第四章 食堂見習い 2
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初の上陸任務兼、里帰りと言うこともあり、ヴィオは夕食の時間まで支度をした。本当は嬉しい気持ちで一杯の筈だったが、引っかかりがある。
――隊長は腐った国しか本気で落とさない。
本当は直ぐにロッソ本人に尋ねれば良かった。でも、聞きそびれてしまったのだ。否、聞きづらかったのかも知れない。
急いで夕食を食べ、ヴィオはルーカの部屋の前に立っていた。副長なら、きっと何か知っている筈と、意を決しノックをする。
「はいはい」ほどなくして、少し慌てた様子のルーカが扉を開いた。入浴前だったのだろうか、服がやや着崩れている。「あれ? ヴィオちゃん、どうしたの?」
「すみません、ちょっとご相談がありまして……」
「そっか」
すると、部屋の奥から女性兵士が現れた。彼女もルーカと同様に着崩れを直している。
「副長、今日は帰りますわ」
「あっ、うん。今度埋め合わせさせてよ」
「ええ、楽しみにしていますわ」
ルーカが軽く手を振り、女性兵士を見送るとヴィオを部屋へと案内する。
「すみません、あの方とお話中だったんですね」
「いや、お話中というか。ボディランゲージというか……。まぁいいや。取り敢えず座ってよ。インスタントだけどごめんね」ルーカが湯気の上るカップを差し出す。アプリコットティーの甘い香りが鼻腔を擽る。「それで、どんな相談なの?」
よっこいしょとベッドに腰を下ろし、ルーカが尋ねる。ヴィオもルーカの動きにあわせて二人掛けのソファーに腰を下ろす。
「あの……」何から話せばいいのか、考えがまとまらない。「もしかして隊長は悪い人ではないのですか?」
口をついて出たのは至極シンプルな疑問だった。
「性格は悪いよね」
「それは知っています」
「人間的な善し悪しを訊きたいってことだよね」
「そうです。正直、私は敵だと思って三年半過ごしてきました。国を奪われ、自由を奪われ、憎んでいました。でも、この艦に来て、その考えに少し疑問を持ってしまいました」
「少し?」
ルーカが眉をつり上げる。
「副長は、三年前のことをご存じですよね?」
「ヴィオちゃんが初めてこの艦に乗ったときのこと?」
「はい。どうしてもあの時のことが許せないんです」
「でも、キスされただけだよね」
「きっキスだけって、十分大事ですよ!」
「だって、あのまま国に残っていたら、そんなもんじゃ済まなかったことくらい分かっているだろう?」
「どういうことですか?」
「どういうって、だってヴィオちゃんは真の紫の申し子なんだから」
「だって、紫の申し子なんてただの縁起物ですよ。真の紫の申し子だからって違いは無いですよ」
「おいおいちょっと待ってよ。本気で言ってる?」
「どういう意味ですか?」
不思議そうに首を傾げるヴィオにルーカはため息をつく。そして立ち上がるとヴィオの背後にある簡易キッチンへ向かう。紅茶が切れたらしい。
「取りあえずヴィオちゃんはロッソに感謝した方が良いと思うよ」
「どうしてですか? だってあんなに酷いことされたのに!」
「だからっ」
急にルーカの声色が変わる。
「え?」
背後に立って紅茶を注いでいた筈のルーカが後ろからヴィオを抱き締めた。
「君は本当に何も知らないんだね」
いつものルーカとは違う冷たい声を耳元で囁かれる。
「ふっ副長?」
「僕だって、これから楽しい時間を過ごす所だったんだよ」
「えっと……」
話が急に変わり、ヴィオは事態が飲み込めない。
「まだ子供っぽいし、ロッソが大切にしているから対象外にしていたけど……」
一瞬体を離されたが、直ぐに腕を掴まれ、そのまま二人掛けのソファーへと押し倒される。
「副長なにをするんですか!?」
