11話:風に乗って、夜空を抱いて
----その青が、別の色になった時、己の目を信じれるだろうか。
タッチダウン。
ステラー隊の4機は定刻より30分程度の遅れで帰投した。ハンガーまでタキシング、エプロン上で止めて足早に機体を降りる。
整備兵によろしく頼むと言って機体を後にしたレイは、同じく降りた他の皆と一緒に空港施設の中へ行った。全員速足だった。
ヘルメットを抱え、汗びっしょりのフライトスーツのまま中佐の待つステラー隊の区画にある小さなブリーフィングルームへ出頭した。
「良く戻ってきた」それが中佐の第一声だった。
「中佐はどうでしたか」クーパー大尉が聞いた。
「まだ何もない。いつも通りだ。それも報告を聞くまでの間だがね」苦笑いをする。
クーパー大尉が説明している間、中佐はメモなど一切取らなった。そうか、と時折相づちを打ち頷くだけだ。
中佐がメモを取らないのはそれだけの理由がある。出撃レポートを寄越す時だって、恐らくは読んだあとは直ぐに捨てているのかもしれない。紙が嫌いなのだ。大事なことは全部頭の中に。それが一番の安全装置だと言うように。
以上です。とクーパー大尉が切り上げると、ノックする音が聞こえた。中佐が促す。
失礼しますと入ってきたのは、SSGの兵士だ。全体的に薄暗いグレーのデジタル柄な格好、ピチピチで身体のラインが見えるそのパイロットスーツ的な様相と弾倉を入れるポーチ、その他腰回りに着ける装備の類との差がアンバランスのように映る。
銃はM4と呼ばれるものを短く取り回しを良くしたものだろう、とても短く小さい見た目だ。サバイバルガンの一つであった個人防衛火器よりも少し大きいというくらい。その他アタッチメントがごちゃごちゃと取り付けられているがレイは銃に詳しくなかった。
中佐にビショップ中尉と呼ばれたその人はレイが基地で知る数少ない人物の一人だ。SSGの隊長であり、陸空で同じ部隊の枠組みとは言え普段あまり会わないのだが、ある”遺産”絡みで両者が出撃した作戦で、僕らが近接航空支援で彼らを窮地から救ってからは、個人的な付き合いもあった。
ビショップ中尉からの報告を聞いた中佐は、少し考えさせて欲しいとブリーフィングルームから僕らを外に出してしまった。
特に何かするわけでもなかったので、自然と隊の区画にあるテラスでくつろぐ流れになる。ステラー隊は4人だが、SSGは今いるだけでも10人程度はいる。広めなところでもやや窮屈だ。普段が少なすぎるだけかもしれない。
「最近はどうよ」
青みがかる透き通った瞳で語り掛けてくる。銃は肩に下げて、さっきまで被っていたヘルメットは腕に抱えられている。
「てんてこまい」レイは肩を落として答えた。
「そいつは災難だ。お前さんとこ、面倒ごとになってるんだって?」
「なんだ、知ってるのかい」
「そりゃね。中佐から軽くだけど教えてもらったよ。俺らももう共犯者ってわけだ」
「よせよ。僕らはまだ何かしたわけじゃないだろう」
「言われてみればそうだ」ははとビショップは笑ってみせた。
「それで、どこまで教えてもらったんだ」
信用していないわけではなかったが、レイは気になった。
「この隊が置かれている状況、情報軍、エトセトラ。中佐が俺たちをここに配属して良かったよ。別の基地だったら何されてるか分からないね」
「ならだいたいはもう知ってるか。すまない、巻き込んで」
「お前のせいじゃないだろう。あいつらが勝手に因縁づけて俺たちを壊そうとしてるだけだ。良い迷惑だよ全く。そう思うだろ?」
「そうだな…。だけどそうなったら僕らもそうだけど、味方を撃てるか」
レイは顔を伏せた。
「撃つさ」短く。けれどこの一言に尽きるというように彼はさらりと答えた。
「俺たちは陸上のバンディッツなんか知らないが、レイや中佐がそう言うなら、もう奴らもバンディッツなんだ。どんなに直前まで味方でもそうなれば関係ない。そうやって戦ってきたし、レイだってそうだろう。だから今更考えることもない」
