第一章 帝国宇宙軍士官学校首席卒業生 2
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「何だか卒業するなんて実感が湧かないわね」
ロッソの挨拶以降、特筆すべき出来事もなく、無事に卒業式も終わった。寮の周りを歩きながら、アリアが呟く。まだ肌寒い時期なので、ヴィオもアリアも学校指定の薄いコートを羽織っている。
「でも、アリアはまた学生やるんだよね。医療学校に編入するなんて、最初に聞いた時には、ほんとビックリしたよ」
「わたしも、まさかヴィオが前線に行くなんて思わなかったわよ」
「私は自分で希望した訳じゃないから。……それに、前線に行くなら、アリアみたいに白兵戦も射撃も得意なタイプの方が頼もしいと思ってるよ」
「まぁ、わたしの場合は将来的には、戦うドクターになるわけね」
「自分で怪我させた人を介抱するんじゃないの?」
ヴィオがアリアを覗き込み、からかう様に尋ねる。
「喧嘩とかして? う~ん、無いって言い切れる自信が無いわ」
アリアはいたずらっぽく微笑み、そのまま二人はくすくすと笑い合う。
医療実習で医学に目覚めたアリアは、士官学校の過酷な勉強の傍ら、医療学校への編入準備もしていたのだ。アリアは学科よりも、実技で点数を稼ぐタイプだったので、学科が得意なヴィオが随分勉強を教えた。その代わりと言ってはおかしいが、アリアも三歳年下のヴィオに、一般常識から一般常識外の余計な知識に至まで、色々と吹き込んだのだ。
進路が違うので、暫く会えなくなってしまう寂しさが二人を包む。しかし、お互い暗くなっても始まらないと、敢えていつも通りの軽い口調で会話を続ける。
「アメジスト先輩、ラックス先輩!」
そこへ二人の姿を見つけた在校生たちが、凄まじい勢いで押し寄せて来た。
「握手してください!」
「一緒に写真撮ってください!」
「ビンタしてください!」
我先にと詰め寄る後輩たちを眺めて、ヴィオとアリアは苦笑する。
「そんな風に言って貰えるのは嬉しいですけど、私たちよりもっと良い配属になった卒業生に握手した貰った方が良いんじゃないですか?」
後輩といえ、ヴィオの方が二歳年下なので遠慮がちに言うと、アリアもそれに続ける。
「そうそう。わたしなんて、医療学校へ編入するだけだし、ヴィオだって、前線の艦隊に直配属よ」
士官学校では、憧れの卒業生に握手をして貰い験を担ぐ習慣があるのだ。しかし、往々にしてそういう対象になるのは、統合作戦本部へ配属になった者と決まっている。
「何を言っているんですか!」
「学科のアメジスト、実技のラックスって言ったら、十年に一人の逸材だって、そりゃあもう有名なんですから!」
「ずっと憧れていました!」
「ビンタしてください!」
遠慮がちに言ったのが災いしたのか、後輩たちの魂に火を点けてしまったようだ。沢山の後輩にもみくちゃにされながら、ヴィオとアリアは引きつった笑顔で写真や握手に応じる。
このままじゃ窒息するかも……と、あまりの圧迫感に耐えかねたその時――
「最近の士官学校生は、節操が無いな」
背後から、ため息混じりの声が聞こえる。
「あれ?」
その声がした途端に、圧迫感が無くなった。
後輩一同がさっと身を引いたのだ。
「さて、優しいアリア先輩が、あっちで後輩諸君のために、握手会を開いてあげようかな。ほら、みんな付いておいで」
ヴィオと同じく、後輩から解放されたアリアが伸びをする。それから周囲で立ちすくむ後輩を従わせて、歩き出した。
「え? アリア?」
急な展開にヴィオが驚いていると、アリアが意味深に微笑む。
「だって、久々の再会を邪魔しちゃ悪いもの。じゃあ、手紙書くからね」
軽く手を振りながら、アリアと後輩一同が去っていく。
「……まさか」嫌な予感に駆られたが、そのまま逃げるわけにもいかず、ヴィオは恐る恐る振り返る。「げっ! レオーネ大佐」
