から一週間、ただひたすらに飛び続けた。全員が焦るようにして不器用に風を斬る。そして今、初めての実戦想定の訓練だ。


「”ウォーター”、遅れてる!ぼさっとしない!」


「簡単に言ってくれますねテストパイロットサマは!」


 “ウォーター”、御稜威ヶ原のF‐2Aがスターボード側に付く。見えない敵に翻弄され過ぎている。私も焦っている。エレメントリーダーがこれでは…。


「!」警告音。レーダーを見る余裕などない。頭を動かして目視で、右からだ。


「レフトターン!ブレイク!」


 ピタリと曲芸飛行のような二機同時のブレイク。敵機が近く上を見下ろすようにして背面降下で追撃してくる。さっきから安易に上方占位して明け渡さないこいつらは化け物だ。


「”ウォーター”、どうにかしてあいつを引きずり下ろす。あなたがその隙に回り込みなさい。良い?」


「ああ了解”ローズ”!」


 お互い息が絶え絶えだ。息を大きく吸える間さえない。


 機体を翻して上昇。機体は私の動かす通り、フラットに反応する。01ナンバーが付く前の純試作機の状態より癖もなく、F-15(イーグル)に近い乗り味になった。純粋な制空戦闘機として開発されたXF-3は言わばそれらの前代機を”模倣”していると言える。


 後方の敵機が私の誘いに乗った。御稜威ヶ原は反時計周りに突き上げする姿勢で旋回している。後方警戒装置の警告音が分かっているのかと言いたげに私に声を出す。分かっているとも。だからこそだ。


 イーグルに乗っていた頃は、飛行教導群と共に戦技飛行を行ったこともあったが、この空戦は普通の空戦ではない。そもそもが違うのだ。


 まず距離が近い。近いなという感覚的なものではなく、本当に、物理的に、近い(・・)。これほどに接近されると故意に衝突させに来ているのかと思うほどだ。だが彼らは至って真面目にこちらを撃墜しようとその距離から狙ってくる。安全な距離から射程に収めてロックオンできる筈だが、彼らはミニマムレンジからそれをする。バンディッツという敵がいかに常識に囚われない相手であるのか。それはこの距離感から「絶対に、確実に墜とせる距離で墜とす」という意志をひたひたと感じ取った。


 後方の敵機が意図に気付いたのか機首上げ、上昇する。その時はあの機体が何をしようとしたのか理解出来なかった。一瞬後に警告音。真上から敵機。グリペン。


「スワロー05、ユーアーキル」流れるような女性の声で撃墜宣言(キルコール)される。


「了解…!」


 上から降ってきたグリペンはもう視界に捉えられる範囲にいない。無線で御稜威ヶ原が焦る声が聞こえてくるだけしか分からない。


「スワロー04、ユーアーキル」


 敵機のイーグルが撃墜宣言する。レーダーを見る限りではがっつりと捉えられてしまった上での撃墜だろうと思えた。


『方位210。状況終了、帰投せよ』


 各機了解の応答。この部隊が活動して2回目の模擬戦、異機種間空戦訓練(DACT)。今回は私の番で、結果は全滅。2対2というのにまるでそれよりも多い機体が敵機役としていたのではないかと思うほど、私たちが撃墜されるまでそう長くはかからなかった。


 正直なことを言えば、侮っていた。国連軍のなんとかといかいう飛行隊の一部隊で、あのレインボーブリッジを吹き飛ばしたバンディッツとかいう集団を専門的に相手にしているとあっても、他とは変わらないだろうと。それにパイロットたちが若かった。あのF-15C(イーグル)のパイロットは少なくとも私より年下だ。パイロット不足に悩まされているにしても。


 1回目、元アグレッサーとファイターウェポン過程をくぐり抜けた選りすぐりのパイロットを相手にしても、あのわけのわからない空戦を展開して翻弄した。それなりに戦っていたが、結局は全滅という結果だ。酷く苦い顔をしていたのが印象に残っている。それだけの相手だった。