さっぱりしていた。陸戦隊として幾何の戦場を抜けてここに辿り着いた彼が言うことは、合理的で迷いもない。そうあるべきかのように。
アルテミス隊とはレールガン破壊作戦の後、何度か飛んだ。彼らの指名もあって、対地攻撃任務や対空警戒任務など、特別航空治安維持飛行隊の所属部隊にしては珍しい共同任務を行ってきた。航空軍の活動規模を一旦縮小した流れにおいては、僕らが率先してやらなくてはいけなかったので、向こうにとってアリバイはあるだろう。事実、そのいくつかはしっかりと中佐が立案し、本部と掛け合いながら持ってきたものだからだ。
それでもいくら敵かもしれないとは言え、そこまで綺麗に割り切るのも流石に無理があるというものだった。敵なら敵で初めからそうであれば良い。任務について考える必要もなく、相手についてどういうパイロットが乗っているのだろうかなど考える間もなく、ただガントリガーを引き、ミサイルのリリースボタンを押せば良い。だがそうではない。
「そうじゃないんだ」そうじゃない。レイは呟いた。
「言わんとしてることはなんとなく分かる。でもお空の連中のことは本当のところ何考えてるかなんて理解できちゃいない。だからレイ、お前が思った通りにすれば良い」
ただ、と彼は付け加えた。
「死ぬなよ。死ぬような展開になる前に撃て。俺もそうする」
ビショップはレイの肩を叩いた。
「分かった」レイは軽く笑みを浮かべて答えた。
ミネラルウォーターを自販機で買って、屋上へ行く。仮に基地内に内通者がいて、後を付けられようとそれはどうでもいいことだった。
夏なのに秋の終わりみたいに寒かった。まるでこの先自分が飛ぶ空の空気を表しているかのようだ。まとまりのない色の空に加えて、寒い。レイはこの感覚をどう表せば良いのか分からない。硬く感じるキャップをぱきりと開けて、少し飲んだ。
戦闘機が飛んでいく。明日も分からない空の彼方に。雷鳴を響かせて。僕はそれを地上から眺める。イーグルだ。イーグルが頭上をフライパスしていく。しかし、あれは僕の機体だ。機体を滑らかに翻して、得体も知れぬ機体に合流する。アフターバーナーに点火した両機は高空へと飛び去った。あれには誰が乗っているのだろう、イーグルには。
はっと目を覚ます。こんなところで寝てしまった。ベンチではなく直に座りながら。
「起きた?」隣にはエミリア大尉がいた。
頭を掻いて身体を起こす。不自然な態勢で寝ていたものだから腰が痛い。
「どこ行ったかと思ったら、しかもそこで寝てるだなんて」
「はは…すみません」
側にあるミネラルウォーターを手に取る。空だった。大尉を見ると飲んでしまったという顔をしている。わざとらしく顔を歪めてみせた。
ねえ。とエミリア大尉が切り出した。
「この間、あの”魔術師”と何を話してきたの?」
「何を、ですか」
「そう。彼と一戦交えたあと話したこと覚えてるかしら。あれのこと、レイならきっと話すだろうと思って。違った?」
一瞬彼女はエスパーか何かなのかとドキリとした。
「話しましたよ。彼の気持ちも聞きました」
「それで、レイのそれは見つかった?」
きっと、意志のことを聞いている。あの”魔術師”と話して僕が見つけたのは、母と同じ視点に立つということだ。レイは空を見上げた。
「ええ。目指したい高さっていうものが見つかったんです」
「それは、向上心?」
「いえ。なんていうのかな。飛行機で言えば、旅客機で宇宙に行ってみたい。そんな感覚です」
「宇宙船ではダメなの?」
「旅客機だからこそです。同じものでは違いなんて分からない。違うもので同じ高さを飛ぶ、そうして初めて分かるものがある」
もっと上手い表現の仕方があったのではないかと自分でそう思いながら、口に出していた。
「なので、エミリア大尉が前に話したボーダーラインを越える時が、その位置に付いたということです」
