9話:088の魔術師(2)
こうして空を飛んでいる時に、母の言っていたことを思い出す。
『レイやこれからの仲間のために、この空を守り続けるのが私の使命。綺麗な空をレイにもいつか見せてあげたい』
大戦が起きる前、大戦後でも、その言葉を曲げたことは無かった。当時ハイスクールに通っていた自分にずっとそう言い聞かせていたのを覚えている。
この言葉に一体どれだけの意味があったのかその時の僕には分からなかった。空軍パイロットとして飛ぶ以上は自国や仲間のいる空を守るのが当然だから、当たり前の使命を僕に言うのもなんだかおかしく思っていた。
今思えば、それが彼女の、母のこう飛びたいという願いだったのではないか。いかなる状況であっても、それを忘れないように繰り返し言っていたのではないか。それが自ずと軍から認められるパイロットになったのだから、間違いはないのだろう。
「コントロールよりステラー4、アンノウンをレーダーで捉えた。進路を220に取れ」
「ステラー4了解。数は?」
「現在のところ1機だ」
「了解。対処する」
イーグルを加速させる。多分戦闘になるだろう。ここに踏み入れる空の漂流者などバンディッツを置いて他にない。
程なくして当該機が前に見えた。まるで待っていたかのように反転する。いつものことだ。
マスターアームオン。レイは素早く短距離ミサイルを選択した。RDY。
二度とこの空に迷い込んでしまわないように、二度と僕らに挑まぬように。レイはミサイルのリリースを押した。
ヘッドオンの敵機に向かって吸い込まれるミサイル。この終わらない空の摂理の中で、母はどうやって自分の飛び方を見つけていったのだろうか。
10秒と経たない内に爆散する戦闘機。レイは西日が眩しい空にイーグルを羽ばたかせる。
帰るか。帰って話がしたい。レイは静かにバイザーを上げた。
僕らが特別航空治安維持飛行隊とロシアの部隊が会談する日程が決まった。運が良いことにそれまでは非番という異例の措置が取られた。
非番と言えど基地ではなく、現地でのことだ。僕らは本部のあるニューヨークへ向かい、リバティー空港で降りた。大戦が終わっても未だに軍が半分程駐屯しているここは数あるニューヨークの空港でも浮いている。民間機の乗り入れも国内のみと少ない。
この事実上の休暇には、3日ほどあることが分かった。ロシア機が来るまでの間ということらしい。そんな僕らだけ早く来たところでという疑問はあったが深く考えない。
これを機に実家に帰ることが出来る。既にマンハッタンのホテルを取ってあるという話を他所にレイは地元へ行く便を探していた。クーパー大尉にその事を話せば、手際良く司令部と掛け合いいつの間にか話が進んでいく。一方で俺たちも付いて行こうかと気遣うリューデル中尉にレイはやんわりと断った。一人で行かないと意味がない。
許可が下りるのにそれほど時間もかからなかった。エミリア大尉はレイの気持ちを知るだけに心底心配そうな顔をしていたが、レイは笑って背を向けた。
双発の中型旅客機で向かう実家はアメリカ中部にある。自分ではない他人が操縦する飛行機に揺られながら数時間、最寄りの空港に到着した。
そこからタクシーに乗ってさらに1時間と少しの場所にレイの実家がある。大きな一戸建ての建物に大きな野菜畑、父親は農家だ。代々受け継がれたこの土地で野菜はすくすくと育つ。今も個人販売をしているのだろう。地元ではそれなりに名の知れた農家が父の家族だった。
「ただいま」
レイは玄関先で植物の水やりをしている父に言った。名はラッセルだ。
やや驚いたように目を開いてレイを見た。
「帰ったか」といつもの無表情な顔で言う。あまり顔に出さない人だ。
ひとまず荷物をリビングに置いて、父の方へ再び向かう。