最悪の予想が的中し、思わず正直な思考漏れる。
「なんだ、最近の士官学校ではろくに挨拶も教えないのか?」
唇の端を釣り上げ、意地の悪い視線を向けて来る。ロッソは真っ黒のコートを羽織っていた。長いコートなので、まるで悪魔が羽織るマントのように見える。
「……レオーネ大佐、お久しぶりです」
今度は完璧な敬礼をロッソに向ける。
「格好だけはようやく半人前になったか。さて、行くぞ」
「行くって、どこに?」
全く話が飲み込めず、ヴィオはロッソに問いかける。
「その言葉遣い、上官に対して適していると思っているのか?」
「……じゃあ、話しかけなきゃ良かったでしょ!」
「相変わらず、可愛げがないな」
「何であんた相手に可愛くしなきゃいけないのよ。で、どこに行くの?」
「俺の艦に決まっているだろうが。お前の配属先なんだから」
「何で急に!? 配属先への移動用航宙券は自分で取ったわよ」
「キャンセルしろ。出航前なら何割か戻って来るだろう。それに、どうせ一ヶ月後には正式に配属されるんだ。今のうちに乗っておけば、航宙費もかからんだろう」
「お金の話じゃないわよ」
「じゃあ、何の話だ? 何か外せない用事でもあるのか?」
「それは……違うけど」
仲の良いクラスメイトの間で卒業旅行の話も出てはいた。しかし、アリアは編入準備で忙しく、他のメンバーも遠方に配属の者が多かった故に、計画が流れてしまったのだ。それでも、今まで忙しくて行けなかった観光名所を巡ろうかとか、ヴィオなりに計画していたのだ。しかし、それが外せない用事かと問われれば、答えは否である。
「なら問題ないだろう。行くぞ」
「…………」
「何をぼーっとしているんだ? 駆け足!」
ロッソが踵を返し歩き出す。ヴィオがぼんやりと立ち尽くしていると鋭い声が投げかけられる。
「はい!」
まるで体育教官のように叱咤するので、つい今さっきまで士官学校生だったヴィオは感情よりも早く体が反応してしまい、ロッソの歩く方へ向かって駆けだした。
校門の前には沢山の浮遊型自動車が待機していた。浮遊と言っても航空物との衝突を避けるために、地上から最大でも一メートルしか浮くことは出来ない。一応、緊急ブレーキ用にタイヤが底面に格納されている。
「どの車なの?」
ヴィオが辺りを見回しながらロッソに訪ねる。
「車は待ってないぞ。こんな混雑した所で乗るなんて時間の無駄もいい所だ。歩くぞ」
そのまま人混みをすり抜けるように、足早にロッソは歩いて行ってしまう。
「すみません、通してください」
ヴィオも何とか付いていこうとする。しかし、体の大きな人たちに阻まれてなかなか先に進めない。
「全く、何をしている?」
ロッソが鋭い暗紅色の瞳でヴィオを射貫くと、強引にヴィオの右手を掴む。
「放して。一人で歩けるわよ」
「歩けていないだろうが。トロトロするな。行くぞ」
そのまま強くヴィオの手を引っ張り、足早に人混みを抜けていく。
「ちょっと、どこまで歩くわけ?」
「大した距離を歩く訳じゃないんだ、我慢しろ。それにしても、お前……体力もないし、トロいし、本当に首席卒業生なのか?」
「別に歩くのが嫌なんじゃないわよ。それに、運動系の科目だってそこそこの点数は取っていたわ。バカにしないでよね」
「そこそこ……ね」
ロッソが含み笑いをする。
「何よ?」
「士官学校の成績表って保護者にも送られて来るんだ。知っていたか?」
「え?」
「法的には一応、俺が保護者なんだが……。まぁ、確かに悪くは無い得点だったが、はっきり言って良くはないな」
「どうせ学科科目だけで首席になったわよ!」
思わずヴィオが大きな声を出してしまうと、近くを通りかかったベビーカーを押す母親のグループ人がくすくすと笑い出す。
「まあ、可愛らしいカップルだこと」
