第三章 士官候補生 4~5
4
「で、何故お前が此処にいるんだ?」
部屋に戻りネクタイを緩めたロッソが、ヴィオを見て眉を顰める。
「どういうこと?」
「自分の部屋に帰れと言っているんだ」
「私の部屋はここだって聞いているけど」
「……どういうことだ?」
「だから私の部屋は……」
「聞こえてはいる。どうしてそんなことになったのだと聞いているのだ」
「副長からは隊長も了承済みだと聞いているわ。艦内の改装が済んでいないから同室なんでしょ? それに、さっきだってこの部屋に戻ってきたのに、何も言わなかったじゃない」
「あれは、この部屋に挨拶に来たのだと思ったのだ」
「何でわざわざ、あんたに挨拶なんてするのよ?」
「……ちょっと、ルーカ(あのバカ)の所へ行ってくる」
「部屋を変えて貰うの?」
「空き部屋が無いのは多分本当だろう。どうせルーカも個室なんだから、暫くあちらで世話になる。お前はこの部屋を使うが良い」
「ちょっと待ちなさいよ。仮にもあんた隊長なのよ。それが相部屋なんて。だったら私が副長の部屋でお世話になるわよ」
「バッ! お前、あいつがどれだけ手が早いのか知らないから、そんなことが言えるんだ」
「隊長だって手が……」
そこまで言いかけて、ヴィオは言葉を飲み込む。二人の間に気まずい空気が流れる。三年半前と艦は違うが、家具はほぼ同じ。しかも、また二人っきり。嫌でもあの時のことを意識してしまう。
「とにかく、俺がルーカの部屋に行くから、お前は此処に居ろ!」
気まずい空気をなぎ払うように、ロッソは強く言い放ち、部屋を出てしまった。
言われたとおり、ヴィオは暫く部屋で大人しくしていたが、廊下の話し声が漏れ聞こえて来る。かなりしっかりとした作りの部屋なのに、聞こえて来ると言うことは、相当大声で話しているのだろう。先ほど挨拶回りの際に確認した所、この辺は士官の生活ブロックだ。クリーマ姉妹は夜勤だし、今はヴィオとロッソとルーカしか居ない筈だ。
「大声で、何を揉めているのかしら」
音を立てないようにそーっと扉を開けてみると……。
「良いから、お前の部屋で寝かせろ!」
「嫌だよ。ロッソが居たら女の子を連れ込めないじゃないか」
「連れ込まなきゃ良いだろうが!」
ルーカの部屋の前で、二人が揉めている最中だった。
「人の生き甲斐に何てこと言うんだよ~。あっ、そうだ。いっそヴィオちゃんがこっちの部屋に来るってどう? ちょっと子供っぽいけど、充分過ぎるほど可愛いしね」
どうやらルーカはヴィオに気づいたらしく、軽くウィンクしてくる。しかし、ロッソは丁度背中を向けているせいか、全く気づく様子がない。
「お前らは、そろいも揃って何てこと言うんだ!」
「あれ? もしかして、ヴィオちゃんもその気があったのかな?」
にっこりと微笑むルーカに、ヴィオは必死で首を横に振る。
「あるわけ無いだろうが! あいつはまだ子供だぞ!」
「子供だったら、別に気にしなくて良いじゃん。それとも、子供扱いする自信が無いのかな?」
「くっ! そんなわけ無いだろ。もうお前には頼まん。あっちで寝れば良いんだろ」
「そうそう。折角可愛い婚約者ちゃんと再会したんだから、優しくしてあげなよ」
「お前、今度の査定覚えておけよ」
「あっ、職権乱用!」
「それはこっちの台詞だ!」
「あれ、ヴィオちゃん」
すっかり油断した所を、ルーカがわざとらしく声をかける。
「何!?」ロッソが慌てて振り返る。「お前、何をしているんだ?」
「えっと、あの、その、何か声が聞こえたから、どうしたのかなって……」
「丁度、婚約者ちゃんがお迎えに来たことだし、僕は寝るから。じゃっ、おやすみ~」
「あっ、おい、ルーカ!」
「え? 副長!?」
二人の声にもお構いなしに、にんまりと微笑みルーカは部屋の扉を閉めてしまう。再び、気まずい空気が二人の間を流れる。何とか先に口を開いたのはヴィオだった。
「部屋に戻りましょうよ。今日はもう遅いし、明日に響くわよ」
「お前は先に戻っていろ。俺は他に行く所が……」
「隊長」歩き出そうとするロッソを、ヴィオが強い口調で呼び止める。「副長が言ったとおり、子供扱いする自信が無いから避けているの?」
あまりにストレートに言い過ぎて、言ったヴィオ本人が驚いてしまう。勿論、言われたロッソも驚きを隠せない。いつもは鋭い暗紅色の瞳を僅かばかり見開く。
「ったく、どいつもこいつも巫山戯たことを……。良いだろう、部屋に戻るぞ」
ロッソの何かに火を付けてしまったことを軽く後悔しつつ、ヴィオはロッソを部屋へと迎え入れた。
シャワーを浴びて、いよいよ眠ることになり、ヴィオは先ほどの自分の発言を激しく後悔していた。ちらっと見た寝室の内装も三年半前とほぼ同じ。部屋の中央に大きめのベッドか置かれている。二人で寝ても狭くは無さそうだが、勿論そんなつもりも覚悟も何もない。
「何で、部屋に戻って来るように言ってしまったんだろう……」
寝る前の習慣でホットミルクを飲みながら、猛省する。
一緒に寝たかったわけではない。断じてない。
強いて言うなら、先ほどのルーカとの会話で子供扱いされたことが、少なからず不満ではあった。ロッソに勝って、領主になって、国を復興させることを目標にこの三年半生きてきた。でも、まだまだロッソにはほど遠い。そして、自分は子供扱い。そんな子供扱いを相手は貫き通すのかを試したかったのか?
