プロローグ~第一章 帝国宇宙軍士官学校首席卒業生 1
こんにちは、かんならねと申します。
今日から新作をアップしていきます。
この作品も、前作同様、完成したものを5,000位で区切ってアップしていきます。
一応、毎日23時更新を予定しています。
良かったら、お付き合いくださいませ。
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SSS
~スペシャル・スペース・スペクタクル~
プロローグ
ワインで満たされたグラスが床に滑り落ちる。繊細なグラスは、澄んだ音と共に砕け散った。
「え?」
幼い少女はその音に驚き、涙で滲んだ瞳を上げる。
すると、目の前には男の姿があった。先ほどまで男が腰掛けていたベッドまでは、距離にして数メートルほどあった筈。驚くべき素早さだ。しかし、少女にはそんなことを感心する余裕など無い。最悪なことに、壁に背を預けていて逃げ場所も無い。
詰め寄る男は若者ではあるが、成年。大人の男だ。この世に生を受けてから十一年。大人の男にこんなに詰め寄られたことの無い少女は、恐怖を必死に押し殺し、男を睨み付ける。
「痛っ」
顎を強く掴まれ、思わず顔を歪める。
「死ぬ方がもっと痛い」
そう呟くと、男は強引に唇を重ねてきた。
「んっ――」
少女が必死に暴れるが、男はまるで動じない。
やっと唇が解放された時には、少女の息はすっかり上がっていた。時間にして数秒だったのか、数分だったのかそれさえも少女には分からない。息を整えつつ、手の甲で唇を拭う。
「何だ、息の仕方も知らないのか。威勢は良いがやはり子供だな」
男が呆れたとばかりに言い終わるのを待たずに、少女は唇を拭っていた手で男に平手打ちをしようとする。
「まだそんな元気があるのか」
男は視線を少女の顔から動かさずにその右腕を掴んだ。
「なっ!」
「一つ教えてやる」右腕ごと少女を壁に押しつける。「こういう時は鼻で息をするんだ」
そう言うのと同時に、再び唇を重ねられる。窒息の心配は無くなったが、何の救いにもならない。
「…………」
暫くして男が唇を放す。その唇から血が一筋流れる。男は指先で血を掬い取り、自分の血だと確認すると、少女を鋭い眼差しで射貫く。男の眼差しに怯むこと無く睨み返す少女の唇にも、男の血が付いている。
「それだけ元気があれば死なないだろう。いいか、お前は俺のモノだ。勝手に死ぬことは許さん。よく覚えておけ!」
それだけ言うと、男は踵を返し部屋から出て行ってしまった。
「あっ、ま……」
待って。
……なんて言うつもりだったのか。
こんな知らない所で一人になるより、誰でも良いから一緒に居て欲しかったのか。
自分でも答えが見つからず、少女は一人になった部屋で膝から崩れ落ちた。
第一章 帝国宇宙軍士官学校首席卒業生
1
「ヴィオ、ヴィオったら」
「え? 何?」
ヴィオと呼ばれた少女は、親友の声ではっと我に返る。
「どうしたの? ぼーっとして。らしくないよ」
「うん、ちょっとね」
忌々しい記憶に顔を歪めている場合ではない。
「もうしっかりしてよ。もうすぐ出番だよ」
親友の言葉に微笑みながら頷きつつも、ヴィオは心の中で嘆息する。
「卒業生代表、指揮官養成科ヴィオーラ=アメジスト」
ヴィオの名前が呼ばれる。
「はい」
よく通る声で返事をし、立ち上がり壇上へと向かう。胸に花を着けた卒業生とそれを見送る下級生、そして教官、来賓、保護者一同からの視線を一身に集め、歩みを進める。
そう、今日は卒業式なのだ。
しかも、ただの学校の卒業式ではない。勿論、体育館でパイプ椅子に座っての卒業式などではない。荘厳という言葉でも余りある式典会場。華美ではないが、重厚なデザインの椅子。床は大理石。壁には極薄のスピーカーがセットされており、会場内のどこに居ても同じ大きさの音を聞くことが出来る。来賓は殆どの者が胸に数多の勲章を下げ、保護者も紳士や貴婦人ばかりだ。
ヴィオが壇上に上ると、進行役の教官は下手へと姿を消す。中央の演壇へ着くと口元にルーペのような物が飛んできた。それは飛行型マイクであり、ルーペのような形状だが、円の中にはレンズではなく、拡声力の高い繊維が張られている。
「ガラッシア帝国宇宙軍士官学校卒業生代表、指揮官養成科ヴィオーラ=アメジスト」
一礼をしてから、マイクに向かって声を通す。
――ガラッシア帝国宇宙軍士官学校。
ガラッシア帝国は星歴二九九六年現在では、第四宇宙域随一の帝国である。その帝国が、最大の費用と最高の人材を注ぎ込んでいるのが帝国宇宙軍だ。そして、今日はそんな最高の人材とされる、士官候補生たちの卒業式なのである。士官学校は、入学するのも卒業するのもこの宇宙域で一番難しいとされている。従って、今日無事に胸に花を飾ることの出来た卒業生たちは、エリート中のエリートなのだ。
参列した保護者や親族一同も、誇りとばかりに着飾っていた。そして今。壇上に居るヴィオが今年の首席卒業生。当然、彼女に注目が集まる。
「まぁ、今年の首席は女の子なのね」
「随分小さいな」
「ああ彼女、三年飛び級しているらしいわよ」
