17話:招かれざる来訪者
機体から降りて空を見上げる。青空の下に集う翼たち。バンディッツという不確定な脅威に対抗するために各地からやってきた選りすぐりのパイロット。彼らもまた、バンディッツの被害者に過ぎない。
それにこれから起きることを考えれば、無関係であって欲しかったと僕は思いたい。
美女に堅物にプレイボーイ風に僕。こんな4人はまるで転校生だ。この間会った遠山二佐が進行して、顔合わせが始まった。
アイ・アム・何々。幼い頃から繰り返し自己紹介してきた。自分の名前を口に出すことに抵抗があるわけではない。ではなぜそう今になって思うのかというと、自分の名前に反応を示した人がいたからだ。奥に座る女性パイロット。小さい顔に長い髪、二重瞼を見開いていたのをレイは見逃さなかった。驚いたような感じだ。もしかしてどこかで会っていた?
そんなことを思いながら自衛隊側の自己紹介も始まる。今のところ記憶に残っているのはミイズガハラという名前だ。漢字で御稜威ヶ原。下は悟志というらしい。こんな名前だから同僚や上官から水と言われ、ついにはTACネームも英語の”ウォーター”と名付けられてしまったらしい。それに育ちの良さそうな褐色肌は一番に目に付く。
そして僕の名前に反応を示した彼女の番。この部隊に彼女含めて女性隊員は二人。意外といるものだなと思う。
マイ・ネーム・イズ、レイ。レイ・シノハラ。不覚にもレイは自分時彼女が見せた反応と同じものをしてしまった。なるほど、同じ名前だったのか。ようやく理解した。
なんだか少し嬉しかった。同じ名前などそういるものではなく、ましてや異国の地で巡り合うとは。空が運んだ思いがけない偶然に思わず口元が緩む感覚がする。彼女もあの時はそうだったのだろう。今はきりっとした表情で語っている。中々に流ちょうな英語だった。
テストパイロット。元イーグルドライバー、TACネームは日本語で”ローズ”。あの見たことがない機体のパイロットだ。XF-3、機体のナンバー。
後は事務的な話だ。僕らの意義、アドバイザーとしての役割、それに合わせてこの自衛隊部隊の任務内容、バンディッツとは何か、何が脅威で何を守るのか。僕らは説明に合わせて、自分たちの飛んできて見てきた空の事を話す。
今日は顔合わせということだったから意外と早く終わり、百里基地を発進して横田基地を目指す。空はもう暗く、地上は明るく照らされている。生活の光だ。空から見下ろすその光をいつぶりに見ただろうか。レイはコックピットに広がる光景に思わず見とれてしまった。
いつも飛んでいた欧州、東欧から北欧までの地域は荒廃して光という光は無かった。ひたすらに地上は闇に包まれて、いつ訪れるか分からない陽の光を待ち望んでいるかのようだった。唯一あるとすればそれは国連軍が持ち込んだ外の光だ。元来あった生活の光はそこにはない。だからレイは夜間飛行の時は下を見て来なかった。
ビルの光、あちこちでその存在を主張する夜間灯、蛇が大きく横たわるように走るハイウェイの照明、全てが鮮明に映る。まさにその街が生きていた。目に見える光の数が、ここでは守るべき存在の数に等しいのかもしれない。僕らがこうして飛んでいても、地上はお構いなしにその自己を見せつける。我々はここにいると。
その中を割って輝く道に僕らは翼を降ろした。しばらくのホームはここだ。横田基地。
元々は朝鮮戦争から続く米軍主体の国連軍の後方司令部があったところだ。今は厚木基地と同じくそのまま正規の国連軍を受け入れている。アメリカと日本の国旗の他に国連旗も掲げられているのがその証拠だ。
空いたエプロンに機体を止めて、愛機におやすみを言ってから僕らは与えられた部屋に案内された。
厚木基地で会ったあのジョンソン中将に再度着任の報告書を提出し、挨拶。早くも元の基地が恋しくなった。ここでまた色々揃えるのは、少々面倒くさい。
改めて僕らに言い渡された任務は2つ。
1つ。航空自衛隊に新設された対バンディッツ飛行隊へのアドバーサリー。3週間とかなんとかと期間を定められてはいたが、実のところは未定。行うプログラムも僕らとの話し合い。ギルベルトのやつはこれをトップガンだと比喩した。他意は無い。
2つ。日本国内にバンディッツが出現した場合はこれを関知しない。どういうことかと思う。レイや部隊の面々はこの言葉を理解するのにやや時間を要した。要約すると『何もするな』だった。僕らや情報部、アルテミス隊の一件で強い内部調査が行われる一環で、これはある種の制裁と言えるだろう。調査終了までは、僕らにとってバンディッツは”無かったこと”にされるのだ。この判断に理解などするわけもなく、誰もが黙って飲み込むしかなかった。
ただし、この項目には続きが書かれていた。日本政府及び自衛隊との取り決めにより出動要請が下った場合は、この限りではない。と。この状況以外でのバンディッツへの接触及び交戦は禁止される。そもそも”無かったこと”にされた時点で、これはおまけだ。
はあ。とため息をついて好きなココアを啜る。牛乳多め、それがいつもの飲み方。そんなカスタム注文を定員は笑顔で引き受けてくれた。美味い。疲れた時や若干ストレスを感じた時には丁度良い。あとはその為の菓子類をストックしなきゃなと思う。