「あの彼氏、なかなか可愛らしいんじゃない?」
「喧嘩していても手は繋いだままなのね」
きゃっきゃと盛り上がりながら過ぎ去ってしまう。
「……手、放して」
今の今まで、手を繋いだままだと言うことをすっかり忘れていたのだ。
「……ああ、そうだな」どうやらロッソも無意識に握ったままでいたらしい。あっさりと手を放す。「取り敢えずこの辺に座るか」
そう言うとロッソは道の小脇にある木製のベンチにどっかりと腰掛ける。ヴィオはその脇に直立して待機する。
「お前なぁ、もう学校の外なんだから普通にしていろ」
「これが普通よ」
「ったく、じゃあ此処に座れ。命令だ」
と、ロッソは自分の隣を指さす。
「そんなことで、いちいち命令しないでよ。職権乱用」
「じゃあ、こんなことで、いちいち命令をさせるな。横に立っていられると邪魔なんだ。早く座れ」
三人掛けのベンチの丁度真ん中にロッソが座っているので、一人分空けることは出来ないが、なるべく距離を保つように腰掛ける。
「そんなに緊張するな」
「だっ、誰が緊張なんかするもんですか!」
ヴィオが座ったのを横目で確認したロッソが、口を開く。
「そう言えば、お前、ヴィオーラ=アメジストで名簿登録されていたが、問題ないのか?」
「どういう意味よ?」
「正式名称じゃないだろう」
「ああ、そのことね。だって、もう王族じゃないもの」
「帝国では王族じゃなくても、ミドルネームは使用できるだろ」
「そのくらい、知ってるわよ。バカにしないで」
「じゃあ、ヴィオーラ=オリジネ=アメジストで登録すれば良かったじゃないか。卒業式でもヴィオーラ=アメジストと名乗っていただろう」
「オリジネは王家直系のみが名乗れる名前なのよ。だから、あんたに勝って、出世して、惑星アメジストの領主になったら、その名前をまた名乗るって決めているのよ!」
「……そうか。どこの国も似たような文化があるんだな」
「何よ?」
「いや、何でもないさ」
ロッソが僅かに微笑むと、そのまま二人は暫く無言になる。あまり無言が好きではないヴィオは、正面の車道を見ているロッソの横顔を覗き込む。
「そう言えば、レオーネ大佐って何歳なの?」
疑問がそのまま口から零れる。
「はぁ? お前、婚約者の年齢も知らないのか?」
「勉強不足で申し訳ありませんね」
希望した婚約ではない。相手の情報なんてそんなに仕入れていない。名前と階級と所属部隊。あと、やたらと若手に人気があることくらいしか知らない。
「二十四歳だ」
「え?」
「だから、年齢。来月には二十五歳になるがな」
「そんなに若いの?」
「……どういう意味だ。と言うか、何で今更そんなことを訊く?」
三年半前、初めて会った時には既に成年だったので、もっと年上だと思っていたのだ。
「先ほどのご婦人方がレオーネ大佐のことを可愛いって言ってたでしょ? 私から見たら、ご婦人方もレオーネ大佐もそんなに年齢が離れて見えなかったのよ」
「ああ、そういうことか。あのご婦人方は俺より五、六歳は上だと思うが……。そもそもご婦人方の可愛いほど当てにならないものはないぞ」
「そういう所は、士官学校の女の子たちと変わらないのね」
士官学校でも、何に対しても可愛いという感想だけで片付けるグループが存在していた。あれはあれで凄いと感心したものだ、とヴィオは納得する。
「俺が二十五ってことは……お前は、もう十五歳になったのか」
「そうよ」
「こうして会うのは三年半ぶりだな。長期休暇の度に帰って来るのを許可していただろう」
「折角の休みなのに、何であんたの顔なんか見に行かなきゃいけないのよ!」
「本当に相変わらずの態度だな」
不意にロッソがヴィオの頭を撫でる。そのまま指が滑り、紫苑色の髪に長い指を絡ませる。
「……ちょっと、何……するのよ?」
予想外の行動に、ヴィオの声が上ずる。
「ヴィオーラ、お前に渡したい物があるんだ」