「そもそも、どうして自分の体を張って試さなきゃいけないのよ。私のバカバカ」
そうなのだ。ロッソがその気になれば、また三年半前のようになるのは目に見えている。「おい」
「ななななななななな何よ?」
考え事をしている最中に声をかけられ、動揺がそのまま声に出てしまう。
「お前はベッドを使え」
「え?」予想外の一言に、ヴィオは拍子抜けしてしまう。「隊長は?」
「俺はあっちで寝る」
そう言って、寝室の隣の部屋を指さす。紙を素材とした引き戸が少しだけ開かれており、見慣れない緑色の床が目に入る。
「あの部屋は?」
「何だ、和室を知らないのか? あれは畳と言って、まぁ、絨毯の仲間だな」
「あれが和室。資料は読んだことがあるけど、実物は初めて見たわ。確か、初代皇帝のゆかりの文化とかって……」
「ヴィオーラ、別に皇帝なんて関係ない。俺が和室の方が落ち着くだけだ。」
「そうなの? ……って、それも、同じ文化の衣装?」
「ああ、着物という。これは寝る時用の簡素な物だ。ほら、もう良いだろう。お前も寝室へ行け。」
手でシッシとされて、ヴィオはリビングから追い出されてしまった。
――深夜。
宇宙へ出て初めての夜だから、緊張してしまったらしい。ヴィオは喉が渇いて目が覚めてしまった。
「普段は一度寝たら絶対に起きないんだけどな」
ガウンを羽織ると、リビングにある簡易キッチンへ向かう。水を一杯飲んでから、なるべく音を立てないように、和室の引き戸を開ける。すると、薄暗い部屋の中でロッソが眠っていた。明かりの殆ど無い部屋では、髪は真っ黒に見える。気温が低いわけではないが、何も掛けずに眠る姿は流石に寒そうに見える。
「掛けるものよこせって言えばいいのに」
ヴィオは寝室に戻り、ベッドから一番暖かい毛布を引っぺがし、それをロッソに掛ける。寒そうに縮こまっていたロッソだったが、暫くすると穏やかな寝息に変わる。するとヴィオは次に暖かい毛布を引っぺがし、少し離れた所へ敷いた。
「流石に私だけベッドを使うってのも、悪いわよ」
そう呟いて、毛布へ潜り込み、その場で眠ることにした。
5
「おい、何でこんな所で寝ているんだ? 起きろ!」
――翌朝。ロッソの不機嫌な声で目を覚ます。
「朝から煩いわよ」
「煩いじゃない。とっとと着替えろ」
「ふあぁぁぁ。まだ六時前よ?」
「お前に仕事があるんだ。早くしろ」
「分かったわよ。ふあぁぁぁ」
寝ぼけた様子で、いきなり服を脱ぎ出すヴィオを、ロッソが大慌てで制する。
「おっ、おい! 寝室で着替えろ! お前には恥じらいってものが無いのか!?」
ロッソに寝室へと放り込まれたヴィオは、士官学校の制服に着替える。クローゼットには士官用の白い制服も用意されていたが、正式任官は来月なので、それまでは士官学校の制服を着るのが一般的なのだ。それに、やはりちょっと胸がきついので、来月までに再度採寸して貰ってトップスだけでもサイズ変更して貰わないといけないかも知れない。
「背が伸びてくれれば良いのに……」
少し目が覚めてきたヴィオは、独り言を漏らす。リビングへ戻ると、ロッソが待ち構えていた。
「では、お前の持ち場へ案内してやる」
「えっと、ここは?」
案内されたのは食堂だった。まだ六時過ぎと言うこともあり、がらんとしている。入り口には朝食は七時からとプレートがかかっている。
「食堂だ。昨日の挨拶回りで来ているだろう?」
「ええ、それはそうだけど」
「ここが今日からお前の持ち場だ」そこまで言うと、ロッソは振り返り、キッチンの方へと声を掛ける「おーい、ばっちゃん!」
すると、小さな老婆がぴょこりと顔を出す。小柄なヴィオとほぼ同じくらいの大きさだ。しかし、かなり腰が曲がっているので、若い頃はそれなりの身長があったことが伺える。
「あんれまぁ、隊長さんじゃありませんか~」
老婆は甲高い声を上げ、キッチンから出て来る。
「メレンダさん?」
ヴィオは不思議そうな声を出す。顔を出したのは、昨日挨拶をしたこの艦内で最年長のメレンダだった。食堂の担当だと聞いている。
「アメジスト候補生」
ロッソがヴィオの方を向く。
「何よ?」
「今日からここがお前の持ち場だ。このメレンダばっちゃんの手伝いをするのが、お前の仕事だ」
「ここって、食堂で?」
「そうだ。しっかり励むように」
ロッソはメレンダの方を向く。
「ばっちゃん、あんまり役に立たないかも知れないが、鍛えてやってくれ」
「ほっほっほ。こんなに可愛いお嬢さんと一緒にキッチンに立てるだけで、年寄りにとっては嬉しいもんですよ」
メレンダ入れ歯が飛び出すのではないかと言うくらい、豪快に笑う。
「……よろしくお願いします」
それに引き替え、ヴィオは自分がこれからどうなってしまうのか不安のあまり、曖昧に微笑むことしか出来なかった。