第二章 惑星アメジスト第五王女 3
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星々を行き来することが、当たり前の時代なのに……否、そんな時代だからこそなのか、決闘という非常に古風な方式で、物事を決める文化が未だに存在している。
しかし、辛うじて文化として存在しているだけで、催し物以外の決闘はやはり珍しい。惑星アメジストにも立派なコロシアムがあるが、ここで王族が戦うのは初めてのことだ。しかも、王国の最後の日。ヴィオが勝った場合も、手に入れられるのは家族や親族と上級貴族たちの命。惑星アメジストの自治権ではない。
「本当はこの惑星から手を引いて欲しいって頼みたかったのですが、それでは交渉自体が決裂する気がして、お父様たちの命のみ救って欲しいとしか言えませんでした……」
コロシアムの控え室で、決闘用の動きやすい服に着替えを済ませたヴィオは、フレッドに申し訳なさそうに頭を下げる。国王や第一王子はコロシアムの主賓席から外すわけにも行かなかったのだ。フレッドはヴィオの介添人に名乗り出たので、こうして控え室にまで入ることを許されたのだ。フレッドは決闘のためにスカーフを外し、一つに束ねられている異母妹の美しい髪をそっと撫でる。
「いや、宇宙の法則に基づいて、本当はボクが代わりたいくらいだ。お前をこんなに危険な目に遭わせるなんて……。母上もとても心配しているよ」
「ブリーナ様ですか。最近具合があまり宜しくないと伺っております」
「うん、先週から熱が下がらなくてね。でもこんな時期だし決闘はきちんと見るって仰っていたよ。ただ風邪をうつしたくないって、宇宙の法則に基づいて控え室には来なかったけどね」
「……そうですか」
「王女様、そろそろお時間です」
侍女が時計を見てヴィオに声をかける。
「わかりました」
「あれ? ヴィオ、そのネックレスはしたままで良いのかい?」
フレッドがヴィオの首元を見て慌てて声をかける。
「はい。これは亡き母上の形見ですから。大事な時にはいつも一緒なんです」
銀色の鎖の先には可愛らしい菫の花の形をした紫水晶が光っている。
「そうか。でも決闘中に邪魔にならないようにしておきなよ。それが宇宙の法則さ」
「ええ」
ドーム型コロシアムの中はそれほど混では居なかった。入れる者は帝国軍側の人間と、王国側は王族、貴族、それに従者に限られたためだ。
重苦しい雰囲気を吹き飛ばすように、軽快なラッパ音が鳴り響いた。闘技場の両端からヴィオとロッソがそれぞれ現れた。ヴィオは正装から決闘用の衣装に着替えていたが、ロッソは白い軍服のままだった。
決闘用の衣装は体にフィットするデザインで、動きやすさが重視されている。しかし、顔と手以外の肌を露出しないのは、元の服と同じである。審判を中心に、王国側はヴィオとフレッド、帝国側はロッソと金髪の介添人がそれぞれ歩み寄る。主審は王国の者が行うが、闘技場の下には帝国側の副審が控えている。四人が中心に揃った所で、双方の介添人が、お互いの武器と防具に不正がないかを確認する。持って行った武器は使いづらかったので、結局ヴィオは愛用のレイピアを選んだ。ロッソは一般的なブロードソードと、見慣れない片刃の剣を武器にするようだ。二刀流なのかとロッソを見ると、盾も装備しているので、片方は予備の武器らしい。
「問題ありません」
「こちらもありません」
フレッドと金髪の介添人が、それぞれ宣言する。
「それでは、それぞれの剣と盾を決闘者に渡してください」
審判の呼びかけで、武器がヴィオとロッソの手に渡る。ロッソはブロードソードを構え、もう片方の剣は鞘にしまい、腰へと差した。
「では、介添人は下がってください」
壇上にヴィオとロッソ、審判の三人だけになったのを確認して、審判が話を再開する。
「制限時間無制限、一本勝負になります。降参か、仕留めた状態に追い込むか、戦闘不能、死亡で勝敗は決まります。また、今回の武器は剣になります。これ以外の隠し武器等での決着は反則となりますのでお気を付けください」
「分かりました」
「了解した」
「では、両名前へ」
ざわついていた会場の声も、少しずつ静まっていく。ヴィオとロッソは数メートルまで近づく。
「ほぅ。剣の構えはまあまあだな」
「甘く見ていると怪我をしますよ」
「口が減らない王女だ」
「始め!」
審判の声が響き、一気に会場が熱に包まれる。
「惑星アメジスト第五王女ヴィオーラ、参る!」
まずヴィオは中段に剣を構え、そのままロッソに突進する。
「こちらの実力を見極めるというのか。生意気な」
鼻で笑ったロッソが真っ直ぐに盾を構える。そう、ロッソの言うとおり一発目は相手の実力を計るためにわざと受けやすい攻撃を仕掛けたのだ。
――ガッ!