「いっそ、僕のモノにしてしまおうか。折角の夜の時間も邪魔されちゃったし」
ジャケットに手を掛けられてようやくヴィオは、さっきの女性兵士とルーカが何をしようとしていたのかを理解する。
「え? あっ、止めて下さい」
「優しくはしてあげられるけど、止めてはあげられないな」
ジャケットのボタンが一つずつ外されていく。
「ダメです。止めて下さい!」
「だから止めないって。あんまり煩いと黙らせちゃうよ」
「黙りません!」
ヴィオは恐怖を押さえつけ、ルーカの群青色に冷たく輝く瞳を睨み付ける。
「そんなことをしても、一番傷つくのは副長、貴方だからです」
その言葉にルーカの動きが止まる。
「どうしてそう思うの?」
「今も辛そうに見えます。副長がこういうことをするのを、隊長が嫌がります。私も友達が自分のために悪者を買って出たら絶対に怒ります。私を傷つける方法は他にもいくらでも有る筈です。わざわざ副長まで傷つく手段を取らないで下さい」
そこまで一気に言われると、ルーカが笑い出した。
「君って自分のことは鈍感だけど、他人のことはよく見えるんだね。あ~あ、何か興が冷めちゃったな」ルーカがよっこいしょっと体を起こし、ヴィオの腕を引きソファーに座らせる。「ロッソは僕にとっては恩人なんだよ」
「恩人……ですか?」
「そう。前にも少し話をしたけど、僕の両親はロッソの実家で住み込みの使用人をしてたんだ。ロッソの家は、奥様とロッソの二人家族だった。お坊ちゃまと使用人の子供という立場の違いはあったけど、結構すぐに打ち解けたんだ」
どう相槌を打って良いのかも分からず、ヴィオはルーカの瞳を見つめたまま、話に聞き入る。
「でも、ある日僕の両親が出て行ってしまった。しかも屋敷の宝石を幾つか持ち出してね。当然僕は罪人の息子として屋敷を追い出されそうになった。だけど、その時ロッソが『こいつは俺の部下にするから手を出すな』って僕を捕まえに来た大人たちを前にして言ってのけたんだ。まだ初等学校にも行っていない年齢なのにね」
「副長……」
「君は知らないことが多過ぎるよ。周りが情報を遠ざけているのも分からなくはないけど、知ろうとしないのも罪だよ」
「私が何を知らないって言うんですか?」
「何もかもだよ。僕が今知っていることを端から話してあげたって良いけど、君は自分の目で確かめるべきだと思うよ」
丁度その時、ノックが鳴り響いた。
「おーい、ルーカ。ヴィオーラの奴、見かけなかったか?」
ロッソの声が聞こえる。
「おっと時間切れか」ルーカが立ち上がりドアを開ける。「はいはーい、ヴィオちゃんならここにいるよ~」
「何だと!? ヴィオーラ、お前どうしてこいつの部屋に居るんだ?」
「そんな言い方酷いな~。ヴィオちゃんが尋ねて来てくれたんだよ」
「そうよ。私がどなたと食後の時間を楽しんだって良いでしょ?」
「良くないだろ! 少なくともこいつはダメだろ! お前、こいつがどれだけ手が早いか知らないから、そんな暢気なことが言えるんだ!」
ついさっき、身を以て知る所でした……とは口が裂けても言えないので、曖昧に笑うしかない。
「酷いなぁ。僕は年上の方が好きだもん。ほら、明日は上陸で暫く忙しくなるし、久々に呑みに行こうよ」
ルーカが強引にロッソの腕を引く。
「いや、明日上陸なんだから、呑んでいる場合では無いだろう」
「だって上陸は午後じゃん。良いワイン手に入れたんだ」
取り敢えずロッソを部屋から出すと、さっとルーカが部屋に戻る。
「ほら、ヴィオちゃんも部屋に戻りなよ。その前にヒントを一つ」
「え?」
「君はロッソと同じ部屋なんだから、本当はいくらでも調べられるよね」
「副長?」
詳しく聞こうとしたが、
「ルーカ、何をしているんだ。早く行くぞ。あと、ヴィオーラは早く寝ろよ」
「子供扱いしないで!」
ロッソがルーカを呼んだため、それ以上聞けなかった。