「何しに来た?こんな何でもない日に帰るなんて軍でも辞めたか」
「母さんに会いに来たんだ。時間が作れたから」
「そうか・・・。長いこと来てなかっただろう。いつぶりだ」
「二年とちょっと」
今の部隊に移動して以来、帰りたくても帰れない日々が続いていた。バンディッツという不鮮明な敵を相手にする以上は手を放すことが許されない。最後に帰った時ですらゆっくりとすることは出来なかった。
「いつ戻る。早い方が良いだろう」
「いや、今日は家にいるよ。明日早くから行こうと思う」
「分かった。ところで腹は空いてるか」
そう言えば機内食のサンドイッチしか食べていない。足りてなかった。
「空いてるよ。作ってくれる?」
「ああ。荷物置いて着替えてこい。その汚い格好じゃ食わせないぞ」
「イエッサー」
父に敬礼したら包丁が飛んできそうだなとか思いながら、レイが家を出て以来変わっていない私室に入った。懐かしい香りがする。木や植物の匂い、ふんわりと風に乗って僕の鼻に語りかける。
仕舞ってあった私服に手に取る。手入れされていた。いつ帰って来ても良いように。心の中で感謝を言いながら着替えてレイは食事に向かった。
いつになくぐっすり眠った次の朝、玄関の家族写真を眺めて出発した。
母のは共同墓地にある。家からはまた数十分走ったところだ。
「最近はどうなんだ。パイロットの方は」父が切り出した。
「まあまあかな」
「上手くいってないのか」
「どうして?」
「顔に出ているからさ。母さんも同じような顔をする時があったな。親子だ、どうせ同じことで悩んでいるんだろう。俺には分かる」
「やっぱりお見通しか。父さんには敵わないよ」
「まあな。良く似てるもんだ。同じ道を歩む辺りも」
「僕がパイロットになったのまだ怒ってる?」
「許してるつもりはない。だが、そう言ったところで空からお前は降りないだろ?」
「もちろん。僕は飛び続けなきゃならない。これだけは誰にも邪魔させない」
「その頑固なところもそっくりだ…着いたぞ」
花を取れ、と言われ後部座席に置いてある花束を手に取った。
「花菖蒲。日本の花が好きだったよね。育て方から全部教わってさ」
「そうだな。お前が枯しそうになった時どれだけ母さんが怒ったか覚えてるか?」
「家に爆弾でも降ってくるんじゃないかってビクビクしてた。トラウマだよ」
「全くな。さぁじっくり話して来い。気が済むまで」
レイは頷いて歩いていく。
墓地には誰もいなかった。こんな普通の日に、朝に来る人なんていないだろう。他の人からすれば通常運行の日々なのだから。
空を見上げた。雲一つもない快晴。そんな空に一本の飛行機雲が引かれていく。それは直ぐに消えることなく、細かく乱れながらも延々と描かれる。
母の墓、名前が刻まれている。『ローラ・ハンター、ここに眠る』と。
花菖蒲を供えてそのまま座り込む。
「母さん、また会いに来たよ」数分間を置いた後、話しかけた。
「ちょっと悩みごとがあってね。聞いてくれるかな」
レイの語りかけに答えるようにそよ風が吹く。
「僕は母さんを追いかけて同じ空にやってきた。それはもう話したっけ。今日の話題は飛ぶ理由についてだ」
さらさらと吹く風は返事のようだ。
「僕にずっと言ってたこと覚えてるかな。そう、それ。母さんにとってそれが理由になるんだろうけど、僕はどうなのかなって。同じようなパイロットと飛んで思ったんだ。僕にとっての飛ぶ理由は、飛び続けるだけの動力になるのかって。不安になった。情けないよね」
きっとそんな事は自分が一番良く知っているなんて言うのだろう。僕はそのように聞こえてくる。