 私の直ぐ横を飛ぶ例の国連機を見る。イーグルとグリペン。グリペンはともかく、あのイーグルに負けたのには悔しさがあった。玲と同じ名前のレイというのもあるが、なりより自分が前に乗っていた上に知り尽くした機体だったからこそ、その気持ちは何倍にも膨れ上がる。


 今の旧世代戦闘機たちがオリジナルとは違うことは玲も知っている。日本のもそうだ。まるで墓から蘇ったゾンビのようにこれらは新しい命を吹き込まれこの空を飛んでいる。


「くそ…」


 小さく呟く。機体が違うなんて言い訳にならない。スペック比で言えばこの機体が優れているなんて当たり前のことだ。それだけならば勝てて当然なのだから。


 玲はじっとそのイーグルを見つめた。何が違うのか。そんな自己分析じみたことを考えてぼうっと飛んでいても、一周回って情けなさがこみ上げてきて玲は考えるのをやめた。降りてからにしよう。


 夕日に包まれたコックピットを抱えて、私は百里基地に降りた。風は穏やかで寒さはない。


 第二格納庫付近のエプロンに停めて機体から降りる。今日は私の機体(XF-3)と御稜威ヶ原のF-2Aはこれから格納庫内に入って整備入りする。牽引車で引かれていく愛機を見届けた玲は髪留めのゴムを外して髪を下ろす。ふわっとした感触。


「散々な結果ね。篠原玲三尉」


 私を待っていたかのように、腕を組みながら話しかけてくる。三条則子。階級は一尉。空自の女性パイロットとしては有名人だ。F-2パイロットでありながら、類稀なる操縦技量でアグレッサーの候補だという噂がある。天才だった。飛行機を扱うことだけに関すれば。


「何かご用ですか、三条一尉」煙たげな返事をする。


「あら、せっかく心配して見舞いに来てあげたというのに。連れないわね」


「有り難く思いますが、用が無いのでしたらこれからデブリーフィングがありますので」


 構っていられない。さっさと通り抜けてしまおう。


「なぜ自分が負けたのか分かる?貴女に」


 左目尻にある小さなほくろが特徴の二重瞼で、こちらを凝視してくる。


「…、あれでは機体が可哀想だわ」


「なんですって」イラッときた。


「なら、自分のどこがいけなかったのか言えるかしら?」


「それは…」


「わざわざあの機体を持ち込んで、ここでどうしようと思ってるの?ロクに飛ばせてなくて、貴女のようなのが来た。ここはもう訓練じゃない、実戦なのよ?」

 

 そんなことは分かってる。だから焦っているし、人よりも速く飛びたい。願わくばこの戦技にだって勝ちたかった。けどそんなに激しく貶される道理なんてない。


「それが何だって言うんですか。三条一尉の言うことはとっくに理解してますし、そんなに言われる道理もない。私より自分を心配してください」


「理解できていたら説明できるはずよね?だから言っているのよ。何を考えてるのかって。分からないなら岐阜に帰りなさい、まだ間に合うわ」


「言わせておけば!!」ガシャっとヘルメットを落としたのに気付かず三条に詰め寄る。


「もう良い!そこまでだ」


「末川さん…」玲はあと一歩で袖を掴もうというところで止まった。


 凄い剣幕で立っていた。暗がりでも分かるほど、眉間にかなりのしわが寄っている。


「大人げないとは思わないのか三条一尉。チームメイトを虐めてそんなに楽しいのか。こいつが何をした?確かに今日のフライトは酷い出来だ。だがそこまでされる程のことじゃない。例え階級が上でもそんなことは許さないぞ」