「あの彼と話して随分と気持ちが変わったみたいね」
大尉は笑っていた。変化していくことを歓迎するように。
「そうですかね。今まで食べていた意志という料理に、ほんの少し隠し味が加わったくらいですよ」
照れくさそうに答える。実際恥ずかしかった。
「そんなもので良いのよ。味付けしていって自分好みに変えていくものだから。すぐに食べきれるわけでもないでしょう?」
「ですね。僕なんか、一生食べきれないと思います」
「なら今度食べさせて。どんなものか味見したいから」
おかしくなって二人して笑う。そんな声が横風に乗って飛んでいく。
そんな声につられてか偶然か、僕らを探していたかのようにクーパー大尉がやってきてブリーフィングルームに帰ることになったのはそれから少ししてからのことだ。
「全員揃っているな」
3日が過ぎた。空港施設や隊舎、特別航空治安維持飛行隊と分けられているところは閉鎖、ハンガーにしても外から外部へ通じているところは仕切りを作り、ハンガーの扉を閉じ、何も知らないであろう門兵をしょっ引いて警備をさせ、ここまでたどり着いた。対策に対策を重ねた結果だ。
僕らパイロットはもちろん、十数名のSSGの隊員、整備兵まで全員を集めた。普段こうして全員が一同に会することなどないから、壮観だった。これほどまでの人に囲まれて僕は仕事をしている。別の基地にいる同僚などを集めたら一体何人になるのだろう。
「見ての通り、諸君らが全員集まってもらったことには訳がある。既に隊員どうしで聞き及んだ噂話などがあると思う。だが今はそれを一旦忘れてほしい」
声がハンガー内に響く。無機質な白い照明と、声を反射するだけの置物となった戦闘機たち。戦闘機も声を聞くのだとしたら、今の声はうるさいのだろうか。
「では言おう。我々はこれより情報軍に対し攻撃を実行する」
「上手くいきますかね」
パイロットスーツに着替え、脇にヘルメットを抱えて話す。ハンガー内は賑やかだ。駆け回ったり怒号を発する整備兵、適当にこしらえたテーブルに銃などの装備品を置いてチェックするSSGの隊員、シリアスな空気からいつものような空気に戻った気がした。あるものはスピーカーから”ワーキング・フォー・ザ・ウィークエンド”を流している。
「中佐を信じろ」クーパー大尉はそう言う。
「悪い仲間を成敗して、さっさと帰ってくれば良いのさ。中佐からのお墨付きだぜ」
リューデル中尉は気楽だ。エミリア大尉が渋い顔をする。
「そう単純な事じゃないでしょう。相手は私たちよりずっと大きいのよ」
「クーパー大尉」レイは声をかけた。
クーパー大尉こそ一番荷が重い筈だ。ジェフ少佐とは往年の付き合いだと知った。中佐が教えてくれた。
「俺の事は良いんだ。あいつが間違った空を飛ぶのなら、堕とされるしかない。正そうとは思わん。昔からああいうやつだ。だから気にしなくていい。いつも通りやれ。あいつはもうバンディッツだ」
そう言って、良いかと僕らに言う。
「装備は短距離中距離が同じ数、持てるだけ持て。増槽は会敵次第投棄。識別はFCレーダーを向けてきたやつがそうだと思え」
「了解」と一同。
「準備完了です!」と整備兵が伝えてくる。
各々の機体に駆け足で乗り込む。JFS作動。右から。エンジンの回転数が上がり目覚めたイーグルが唸りをあげる。ヘルメットを被りながら、先ほどの中佐の言葉を思い出す。
「では言おう。我々はこれより情報軍に対し攻撃を実行する」
ざわめくかと思えば、寧ろ誰かが唾を飲みこむ音が聞こえてくるほどに静寂が訪れた。誰もが次に発せられる声を待っている。
「一週間前、ある事件が起きた。”遺産”回収作業に当たった部隊が友軍に全滅させられるというものだ。そしてそれは、我々特別航空治安維持飛行隊の一部隊によって引き起こされたものだという。私は、君たち、そして他の所属部隊にもいかなる手段でも任務を遂行し帰投しろと命令しているが、バンディッツの真似事をしろと命令した覚えはない」
