第五章 紅の剣 4
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フレッド=アメジストは二五年前に生を受けた。
惑星アメジストの第二王子として産まれた。前年正妻である王妃が男児を産んでいたため、それほど大きなニュースにならなかったが、充分祝福された誕生であった。
母である第二婦人ブリーナは紫の申し子であった。しかし、息子のフレッドにそれが遺伝することは無かった。別に紫の申し子から必ず紫の申し子が産まれるわけでは無い。けれど、自分が紫の申し子で無い故に、ブリーナを失望させていたことは日々の発言から伺うことが出来た。
「宇宙の法則に基づいて、貴方のその瞳が紫の筈だったのに」
フレッドの深海色の瞳を、ブリーナが紫の瞳で覗き込みながら、毎晩の様に同じ台詞を繰り返した。
アメジスト王家の王位継承権は男子のみに与えられており、優先順位は単純に産まれた順だ。
王位継承権第一位の者以外は、外交のカードとして育てられる。けれどそれは紫の申し子という付加価値がある場合だけだ。もし紫の申し子ならば有力な惑星内の大貴族の家に入ったり、他の惑星の権力者に引き取られたりすることが殆どだった。その場合は紫の申し子である王子・王女本人だけではなく、母親や親族の生活の安泰も保障される。
しかし、そうでない場合は、子供が成人した際にお役御免になる。成人になると貴族としてそれなりの領地を与えられることになっていた。しかし近年では貴族の数が増えて過ぎてしまい財政を圧迫していたため、一部の大貴族以外は街の中流家庭と大差ない生活を送る場合が多かった。そして、その子供を産んだ母親も、他に役に立つ子供が残っていない場合は、正妻や余ほどの寵妃で無い限り、城を出ることになっていた。
第二婦人ブリーナは平民の出だった。
平民時代の話を母はしたがらなかったが、それでも懐かしくなるのか、フレッドは数回ほどその時代の話を聞いたことがあった。
それも貧民地区で有名な地域で生まれた。着るもの食べるものにも困る毎日であった。
そんな貧しく辛いことも多い毎日であったが、ブリーナの美しい紫色の瞳が周辺住民たちの幸福の象徴となっていた。そして、支えあいながら細々と生活を送っていた。
しかし、ブリーナが十八の時。貧民地区の近くを通った後宮の担当者に見出され、後宮へ上がることになった。当時、ブリーナには恋人が居たのだが、何故か後宮からの声のかかる直前に事故死してしまったそうだ。
最初は恋人を失った悲しみで気を落としていた。だが、やがて運命を受け入れ、国王の第二婦人として王子フレッドをもうけた。
既に世継ぎは産まれており、紫の申し子ですらない我が子では将来に不安があった。それ故に国王に更に子供を産みたいと申し出たが、その願いは国王に聞き入れられることは無かった。更に、後宮での立場も、数年後に嫁いで来て次々に出産する、第三、第四婦人たちに追われ、弱いものとなっていった。ブリーナが必死になるほど、国王の関心を失うという、皮肉な結果となってしまったのだ。
ブリーナは、再びあの貧しい生活に戻ることを何よりも恐れた。
今戻っても、自分を受け止めてくれる恋人はもうこの世には居ない。そんな中であの暮らしには耐えられない。それだけではなく、今や親や兄弟も豊かな暮らしをしている。
みんな自分を頼りにしている。
自分が頑張るしかない。
本来は紫の申し子を産むことが、一族の豊かな暮らしを守る一番の近道である。
しかし、国王は自分の元へは通ってくれなくなって何年も経過していた。
やがてブリーナは、これ以上子供を持つことは難しいと認めた。そこで、紫の申し子ではないフレッドに対して厳しい教育を始めた。
「宇宙の法則に基づいて貴方のその瞳が紫だったら、こんな思いはしなくて済んだのに」
あまりに厳しさに泣き出すフレッドに対し、ブリーナは紫色の瞳に涙を溜めて責め立てる。そう言われるとフレッドは何も言えなくなり、大人しくブリーナの言うとおり勉強や武術に励むしかなくなってしまう。
フレッドは自分の深海色の目を呪い、そしてブリーナの紫色の瞳を憎んだ。しかし、涙を溜めたブリーナの瞳を見ると、不思議とその憎しみも消え、母のために出来るだけ努力しようという気持ちへと切り替わった。やがて、周囲に自分を認めてもらいたいという気持ちが強くなり、目立つ行動を心がけるようになっていた。
居場所を失いつつあるフレッド親子を何かと気にかけていたのが、正妻である王妃だけだった。王妃はブリーナより二歳年上で、美しい紫の髪をしていた。若くして母になった二人はまるで姉妹のように仲が良かった。
二人の息子が大きくなってきたある日、王妃が十一年ぶりに子供を産んだ。
女児であったが、髪も瞳も美しい紫色を持った真の紫の申し子であった。第五王女ヴィオーラである。
真の紫の申し子の王女誕生に国中が湧いた。しかし王妃はヴィオの出産以来、体調を崩してしまった。そのため、産まれたばかりのヴィオの面倒を見ることが出来なくなっていた。