「パイロットとして当たり前の事を僕はまだ出来ちゃいないかもしれない。けどそういう時どうやって飛んだ?僕はそれが知りたい。それを教えてほしい。まだ言葉に言い表せないのが苦しいよ。答えが見つかるきっかけでもあれば良いのに。そうは思わない?自分で見つけろって?そうだよね、ごめん」
どのくらいここに座って話し込んだろうか。そろそろ帰ろうと腰を上げる。
じゃあねと言いかけて視線を感じた。誰かが見ている。母さんかもなと振り向く。
「レイ・ハンター中尉」ぱりっとした職員のスーツを着た男が二人、待っていた。
「誰だ」
「国連軍情報部、まあ”情報軍”と言えば分かりますか」
情報部。軍隊レベルの待遇と規模を持つ組織だ。便宜的には軍ではないが、僕らや他の軍は別称として情報軍と呼んでいる。
「そうだな。あんたらがこんなにも礼儀を知らないとは初めて知ったよ」
「無礼は承知の上です。もっと早くお会いできればと思ったのですが」
「それでわざわざ人の墓参りを邪魔するのか。誰のとも知らない墓石の裏にでも隠れて」
「中尉は今どういう立場にあるのか自覚するべきだ」もう一人が喋る。
「どういう意味だ」
「それはここで話すことはできない。中尉は今とても危険な状況だ。我々が保護しなければならない」
「僕はとっくに危険な状況だよ。パイロットだからね。保護したいなら空ですることだ」
「ここは地上だ。空とは違う。貴方は自由ではないのです。使う物も違ければ、ルールも違う。それがわからない筈がない」
じりじりと彼らが近づいてくる。言う通りに保護を受けた暁には何をされるかわからない。何が目的で僕を捕らえるつもりなのかまだ理解できない。
「その通り。勝手が違うだろう。だがそれはあんたらの流儀でしかない。僕には関係ない。止めようとしても振り切って飛ぶまでだ。だから断る。あんたらと一緒には行かない」
「そうですか」
レイは走る準備をした。なるべく悟られないように。父さんのところまで行ければ後は車で走れば良い。
パスッと音がした。カランと響く音。レイは知っている。薬莢の落ちる音、銃だ。
「残念ですが父親の元へ行くことは叶いません。選択肢はないのですよ」
「父に何をした…?」
「ちょっと眠っていただいているだけです。安心してください。傷一つありません」
レイは腰から銃を抜いた。G19、国連が長く採用している拳銃だ。軍の正式採用銃でもある。左手で持ち手を覆うようにして構える。
銃を持っていないと思ったのか少々驚いた表情を見せた。だが構わないという風に相手も構え直す。
「撃てますか、あなたに」
「僕だって軍人だ。撃つ時は撃つ。それにもう僕は撃たれた身だ。保安要員の立場としても正当だ」
国連軍の軍人は、任務外では保安要員と同じ扱いになる。実際に保安要員と同じIDカードも持っているし、身分証明として携帯しなきゃならない。
「こうなった以上はあんたらが情報軍だろうと関係ない。どうなろうと逮捕する」
「構いませんよ。私たちは所詮駒です」
じりじりと相手の足が進む。レイは姿勢を崩さないが手元が震え出した。
一人が駆けてくる。お互いの肩をつかみ合う取っ組み合いになる。上下左右に揺れる視界に抗って拳を打ち込む。こんなパンチなんて効くわけがないかと頭で考えながらもう一人にテーザーを撃てる隙を与えてはいけないと思い、背中を見せぬよう服を引っ張る。
近くで爆発したような視界の揺れ。実際には爆発など起きてなく自分が殴られたのだと実感する。素早く相手が僕の手から銃を振り落とす。僕の反撃も両手足を駆使して容易くあしらう。レイは空しく地面に押さえつけられた。
今なら撃てるというように銃口が冷たく僕を睨みつけた。銃を構えるもう一人が近づいてくる。こんなところで…。
「中尉、じっとしていたまえ」
背後からの声に対してほぼ反射的に顔を伏せた。プシュッと静かな音が二回。目の前にいた男が倒れ、続いて僕を押さえつけていた男が力なく横たわっている。