この任務が終わったらどうするのだろうか。レイは虚空を見つめる。また戻るのか、下手したら解散か。それだけは嫌だ。
不意にクーパー大尉から着信。こちらレイ、と応答する。
急ぎの用と言われたのでココア飲み切った後、駆け足で呼び出されたブリーフィングルームに向かった。勢いよくドアを開けた。
「何かあったのですか?」開口一番そんなことを言う。
「ああ、何かあったから呼んだんだ」とクーパー大尉。
レーダーと航路図を合わせたモニターが出力される。今飛んでいる航空機の数が多くマップ上が賑やかなことになっている。大尉は太平洋を飛ぶある点を指差した。
「あいつらの可能性がある」
「バンディッツ、ですか」エミリア大尉が苦い顔をして言った。
「そうだ。大騒ぎになっているよ。日本の防空システムからこちらにデータを送ってきた。念の為、出撃になるかもしれないことを留意しておいてほしい」
「何もするなと言われたばかりなのに?」リューデル中尉は言う。
「確かにそうだ。日本から要請されない限りはここで待つ。機体は整備にいつでも上がれる状態にはさせておく。着替えて待機だ。良いな?」
「了解」
バン。と突き破るようにしてドアが開く。
「ステラー隊、発進です…!」司令付きの士官か息を切らして言った。
「では行くぞ!」
馴染みのあるGスーツをフライトスーツの上から来て、スリムなヘルメットを持つ。互いの服装を見てチェック。そうして機体のあるエプロンへ4人横に並びに駆ける。
整備員が駆け寄り、搭載武装のチェックなどの完了を伝えてくる。この整備員も昨日到着した僕らの部隊の人員だ。馴染みのある顔たちが忙しなく動く。
目視点検の後にコックピットに収まる。ヘルメットは装着しない。コックピット上で計器の点検などをして待機する。エンジンもかけないがいつでも始動出来るような態勢にはなっている。
「コントロールよりステラー隊、状況を説明する」外部用の無線機越しに声が飛び込んできた。
「日本政府は国連軍に協力を要請した。国連軍は現在展開中のステラー隊を発進、これを排除するという命令が出た。これが承認され次第発進、それまで待機されたし」
了解。と応答。
「現在、バンディッツと思われる航空機は現在太平洋上空、防空識別圏を越えて房総半島へ到達する飛行ルートを取っている。空自機がスクランブルして対応しているが、高速で振り切って侵入を続けている。自衛隊側に当該機への撃墜命令は出てなく、彼らも承認待ちだ。はっきり言えば抑え込むのに失敗したと言っても良い」
戦いとは無縁そうな空にバンディッツがやってくる。
「――—了解。良いのですね、了解―――。ステラー隊、発進命令が出た。出撃せよ」
エンジン始動。指で回転数上昇の合図。ヘルメットを被りハーネスを装着。HUDやHMDのリンクをチェック。整備員が機体のコネクターを外し外部電源を切り離し下部をチェック、サムアップサインをして始動完了。
搭載武装は短距離が2、中距離が2。外部安全ピンが引き抜かれる。機体止め(チョーク)が外されてようやく動ける。ステラー隊、タキシング。
「待て!」
管制塔からは言われたのは離陸許可でなく、待てだった。それは違うだの、どこを見てただの凄まじい罵声が聞こえてくる。
「ステラー1。コントロール、何かあったのか」
「高速で接近する機体あり―――、バンディッツだ!」
「何してる?なら早く上がらせろ!食われるぞ!」
「あと60秒で上空に到達する、退避しろ!」
「どうしますか、隊長!」エミリア大尉が言う。
「どうするも…!」
操縦桿を握る手が震える。フットブレーキを踏む脚が震える。敵機が来る。僕らは上がっている時間さえくれなかった。翼を持とうと、飛べなければ無力に過ぎないのをレイは今身をもって実感した。レーダーも武器も、地上にいれば何一つ使えないその無力さを。
「来るぞ!」
はっきりと自分の眼がその物体を捉えた。あまりにも黒く空間から浮き出そうなそれ、およそ高速飛行に最適化された翼形をした飛行機。空を飛ぶには少なすぎるその翼が、頭上を通り過ぎていく。
戦いとは無縁そうな空にバンディッツがやってくる。嵐を巻き込んで、青い空をかき消すように。
後に続く追撃してきた空自機は目に見えて遅れている。僕らでもきっと追いつけないだろう。バンディッツは上昇して機体を翻す。太陽光さえ吸い込みそうなその黒い機体はバンディッツがどのような存在かを表しているように見えた。
もう一度通過して行く。ジェット排気が混じった煤けた飛行機雲は、不思議と一直線に引かれていく。
レイはその光景をじっと上を向いて眺めていた。重たいヘルメットなんて気にならない。引き込まれるようにして見上げていた。
その日、東京にいる殆どの人間が空を見上げていただろう。その耳を塞ぎたくなる雷鳴を伴ってやってきたバンディッツは、青空を切り裂くように飛行機雲を引いて行った。長く引かれたその線は、立ち上がる黒煙と共に人々を離さなかった。
招かれざる来訪者。彼らは空さえあればどこにでも現れる、終わらないドッグファイトが、日本でも始まったのだった。




