第二章 惑星アメジスト第五王女 4
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アメジスト国王……元国王による実質の敗北宣言により、コロシアムは様々な声に包まれた。
「待て! ヴィオをどうするつもりだ!」
フレッドが叫ぶ。
「何だ、はっきり言わないと分からないのか。幸い私は未婚だ。いくら亡国とはいえ、元王族なら結婚相手として問題ない」
「結婚相手だと? 宇宙の法則に基づいて何たる愚かな考えだ! ヴィオはまだ子供だぞ!」
「この国では、身分の高い女性ほど結婚は早いと聞いているが。それに、今すぐに結婚する必要もない。暫くは、婚約者と言うことで充分だろう」
「ふざけるな!」
「フレッド、下がるのだ!」
アメジスト国王は闘技場の袖まで歩み、フレッドを一喝する。
「父上……しかし……」
「下がるのだ」
「お父様……」
フレッドも、そしてロッソの腕に抱かれるヴィオも、国王を見つめる。
「ヴィオ、この無力な父を許してくれ。それからレオーネ中佐。こんなことを頼める立場で無いことは承知しているが、どうか娘を幸せにしてくれ」
「このままこの国に居るより、ましな未来を約束しよう。では、私はこの惑星を出る。今後の細かいことに関しては、後任と話し合ってくれ」
そう言うと、ロッソはヴィオの腕を引き、闘技場の出入り口に向かって歩みを進める。
「え? ちょっと待ってください! このままこの惑星を出るのですか?」
ヴィオが慌てて問いかける。
「そうだ」
「そんな! 私まだちゃんとお別れを言えていません! それに、あのネックレスだけは探させてください」
「ネックレスだと?」
「ヴィオ! 行くな! 宇宙の法則に基づいてボクとヴィオは……」
「フレッド兄様! お父様! みんなあぁぁ!」
ヴィオは泣き叫ぶが、その腕は緩まない。
「おい」
ロッソが、自分の介添人を務めた金髪の青年に声をかける。
何かを話していたが、ヴィオが耳にしたことのない言語だった。
ヴィオは、最後まで家族の名前を叫び続けた。
強引に戦艦へと連れて行かれる。
悔しくて、悲しくて、頭が混乱してしまい、気づいたら女性兵士に決闘用の衣装から、ふんわりとした帝国製の洋服へと着替えさせられていた。半袖で、しかも膝丈のワンピースなんて初めて着たので、落ち着かない。
「まもなく、レオーネ中佐がお見えになります。こちらでお待ちください」
ホットココアを出してから、女性兵士は姿を消した。最初は口を付けるつもりは無かったが、甘い匂いの湯気に嗅覚を刺激され、ほんの少しだけ口を付ける。どうやらここは戦艦内におけるロッソの私室らしい。決して広くは無いが、大きな本棚が印象的な居間。大きな二つの本棚の間に仕事机、応接セットが置かれているような配置だ。どの品物も悪いものではないし、センスも良い。ただ、本棚が場所を取り過ぎていて、決して洗練された部屋には見えない。部屋の隅には小さなキッチンがあり、先ほどの女性兵士はそこでココアを入れていた。奥に続く扉は寝室だろうか。
「……寝室」
一瞬でヴィオの頭は、不吉な予感でいっぱいになる。
先ほどロッソが言ったとおり、惑星アメジストでは身分が高い女性ほど、結婚年齢が早い。ヴィオの四人の姉たちも初潮を迎えてまもなく、然るべき場所へと嫁いでいった。ヴィオも昨年初潮を迎えた。その際にいつ嫁いでも良いようにと、そういう教育は受けさせられた。だから、あの寝室へ入ったら、どういうことが行われるかは知っている。でも、具体的な縁談がヴィオの耳に入ったこともなく、今まで自分がそういう目に遭うことを、しっかりと想像したことは無かった。
「お母様……」
不安になり、首元のネックレスに手をやろうとして、無くしたことを思い出す。
「あっ……」思わず涙が零れそうになると、乱暴に扉が開いた。「!」
「何だ、泣いていたのか。ヴィオーラ」
「泣いていません。それに……」
これ以上ロッソに涙を見せるのが悔しくて、ヴィオは素早く涙を拭う。
「呼び方が気に入らないか? お前はもう王女ではなく、俺の婚約者だ。慣れろ」
「……分かりました」
「分かったなら良い。それから、我々はこれから帝都へ向かう」
「帝都とは随分遠くなのですよね」
「ああ、時空嵐が無く順調に行ったとしても、二週間はかかるな」
「……そうですか」
いきなり、そんなに遠くへ連れて行かれるなんて……。ヴィオはますます不安が募る。ロッソは、ソファーには座らずキッチンへ向かう。
「赤と白、どっちが好きだ?」
「はい?」
質問の意味が分からず、ココアの入ったコップを持ったまま振り返る。
「そうか、まだココアがお似合いだな。気にするな」
何故かロッソは笑いだし、グラスを一つだけ出して赤ワインを注ぐ。その様子を見て、ヴィオはようやく赤ワインと白ワインのどちらが欲しいかを問われていたと理解する。
「子供だと思って馬鹿にしないでください! しっ白でお願いします!」
「無理しなくて良いんだぞ」