「レイ・ハンター中尉だね?」老いているようなそれでいてまだ若さも残っているような特徴的な声が聞こえてきた。
レイは振り返って足元に落ちていた拳銃を構え直す。こいつも敵かもしれない。
「誰だ、あんたは」
暗がりにいたシルエットがはっきりと見えてくる。スーツ姿だ。髪は白髪交じりの、老けて見えるが不思議としわが目立っていない。はっきりと若さがあった。
「私は、そうだな。”魔術師”と言われている男だよ」
「”魔術師”?まさか・・・」
この男が、あのパイロットだと言うのか。僕がどうやっても勝てないと確信した相手。そして会いたいと思っていた人。
母のような、そしてエミリア大尉の言うような、絶対的な存在がここにいる。自分の飛び方で生きてきた、エースという存在が。
「名前は」整理しきらない頭で言う。
「君の名前を知っていて私の名前を言わないのは不公平だったね、失敬。私はヴィタリー・アーヴィング。階級は大尉。ロシア軍特殊作戦飛行中隊所属だ。これから君たちと話し合う連中だよ」
冷たい風が吹く。まるで彼が空気を変えたかのようだ。
レイは深呼吸をする。だが銃を構えるのだけはやめない。
「あなたは味方なのか、大尉。どうしてここにいる。父はどうした」
「いかにも、そして君の父は保護しているので安心してほしい。もう少し遅ければ私は自責の念で空を飛べないだろう…これは冗談だ。なぜここにいるのかは、これから話そうじゃないか」
随分と落ち着いていた。余裕とも違う、穏やかさがある。
「彼らが誰で、なぜ僕のところにいたのか知って来たというのか」後ろで横たわる男たちを目線で指して尋ねる。
「そうだ、知っているよ。同時に中尉がここに来るのも知っていた。いや、盗み聞きしたというべきかな」
「盗み聞き?一体どこから…」少なくとも聞かれる心当たりは無かった筈だ。
「私のところも中々複雑でね。彼らと同じことをする筈だったんだよ」
「どうしてそんなことを。ロシア軍のパイロットが個人的に僕に会いに来る用事でもあったというのか。そんなのおかしい、理由が分からない」
「半分正解だ」
“魔術師”はふーっと息を吐く。
「まず、個人的に会いたかったのは事実だ。そしてこれは決して偶然ではない。我々が選んだ必然なのだ。そこの彼らを見たまえ。君を追いかけ、そして私が来た。これが理由だよ」
「なら情報軍は何をしに?知っているんだろ」
「じゃあ、中尉はなんで狙われたと思うかな?」
「なぜって…分かっていたら丸腰でここには行かない。大尉、答えてくれ」
語気を強める。納得できるものがなければ感情を押さえつけられない。
「分かった。簡単に言えば、君たちを快く思わない連中がいるということだ」
「僕らを快く思わない連中?そんなのごまんといる。航空軍だって、陸軍だってそうだ。今に始まったことじゃない」
「果たして本当にそうかな?中尉が思っている意味と、私の言っている意味は少々違うようだ」
「どういう意味だ」
「組織を壊すに十分な力を彼らは持っている。単に疎ましいと思っているだけではない。彼らは実力行使に出た。その始めがこのエージェントと、お目付け役だ」
「”お目付け役”だと?」
分からない。内部にスパイでもいたのか。僕がここにいるのも、全部筒抜け….レイはぞっとした。そんなことをしている場合ではないのに、仲間内で潰し合いか。そしてこれは僕が関わるにはあまりにも大きすぎる。スケールの大きさに動揺する。
「分からないかな?短い間だけど、君たちの近くにいた筈だ。最も近いところに」
「まさかだと思うが、アルテミス隊か」レイは間を置いて言った。