「世継ぎである第一王子は専門の教育を受け始めていますが、ヴィオは乳母に任せきりではなく、是非、妹のように思っているブリーナに見てもらいたいのです」
結局体調は回復することが無く、亡くなる直前に王妃は国王に頼み、了承を得た。国王は愛する王妃の頼みなので、断れなかったと言う。
しかし、そんな生活は長く続かなかった。
それはフレッド十六歳、ヴィオが六歳の時である。
その日、フレッドはいつもの様に王宮で家庭教師から勉強を教わっていた。その日の科目は数学。数学が得意ではなかったが、厳しい教育もあって同世代と比べ、かなり進んだ単元を学習していた。
しかし、その日の授業は特別高度だった。それもその筈。最近学習意欲が低下しているフレッドに喝を入れようと、家庭教師が自分でも難しい問題を用意していたのだ。
頭を悩ますフレッドの足元にボールが転がる。
いつの間にかヴィオが入り込んでいたのだ。ヴィオは第二婦人邸で面倒を見てもらうことが多かったので、こうしてたまに勉強中に紛れ込んで来ることがあった。家庭教師たちも愛らしい王女を邪険にすることは無く、お絵かき帖等を用意して遊ばせるようにしていた。その日の家庭教師もヴィオにお絵かき帖とクレヨンを渡して自分の横に座らせた。
少しフレッドが考えてから、ヒントを出した方がいいだろうと、読書をしていた家庭教師だったが、五分ほど経過してふと横を見ると驚くべき光景が目に飛び込んだ。
「ヴィオーラ王女?」
家庭教師は震える声でヴィオに声をかける。あまりの狼狽振りに難問に頭を抱えていたフレッドもそちらに目を向ける。
「ヴィオ?」
フレッドも家庭教師と同じような声を上げてしまう。何と僅か六歳のヴィオが、十六歳のフレッドですら手も足も出ない難問を、いとも容易く解いていたのだ。
「なんでこんなことが出来るんだ?」
「だって、フレッド兄様と一緒にお勉強していたんだもん」
ヴィオは笑顔でそう言った。
惑星アメジストでは、原則女性は高等教育を受けない。女性はよき妻、よき母になることが最も尊いとされているためだ。
しかし、ヴィオの学習能力の高さを知り、国王は特例として王子たちと同じ教育をすることにした。やがて重要な外交カードになる真の紫の申し子のヴィオには、教養もつけておいて損は無いと判断したからだと言われている。
以前は従順な女性が周辺惑星でも好まれていたが、近年では、ビジネスパートナーとしての働きを求められることも増えてきたのである。
教育を受けるようになると、ヴィオは第二婦人邸ではなく、本邸である城で生活することが多くなった。そしてブリーナとの交流も目に見えて減少した。
自分の娘の様に可愛がっていたヴィオが、手元から離れたショックでブリーナも体を壊してしまった。
幼い頃からの苦労が一気に出てしまったのか、ブリーナは病床から起き上がれないまでに弱ってしまった。ヴィオも時々は見舞いに来たが、国王が病気のブリーナに近づくことを快く思わず、その回数は限られていた。
やがてブリーナは精神も衰弱してしまい、ヴィオが自分の実の娘だと思うようになっていた。自分が真の紫の申し子を産んだのだと信じたかったのかもしれない。
その頃から紫の申し子ですらないフレッドを、誰だか分からなくなっていた。
病床で泣きながらヴィオの名前を呟き続ける母親。
自分は母を泣かせることしか出来ない。
母を笑顔に出来るのはヴィオだけだ。
フレッドはある決心をする。
「母上、ヴィオを僕の妻にするよ。そうしたら、ヴィオは母上の娘だ。それが宇宙の法則だよ」
ヴィオを手に入れれば全てが解決する。真の紫の申し子であるヴィオが産む子供ならば、普通より更に紫の申し子になる可能性が高いだろうし、ダメなら沢山産めばいい。フレッドはヴィオを手に入れるためにと、何に対しても我武者羅に努力した。
それなのに。
あの日、帝国の宇宙軍が攻め込んできた。自分たちは流刑だと噂では聞いていたが、蓋を開けてみたら、成年男子は処刑されることとなった。当時二一歳のフレッドは逃げも隠れも出来ない成人だった。会議室で処刑の旨を聞いた時、怖いという気持ちも確かにあった。同時にどこかほっとした気持ちもあった。それがどうしてかは分からない。
しかし、そこにヴィオが乱入してきた。勇ましく剣を持って、敵の大将に決闘を挑んだのだ。
結果は引き分けとなり、処刑は免れたが、ヴィオは帝国軍に取られてしまった。更に自分たちは揃って流刑されてしまった。
それでも国王と第一王子の他、紫の申し子たちは豊かな生活を送っていたらしい。しかし、フレッド親子はお役ご免とばかりに、王族の流刑先より更に辺境へと流された。国王は病床の第二婦人を空気の良い惑星で過ごさせてやりたいと言ったそうだが、フレッドは邪魔者を遠ざけたのだと理解した。
流刑後、ほどなくしてブリーナは病死した。
最後までヴィオを自分の娘だと、ヴィオに会いたいと言い続けていた。