「ふん…、あなたには分からないでしょうね末川二尉。あなたも彼女と同じことを思っていたらさっさと降りるが良いわ。私があれに乗った方が良い」


踵を返して手を振りながら去っていく。頬を水が伝う。私は泣いていた。


貶されたから泣いているのではなく、言い返せなかった不甲斐なさに泣いた。


「大丈夫か。玲」ほれ、とヘルメットを差し出す。


「ごめんなさい…酷いところを見せてしまって」


「あんな奴の言うことを聞くなよ馬鹿…何があった?」


 涙を拭きながら説明する。


「そうか。あれほど言われりゃ俺だってムカつく。どういう意図があって玲に当たってきたのかは分からん。けどあいつはああいう奴なんだ、多分な。もう大丈夫か」


 はい。ハンカチとティッシュを仕舞う。


「お前はよくやったよ。あの機体で。焦ってたんだろ、分かるよ」


 玲は顔を伏せた。慰めに甘える自分でもない。寧ろ言わせてしまったことに腹が立ちそうだった。


「一つ話しがある。聞いてくれるか」


「はい」


「良し。この部隊がなぜあんな多機種なのかだが…。はっきりとした意図があったみたいだ。正式発足後、この部隊は一機種か二機種で統合されるらしい。この期間は、いわばコンペだな。こんな大掛かりなものは俺も聞いたことは無いが」


 玲は振り返ってハンガーに格納されていく愛機を見た。


「玲、俺と一緒に来た目的はなんだ?」


「XF-3の運用とこの部隊での相互運用などを総合的にテストするため、です」


「そうだ。今日のDACT、あの機体をここに持ち込んで以来の本格的な飛行だが、あれで精一杯だったか?」


「いえ…そんなことは絶対に、絶対にありません。私のせいです」


「なら、目的を見失うなよ。玲。あいつの言うことを聞き及んじゃいかん。お前がムキになれば、それだけ機体にも影響してくる。あいつに勝てるのも一つの目標としては良いだろう、現行機を凌駕出来ることに越したことはない。だが俺たちが機体ごとここに来たのは、さっき言った通りこのコンペに勝つことだ。それは空戦とかじゃない。一つの飛行機として、戦闘機として、これからの日本の空を守るに相応しいかを決めるコンペだ。どれだけ優れても結局は機体に命を預けて飛ぶんだ、玲だけが乗るわけじゃない。それを作っていくのが俺たちテストパイロットの仕事だろう。違うか」


 日本に現れた新しい脅威。東京に穿ったその傷跡に今私たちはいる。そしてこの機体がその傷を、これ以上付けさせない為に同じ場所に立っている。


「違いません…その通りです。私のせいで貴重な日を無駄にしてしまったかと思うと…」


「無駄なわけあるか。それも貴重なデータだ。玲だって久しぶりの空戦だったんだろ、気持ちはわかる」


 はっはっはと笑うその姿に、不思議と顔が柔らかくなる。


「だがな、次はもっと出来る筈だ。そうだろう」


「はい!」力強く頷いた。


 もう一度振り返ってみる。愛機はもう格納され、今はあのイーグルが牽引されている。異邦の地からきた鷲…この機体に、生ぬるい感触を覚えた。


 国連軍パイロット、技術者や御稜威ヶ原とのデブリーフィングを終えて、XF-3のフィードバックをまとめにラップトップと向かい合う。話すだけでは言えないことも当然ある。データと睨めっこしながら、今日は”残業”だ。


『目的を見失うなよ。玲』


 末川二尉の言ったこの言葉がある種の防波堤だった。悔しさからくる感情を危うく機体にぶつけるかもしれなかったのだ。いくら機体を改善させたところで、パイロットがそうでは0から1に進まない。それでは失格だ。


 ムキになった自分も反省した。あれだけ言われたのも候補生時代ぶりだったかもしれない。これだから女はとか、そんな聞くに堪えないことばかりだったが。普段から感情を顔に出さないせいで舐められた。勝気な性格な自分だが、それを表にも出さないせいでもあった。


 一緒に飛んだ国連軍機のデータはもちろん、次の戦技で飛ぶ三条一尉のフライトデータも集める用意をする。これは多ければ多いほど良い。コンペをするなら、徹底的に従来機のものを集めないといけない。