短い間に近いところ…この答えを導くのにさほど時間はかからなかった。この数か月、あまりにも色々なことが起きた。あの作戦はその中でも一番のものだ。通信が通じないあの空域で、偶然にも出会ってしまったアルテミス隊。当時はそんな深く考えなかったが、出来過ぎていたのだろう。
「その通り。彼らは南欧支隊と言いながら、その役割も持っていた。情報軍との繋がりがあったのだ」
「しかしなぜ。ジェフ少佐がそんな役割にいなきゃならない。そして再三思うが、なぜ大尉がそこまで知っている。答えろ大尉。あなたは一体何を見てきたんだ?」
「運命というのは、不幸で残酷なものだ。話が真実に近づく程に実感する。中尉、それを受け入れられるかね?」
“魔術師”、アーヴィング大尉が深呼吸をする。レイは静かに頷いた。
「私は情報軍から、君たちを、君を墜とすように言われていた」
「なんだって!」冗談じゃないと、声音を高くした。
「落ち着け中尉。まだ全部じゃない。そしてこれは過ぎたことだ」
「こんなことを聞いて落ち着ける筈がない!ここであなたを撃っても良いんだぞ…!」
味方ではなかった。それ見たことか、こいつだって敵だ。拳銃のトリガーに指をかける。
“魔術師”が目の前に駆けてきた。視界が一気に地面に向く。情けない声が出た。
「人の話は最後まで聞くものだ。中尉」
僕から拳銃を取り上げ、マガジンを抜き、初弾を排莢させる。
「すまないね。少し預かろう…、では続きを話すとしようか」
僕は立ち上がる。”魔術師”は僕の拳銃のマガジンをポケットに入れて、本体は丁寧に地面に置いた。
「バンディッツは我が祖国でも脅威でね。空軍が弱体化して守るべき盾が少ない今、我々は協力しなければならない。そして情報軍に我々はパイプを持った。このパイプが無ければ我々も対抗出来る術がなかったのは事実だ。だがいつしかそれは異質なものに変わったよ。彼らには別の狙いがあったようだからね」
「別の、狙い?」
「特別航空治安維持飛行隊は現在二分している。一つは中尉たちのように今まで通り動く方。そして情報軍の狙いに賛同する方。この後者がアルテミス隊だ。彼らは全く別の組織を外に創りだそうとしている。その為に中尉のようなものは邪魔になる。なぜだと思うね」
「そんなの反逆罪だ。そんなことは許されない….僕らも逮捕されるし計画は崩壊する。口封じに殺そうっていうのか」
「情報軍は上層部とも口裏を合わせている。疎ましく思う連中を同じ考えに上手く引き込んでね。彼らの懸念はそれをリークされることだ。まぁ中尉の様子ではあまり気付けていなかったようだから、何も分からないまま”処分”されているか、仲間に引き込まれていただろうね」
「仲間に引き込むっていうのは?どうして僕が、いや僕らか」
「中尉は有望株だ。バンディッツを撃墜することに長けているし、その技術はアルテミス隊の興味を引いていた。一番穏便に解決するならば、君を引き抜くことだったのだろうね」
情報軍の狙いは話を聞いても分からないままだった。ジェフ少佐がそんなことに関わっていただけでもショックだ。今にもパンクするかもしれない。自分の与り知らぬ部分でまさか身内から命を狙われるとか、そんなこと分かる筈もなかった。気が狂いそうになる。
「質問ばかりで僕もこれで最後にしたい。なぜ僕らが狙われた?他に部隊はある、それでも良かった筈だ。まだあなたの言うことの半分も理解できちゃいないが、これが知りたい」
「簡単だよ。バンディッツを墜とし過ぎた。たったそれだけのことだ」
「あんまりだ…奴らから守るために選ばれて飛んできたのに、そんなのあんまりだ!」
レイは膝から崩れた。裏切りだ。母だってその為に飛んできて死んだのに、僕はそれすらも叶えてくれないのか。嘘だと言ってほしかった。
「だからこそ聞きたいのだ、中尉。君は何のために飛ぶのかをね」