淡々と声のトーンを上げることも下げることもなく、一定のリズムで話続ける。
「第28攻撃飛行隊。それが今回の目標だ。レイ・ハンター中尉がもたらした情報によれば、彼らは情報軍の我々を快く思わないであろう集団と結託し、崩壊を狙っている。その始めが君たちだ。特別航空治安維持飛行隊は一個の独立した集団、その所属部隊も一個の独立した集団なのだ。この部隊をどうしようとも外部の邪魔は決してさせない。それは私がすることだ。だから、今この場を借りて、君たちにお願いしたい」
中佐が深々と頭を下げた。その場にいる誰もが、力強く頷いた。静かに意思を示す。それを見て、中佐は安心したように笑み、改めて作戦概要を話すのだった。
スロットルをIDOLEへ。イグニッション。エンジンの回転数がさらに上がり、人であれば息切れでもしそうな程の甲高い唸り声。エアインテークがガクッと下に下がる。整備兵と確認しながら同様に左。JFSをオフ。
各システムチェックのテストパターンを作動。異常なし。ブレーキ、計器チェック。異常なし。フラップ、ラダー、トリムの動作チェック。整備兵がミサイルの外部安全ピンを引き抜く。そして車輪止めを外す。
半分程度に開いていたハンガーが完全に開き切る。誘導員が持つライトスティックが煌めく。今は夜だ。夜明け前の満点の星空。空気が乾燥しているから雲も無い。寒さと乾燥が訪れるのが速い、今年の冬は特に寒いだろうな。そんなことを思った。
機体をゆっくり前進。機体を照らす照明がハンガーから夜空の月明かりと変わる。横を見ればストークマン中佐を乗せてきたグローブマスターにSSGの隊員が乗っていくのが見えた。
隊長のクーパー大尉のファントムから滑走路へ続くタキシーウェイに進んでいく。誘導員が敬礼。グローブマスターに乗り込む彼らも遠目から敬礼しているのが見える。僕はそれに答えた。機体が完全に彼らの背を向くまで。
元々は立派な空港であっただけに、滑走路を示す誘導灯は立派なものだ。ただ灯せばイルミネーションにさえ使えそうな光の道。僕は今からそこを走る。
スロットルをミリタリーに。どんと背を押されたようにイーグルは大地を蹴った。アフターバーナーテイクオフ。ローテーション、ギア・アップ。編隊に合流する。
最後に離陸したグローブマスターが上昇してきた。編隊に合流し、一つの鳥となる。
作戦はこうだ。
グローブマスターに乗ったSSGが11番基地へ、積荷管理者と基地へ帰ってきた兵士を装い適当にこしらえたIDなどを持って侵入する。夜に到着する定期便はそれほど珍しくないのだが、管制にとっては迷惑極まりないだろう。
中佐はこの時アルテミス隊以外の部隊に飛行停止命令を出す。レイの基地に仮に内通者がいるとしたらステラー隊が発進していることはバレている筈なので、ステラー隊には全くあべこべなルートの哨戒飛行の指示を出す。そしてSSGが仕掛けてきた偽物の”遺産”を、実際に発見したと司令部へ報告。侵入組は傍受装置やら集音装置やらを使い、この基地に届く様々な信号を捉える。普段そんな装置どこで使うのかは疑問だが、ビショップ曰くたまたまあったものだそうだ。
無論、そのような手段で捉えられないこともある。その際はアルテミス隊がいきなり発進し始めた時が合図だ。アルテミス隊には飛行停止命令を出さない代わり、命令あるまで自室待機としている。これは偽物の”遺産”のシナリオに合わせたものだ。緊急性がある以外は地上部隊に任せると。
僕らはそれまであべこべなルートを飛び続ける。増槽も翼に抱く。空中給油機だって使うくらい時間がかかるかもしれない。あとは耐久レースだ。終わりのない駆け引き。
来るなら来い。話したいことだってある。彼らと空を飛んだ時間を僕は忘れない。だからはっきりさせたい。例えそれが撃ち合うことでしか分からなくたって。
空を見た。夜はまだ明けていない。