しかしもう消灯の時間だ。どこをふらついているのか末川二尉はまだ部屋に帰ってこない。カギでもかけてやろうか。


 キリの良いところまで簡単に整理して、玲はさっさと寝床に就いた。


 

 

 あの黒い鳥を追え。


 この仮初の部隊にスローガンの如く流れている言葉だ。黒い鳥とはもちろんバンディッツのことで、カラーリングからそう呼ばれた。


 そうは呼んでも忌まわしい存在であることは確かだ。あの時の百里はなんとも形容しがたい空気に包まれていたから。玲もその空気を放出していた一人でもある。


 誰もが自分たちの出番だと思った。この時の為に集い、準備もしてきた。けど最後まで上がることは許されなかった。撃ちたいのかと良く言われるのがお約束だが、そうではない。


 私たちの仕事は守ることだ。それが撃つ撃たないに限らず、自分たちの世界を守りたいだけだ。撃たないことに越したことはないし、ずっとそれが誇りだ。自衛官はそういうものだ。


 けれど、現実に日本が攻撃されることが起きてしまった。


 『レインボーブリッジ崩落』、『首都強襲』など生きていても一度目にするかしないかの単語が新聞に並ぶ。既にここは戦場になってしまったのだ。昨夜に彼女が言ったここは実戦という言葉、そういうところから来るものなのだろう。


 私だって。それが分からないわけでもないし、この事件が起きてから一層焦っている。結果を出すのは早い方が良い。機体の熟成もそうした内に付いてくる。


「玲」


「なんです、末川二尉」


「平気か。どうだ」


「お陰様でもう大丈夫です。そういう二尉は相変わらずですね」


「当たり前だ。お前みたいに泣くことはないぞ」


「次それ言ったらラーメン奢ってあげませんからね」


「じょ、冗談だって。なあ」


「知りません」


 ぷいと外を見る。


 今日はあの三条一尉が飛ぶ日だ。あれからオフの一日を挟んだので準備は万全、エレメントにはファントムの長崗一尉が付く。組み合わせは完全にくじ引きで、これも機体の相性などを確かめるものなのかもしれない。


 プリチェックを終えてタキシングに移る二機。青い幕を被ったF-2Aと、異質なまでに生まれ変わったファントムが走る。その後ろから国連機だ。今回はファントムとイーグルらしい。


 今から飛ぶこちらのファントムは少々国連機のとは違う。アメリカで生まれた技術実証実験機を日本仕様に換装して持ち込んだ代物だ。ナンバーはRFR-4EJ。二個目のRはリファインを意味する。テスト屋として一度は乗ってみたいが、あれにはあれで専門のチームが存在する。


 私含めて隊員が滑走路へ向かう機体に釘付けだ。窓際に寄って、あるいは肩を押し退けて。遠目から見ると微妙に色合いが違う。国連機のそれは実戦の色だ。空の色で汚れた戦闘機。決して地上では得ることの出来ないもの。こちらのは小奇麗だ。まだ知らないグレーの肌。


「スワロー03、テイクオフ」


「07、テイクオフ」繋いである無線から声が届く。一瞬後には滑走路を駆けている。


 滑走距離をたっぷり使って、ふわりと飛びあがる。元から飛んでいたかのように上がる様は流石だ。


 演習に向かう4機が空に吸い込まれた後は、様子が映し出されるモニターを眺めてじっと待つだけになる。肉眼ではもう見えない。


「失礼します」


と英語で入ってきたのはあのグリペンのパイロットだ。エミリアとかいう名前の。


「演習をこちらで見れると伺ったのですが。よろしいですか」


「ええ、どうぞ」


 一番近くにいた私が案内をして椅子を用意する。透き通るような声と瞳だった。


天候、晴れ。雲量40%。南東の風、風力やや強し。


戦闘機たちが向かい合う。すれ違ってからスタートだ。


まだ見ぬ黒い鳥に想いをぶつけるように、今日も狩人は空を掻き回す。


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