今までの努力は。そして見つめ直してきた飛ぶ理由なんて、もう…。
「分からない…そんなのもうどうでも良い…」
「それが答えかね?」”魔術師”が僕に銃を向ける。
「待っている仲間がいるというのに君はなんて無責任なのだ、中尉。くだらない大人のゲームに付き合わされる君に同情はする。だがそれでは君たちの司令官から保護するように言われていたお願いを聞き入れることはできない」
根性論でも、なんでも持ち出せば良い。こんなのを聞いて、では飛ぶ理由はなんですかと聞かれて、私はこうですと言える方がおかしい。なら”魔術師”は、あなたなら。
「….あなたなら、なんて答える」
「私か…。これまでと変わらない。どうなっても祖国と家族を守るだけだ。それは言うまでもなく、私自身が心の底から思う理由だよ。私が中尉なら、そう言う。落ち着いて考えて見たまえ」
例え根底から覆されそうになったとしても、彼はずっとそう答え続けるのだろう。エミリア大尉の言うものは、ここから来るのだろうか。
無限に思える程の時間が過ぎていく。どのくらい黙っていたのか、その感覚さえない。
「……………、僕は」と切り出す。ありのままを言うことにした。
「あなた程の考えもなければ、こんなことで見失う程度の理由しかなかったのかもしれない…。だけど、そんな中でも唯一の依り代は母だった。彼女もパイロットで、大戦とバンディッツの交戦も経験して、果てに死んだ。それをただ辿って来ただけ….。こんな話を聞いた後にまだそんなことを言う自分が馬鹿みたいだ…あなたはそれでも良いと思うのか」
レイは”魔術師”を見つめた。見つめて、目が枯れるまで。
大尉が銃を下ろした。そして微笑んでいた。
「中尉。もう答えは出ているじゃないか」
「これが…?」
「そうだ。もう少し自分が飛ぶことに自信を持つと良い。これからもそれが、イーグルを羽ばたかせることになるのだから。中尉の母を辿ってきたのなら、尚更だ」
“魔術師”はあくまで肯定的だった。そして理解しているようだった。
「僕はまだちゃんと整理できてない、母のことも。だからその答え合わせに。あなたがそう言うのなら、僕もそうする。母もきっとそれを望むだろうから」
彼は頷いた。それで良いと。
「これからどうするつもりなんです。あなたは」レイは尋ねた。
「中尉と話すことで、特別航空治安維持飛行隊に協力するかどうか決めるつもりだった」
「それで、決めたのか」
「ああ。決めたよ」
“魔術師”は流れる動作で自分の銃からマガジンを抜いて、腰に下げた。そして地面に置いた僕の銃を手に取って、マガジンごと僕に渡す。
「そして私と中尉は戦闘機パイロットだ。なら銃は必要ない。そうだろう」
手は温かった。レイも銃を仕舞う。
「なんと空の青いことだろうか。見たまえ中尉」
来るときに見た飛行機雲は消えている。キャンパスはまた青一色だ。
「私たちがこの空を飛ぶ資格があるのかは、自分次第だ。そしてバンディッツも、同じ事だ。誰もがバンディッツになる可能性も秘めている。それも忘れないで欲しい。曲がった飛行機雲を真っ直ぐに戻すも逸らすも自分自身なのだから」
「そうですね…」
「今度また会うときは、中尉の成長も見られると良い。私を墜してくれるくらいにね」
プッとクラクションの音が聞こえる。ワンボックスの車が止まった。
「さあ行け、中尉。ここの処理は任せて欲しい。君の父はこちらで保護する。そちらは早く仲間と合流することだ。それと、父に何かしら置手紙でも書くと良い」
「ありがとう大尉…いや、”魔術師”」
「なんだか照れくさいね。この歳になっても」
服装を正して車に乗る僕を見送る。スキール音を立てて発進する頃には、まるで本物のように、姿を消しているのだった。