剣と盾がぶつかり、鈍い音が響く。
この人、強い……。
瞬間的に、感じる。ヴィオが渾身の力で打ち込んだ一撃を、ロッソは顔色一つ変えずに受け止めたのだ。稽古をしてくれる大人たちからも驚かれるほどの剣の腕前だと評判だったのに、……ヴィオは驚きを隠せない。
一度後ろに跳躍をし、ロッソと距離を開ける。
「どうした、怖くなったか? 降参しても構わないんだぞ?」
「誰が降参などするものですか! 貴方もきちんと構えなさい」
「いいだろう」
そう言うと、ロッソは持っていた剣と盾を捨て、片刃の剣を構え直す。
「おっ、本気モードか、珍しいな」
金髪の介添人が口笛を吹く。
そして、ヴィオが上段の構えを取るのに合わせて、ロッソが中段の構えを取る。しかし、二人の身長差はおよそ三〇センチ。剣そのものの高さは丁度同じくらいだ。
「覚悟!」
大声を上げヴィオが走り出す。そのままロッソの心臓を目掛け、突きを繰り出す。上段での一撃をロッソが剣で受けようとすると、ロッソは受け流そうとすると、ヴィオが急に切っ先を変えた。
「二段突きか!」
ロッソの鋭い瞳が一瞬大きく開かれる。
「もらいました!」
そのまま一気にロッソの首元を突こうとする。しかし――
「甘いな」
――ロッソはヴィオが二段目の突きを行うために、剣を引いた一瞬を見逃さなかった。
「なっ」
斜めに切り上げたロッソの剣筋が、ヴィオの剣を一閃した。
「あっ、ネックレスが!」
激しい動きのせいなのか、服の中に仕舞っていた筈のネックレスが飛び出してしまっていた。剣と共に、はじき飛ばされる。
「何をしている集中しろ!」
ヴィオの剣は大きく弧を描き数回転すると闘技場の端の方へと落ちる。剣の落ちる音と同時に、小さい物が落ちた音が耳に入る。咄嗟に横へと跳躍し、そっと首元を触る。
「ネックレスがない!」
さっと闘技場を見渡すが、小さ過ぎるせいなのか、直ぐに見つけることは難しそうだ。
「そんなちゃらちゃらした物を着ける余裕など無いだろう」
「貴方には関係ないでしょ!」
「早く剣を拾え」
「バカにしないで」
剣を失ったヴィオは盾を正面に構え、そのままロッソに突撃した。
「今度はシールドアタックか、本当に面白い王女だ。気に入ったぞ」
ロッソは微笑むと、ヴィオの攻撃を躱し、握った剣を捨てた。空いた両手で、その細い左腕を掴む。
そして――
「え?」
――気がつくと、ヴィオは闘技場に仰向けで倒れていた。
あまりに一瞬の出来事で、何が起こったのか理解が追いつかない。
ほどなくして背中の痛みから、投げ飛ばされたという結論に至る。ぼんやりと周りを見渡そうとすると、黒い髪がまず視界に入る。ライトに照らされて深緋に見える不思議な髪。その髪が、自分の額に触れる。ゆっくり視線を動かすと、目の前には男の顔。男の前髪が額にかかるほど、距離が近い。
「それまで!」
主審の声が響き、ヴィオは我に返る。
投げ飛ばされたショックで、一瞬混乱していたが、意識がはっきりしてくる。すると数センチ程度の距離にロッソの顔が接近しており、自分に覆い被さる形だったことに気づく。
「立てるか?」
素早く立ち上がったロッソが手を差し出すが、その手を無視し、自力で立ち上がる。
「あっ」
何故か足に力が入らず、そのままふらついてしまう。
「危ないな」
再び倒れそうになった所をロッソが支える。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろう。受け身も取ってなかったぞ」
手を振り払おうとしたが、より強い力で掴まれてしまう。
「勝負あり。勝者、帝国軍中佐ロッソ=レオー……」
「異議あり!」
主審の言葉を遮ったのは、他ならぬロッソ本人だった。
「どういうことでしょうか?」
自分に向けられた勝利宣言を遮るなど理解出来ないと、主審は眉を顰める。
「この勝負、引き分けだ」
「何ですと?」
会場がざわめき出す。
「静粛に、静粛にしてください!」
主審と副審が呼びかけるが、声は静まらない。
「理由は簡単だ。どちらも反則をしたからだ」しかし、全く気にした様子もなくロッソは話し続ける。「審判」