「無理なんかしていません。子供扱いしないでください」
ヴィオがそう言うと、ロッソは暗紅色の瞳でヴィオの菫色の瞳を射貫く。
「本当に子供扱いしないで、良いんだな?」
危険な方向へ話が進んでいるのは、ヴィオも分かっている。だが、ここで引き下がるわけにもいかない。
「構いません」
「ふっ、そうか」
ロッソが白ワインをグラスに注ぎ、ヴィオへと差し出す。それを躊躇い無い風を装って受け取ると、ヴィオは一気に飲み干した。
「ごほっ」
「そんな飲み方する奴がいるか。酒、飲んだこと無いのか?」
「私の国ではこれが普通なんです」
体温が一気に上昇するのを感じながら、ロッソを睨み付ける。
「あっ」
しかし、目が回ってしまい、その場でよろめいてしまう。
「おい、大丈夫か? 取り敢えず横になった方が良いな」
すっかり力の抜けたヴィオを抱え、ロッソが寝室の扉を開ける。まず大きなベッドが目に飛び込み、そこでヴィオは我に返る。
「いやっ! 下ろして!」
「おいおい」
ヴィオが激しく暴れるので、ロッソはため息を吐き、寝室を入って直ぐの所へヴィオを下ろす。ヴィオは扉の近くの壁に寄り掛かる。まだ足下がふらついて動けないのだ。ロッソは一度居間へ戻ると、自分の赤ワインが入ったグラスを手にして、ヴィオには触れずにベッドに腰掛けた。
「そのまま床で寝るのか?」
「……何で私を殺さなかったのですか?」
「何だと?」
「こんな辱めを受けるくらいだったら、あの場で名誉を守って殺された方がマシだった。いっそこの場で舌を噛み切って……」
「ヴィオーラ!」
ワインで満たされたグラスが床に滑り落ち、繊細なグラスは、澄んだ音と共に砕け散った。
「え?」
ヴィオはその音に驚き、涙で滲んだ瞳を上げる。
すると、目の前にはロッソの姿があった。先ほどまでロッソが腰掛けていたベッドまでは、距離にして数メートルほどあった筈。驚くべき素早さだ。しかし、ヴィオにはそんなことを感心する余裕など無い。最悪なことに壁に背を預けていて逃げ場所も無い。
詰め寄るロッソは若者ではあるが、成年。大人の男だ。この世に生を受けてから十一年。大人の男にこんなに詰め寄られたことの無いヴィオは、恐怖を必死に押し殺し、ロッソを睨み付ける。
「痛っ」
顎を強く掴まれ、思わず顔を歪める。
「死ぬ方がもっと痛い」
そう呟くと、ロッソは強引に唇を重ねてきた。
「んっ――」
ヴィオが必死に暴れるが、ロッソはまるで動じない。
やっと唇が解放された時には、ヴィオの息はすっかり上がっていた。時間にして数秒だったのか、数分だったのかそれさえもヴィオには分からない。息を整えつつ、手の甲で唇を拭う。
「何だ、息の仕方も知らないのか。威勢は良いがやはり子供だな」
ロッソが呆れたとばかりに言い終わるのを待たずに、ヴィオは唇を拭っていた手でロッソに平手打ちをしようとする。
「まだそんな元気があるのか」
ロッソは視線をヴィオの顔から動かさずにその右腕を掴んだ。
「なっ!」
「一つ教えてやる」右腕ごとヴィオを壁に押しつける。「こういう時は鼻で息をするんだ」
そう言うのと同時に、再び唇を重ねられる。窒息の心配は無くなったが、何の救いにもならない。
「…………」
暫くしてロッソが唇を放す。その唇から血が一筋流れる。ロッソは指先で血を掬い取り、自分の血だと確認すると、ヴィオを鋭い眼差しで射貫く。ロッソの眼差しに怯むこと無く睨み返すヴィオの唇にも、ロッソの血が付いている。
「それだけ元気があれば死なないだろう。いいか、お前は俺のモノだ。勝手に死ぬことは許さん。よく覚えておけ!」
それだけ言うと、ロッソは踵を返し部屋から出て行ってしまった。
「あっ、ま……」
待って。
……なんて言うつもりだったのか。
こんな知らない所で一人になるより、誰でも良いから一緒に居て欲しかったのか。
自分でも答えが見つからず、ヴィオは一人になった部屋で膝から崩れ落ちた。
どれ程の時間、座り込んでいたのだろう。最初はロッソが戻って来るのではないかと、戦々恐々としていたヴィオであったが、戻ってこないことを悟り、ゆっくりと立ち上がった。まだアルコールが残っていて、側頭部の血管が悲鳴を上げているが、我慢出来る痛みだ。寝室を見回すと、こちらにも高さこそ無いが、立派な本棚が三つほど置かれている。
「読書家なのね」
ヴィオも本は好きだが、紙で読むより自動で本の内容を立体映像化してくれる映像読書を好む。何となく背表紙の綺麗な一冊の本を取り出す。
帝国語で書かれているので、ざっと見た感じで訳すとどうやら金融改革の歴史について記されているようだ。あまり興味の湧く内容では無いので、それを棚に戻し他の本を何冊か掴み取る。
スポーツと精神世界、帝国のあり方、宇宙生活における健康維持法などなど……。最初の本よりは興味をひいたものの、熟読するには至らない。
七冊目の本は、帝国軍人指針。速攻本棚に戻そうと思ったヴィオであったが、たまたま開いたページに釘付けになった。