「何でしょうか?」
急に呼ばれ、主審は驚いたようにロッソを見る。
「今回の武器は剣であったな。そして、これ以外の隠し武器等での決着は、反則だと言っていたであろう」
「左様です……あっ!」
そこで何かに気づいたように、主審は口を押さえる。
「そういうことだ。王女は剣ではなく、盾で攻撃を仕掛けてきた。そして私は剣を使わずに王女のことを投げ飛ばした。双方反則で引き分けだ」
「いや、しかし……」
主審は困惑を隠せない。確かに双方反則だが、先に反則をしたのはヴィオだ。それにロッソは他の道具を使ったわけではないし、最終的にはヴィオを仕留めた状態に追い込んでいた。どう考えてもロッソの勝ちなのだ。
少しずつ会場の声が静まっていく。
「こちらが引き分けだと言っているのだ」
ロッソからのダメ押しの一言。引き分けで良いと言ってくれていると理解した主審は闘技場の中心へ移動する。
「この勝負、引き分け!」
高らかに宣言される。その宣言に気が緩み、ヴィオは崩れ落ちそうになる。
「ヴィオ!」
咄嗟にフレッドが駆けつけて、ロッソの手からヴィオを奪い返す。
「フレッド兄様」
「宇宙の法則に基づいて、もう大丈夫だ」
フレッドが、ヴィオを闘技場から下ろそうとすると背後からロッソの冷たい声がかかる。
「別にそちらが勝ったわけではない。引き分けだ」
「引き分けということは、再戦させるのか? ヴィオがこんなに弱っているのに。宇宙の法則から見ても、それは明らかだろう!」
「いや、再戦は必要ないだろう」ロッソは一瞬ヴィオに目を向ける。勝負はついていたのだ。もう一度やっても、より酷く負けるだけなのは、ヴィオにも理解出来ている。「引き分けなので、双方の敗北した時の条件を実行するとしよう」
「どういうことだ?」
「まず、私の敗北した時の条件である、成人した王族と主要貴族の処刑取り消しを行う。子女共々この惑星での居住は禁じるが、あとは自由にしてくれて構わない」
その発言を聞いて、会場が喝采に包まれる。
「フレッド兄様、やりました」
「そうだな、宇宙の法則に基づいてヴィオは頑張ったもんな」
弱りながらも満面の笑みを浮かべるヴィオの頭をフレッドが撫でる。
「盛り上がっている所悪いが、王女が敗北した時の条件を話していないぞ」
ロッソの一言で、場内が恐ろしいほど静まり返る。本来引き分け時の条件は、定めていなかった。普通に考えれば再戦が妥当なのだ。しかし、今の一戦で二人の実力差は明白だ。再戦してもヴィオに勝ち目はない。それに、そもそもこの引き分け自体がロッソ側の慈悲だということは明らかだ。引き分けの条件定義をロッソが決めても、異議を唱えることは出来ない。
「こちらは、王女が掛けたものを頂こう」
暗紅色の瞳が光る。
――自分の命。
ぞくり、とヴィオは血の気が引くのを感じる。
一人で会議室に乗り込んだ時も、この決闘の時も、怖くは無かった。どこかで王女である自分が理由もなく殺される筈はない、と思っていたのだ。
でも今は正直言って……怖い。
震える体を必死に抑える。いくら怖くても自分で掛けた命だ。ここで命乞いをするなんて言語道断もいい所だ。
「良いでしょう。この命差し上げます」
ヴィオは精一杯恐怖を押し殺し、ロッソを睨み付ける。ロッソが不敵に微笑むと、ヴィオに近づき、先ほど投げ飛ばした時と同じ左腕を掴む。
「痛っ」
「ヴィオに近づくな!」
フレッドがヴィオを守るように抱き締める。
「これは王女と私の問題だ。下がれ」
そのまま強くヴィオを引っ張る。
「あっ!」
「ヴィオ!」
引っ張られた勢いで、そのままロッソの胸に飛び込む形になってしまう。ロッソはそのままヴィオの肩を抱くと、貴賓席に座るアメジスト国王に向かって言い放つ。
「では、この王女の命は私が預からせて貰おう」
「え?」
予想外の言葉にロッソの腕の中にいるヴィオが聞き返す。
「王女は今から私のものだ」
今度はヴィオの方へ目を向けてそう告げる。
その言葉を聞いたアメジスト国王が立ち上がる。
「娘を頼む」
一言。それだけ言って、国王は帝国中佐に頭を下げた。
この瞬間、惑星アメジストはその二〇〇年の歴史に幕を下ろした。