主に保護者席からザワザワと囁き声が聞こえる。ヴィオが飛び級していることも成績優秀なことも在校生だけではなく、軍事関係者の間でも有名なのだ。
ヴィオが話しやすいようにと、髪の毛を耳にかける。腰まで伸びた紫苑色の髪が、さらりと流れる。そして、意志の強そうな菫色の大きな瞳を真っ直ぐ前に向ける。小柄ながらもその堂々とした様子に、会場の囁き声は徐々に静まる。
「本日は、私ども第五二代ガラッシア帝国宇宙軍士官学校卒業式典にお集まり頂き、誠にありがとうございます。思えば三年前……」
囁き声が静まるのを確認して、ヴィオが話し始める。大勢の注目を集めているというのに、全く緊張した様子を見せずに完璧に挨拶を終える。大きな拍手を受けながら席に戻ると、親友が笑顔で出迎えてくれる。
「流石ヴィオ。凄く良かったわよ」
「アリアが声をかけてくれなかったら、答辞自体忘れてたよ。ありがと」
大任を果たして肩の荷が下り、ヴィオが親友のアリア=ラックスに微笑みかける。アリアはすらりと背が高く、漆黒の髪と漆黒の瞳がとても魅力的だ。
拍手の音がフェードアウトするのと反比例して、再び保護者席の囁きが大きくなる。今年の保護者はおしゃべり好きが多いらしい。例年なら皇帝も出席しているので、ここまでざわついたりしない。今年は、遠方での公務と重なってしまい欠席しているのだ。ステージの上部には皇帝の写真が恭しく飾られている。第二六代ガラッシア帝国皇帝、フィアンマ=紅=ガラッシアはまだ若く四十代前半だ。鮮血の様な赤毛が印象的である。その表情は柔らかいが、爽やか目元は流石に鋭い。
「紫の髪なんて珍しいな」
「確か、紫の申し子って言うらしいわよ」
「ほぅ、噂には聞いたことがあるが……確かに美しいな」
紫の申し子と言うのはヴィオの産まれた惑星特有の身体的特徴で、瞳や髪が紫色の者を指す。紫の申し子は容姿の整った者が多く、その美しい瞳や髪と相まって幸福の象徴とされている。因みに、ヴィオは瞳も髪も紫色である。どちらも紫色の者は特別に真の紫の申し子と呼ばれていて、非常に珍しく、幸福の象徴を通り越して縁起物扱いをされてしまうほどなのだ。
「成績優秀であれだけの容姿なら、どこの部門も放っておかないのではないか? しかも紫の申し子と言えば、他にも色々と噂もあるしな」
一人の紳士が口髭を指で弄びながら呟くと、隣の貴婦人がにんまりと微笑む。帝国軍に親族の大半が所属しており事情通で有名な婦人である。
「彼女の所属ならもう決まっていますわよ。前線ですわ」
「前線?」
髭をいじっていた紳士だけではなく、周囲の保護者たちも耳を傾ける。士官学校に通う生徒の男女比はほぼ八対二。女子学生自体珍しい。しかも、女性士官は後方任務に回ることが多い。ましてやヴィオは首席卒業生。通常なら後方任務の最上位である統合作戦本部へ配属される筈である。
「ええ、彼の部隊へ配属ですわ」
婦人が扇子で指した先には、一人の青年士官が背筋を伸ばして座っていた。
「ここで、若手士官として活躍している卒業生からも祝辞を頂きます。第一三支部第六艦隊司令官ロッソ=レオーネ大佐」
「はっ」
いつの間にか席に戻った進行係が名前を呼ぶと、一人の青年士官が立ち上がる。先ほど貴婦人が扇子で示した青年士官だ。
「ヴィオ、レオーネ大佐だよ」
「言われ無くっても分かってるわよ」
アリアの囁きに不機嫌さを隠さず返答する。
「結局、レオーネ大佐の部隊に配属になったの?」
「そうよ。統合作戦本部で内定しかけていたのに、卒業直前で変更されたのよ」
「良いじゃない。レオーネ大佐って言ったら若手士官で一番人気だよ」
「そうみたいね」
ヴィオは呆れたように周りを見渡す。数少ない女子学生の視線はすっかり壇上の青年士官に釘付けだ。男子学生も惜しみない憧れの眼差しを向けている。そもそもこの士官学校卒業式での若手士官代表の挨拶を任されていることからして、士官候補生たちからの人気は相当なものだ。若手士官代表に関しては、卒業生たちの希望がある程度通るようになっている。掻い摘んで言うと、卒業生による若手士官の人気投票なのだ。
「何年も前から、ずっと学生投票のトップはレオーネ大佐だったらしいわよ。今まで遠征だのなんだのって、断り続けてきたのに、どうして今年は引き受けたのかしらね?」
アリアが、意地悪く微笑んでヴィオを見つめる。
「知らないわよ。今年は暇だったんでしょ?」
「ふぅん」
ひそひそと二人が話している間に、ロッソは壇上へと上がっていた。一見黒髪だが、光の当たり具合で深緋に見える不思議な髪。前髪はやや長く、切れ長の鋭い瞳が印象的だ。身長は平均的だが、その容貌から本来の身長よりかなり大きく見える。白を基調とした士官用軍服に身を包み、隙のない足運びでステージへ上る。因みに、士官学校生はベージュ色、下士官以下は黒を基調とした軍服で、デザインは基本的に同じである。
「あれが噂の……。確かにお父上に似ているな」
「まぁ、少しお口が過ぎますわよ」
「それもそうですな」
相変わらず保護者席はざわめいていたが、ロッソが演壇へ着くと途端に会場は静まり返った。ヴィオの挨拶の時は、わざと少し間を置いて静かになってから話し始めたが、ロッソはただそこに立っただけで会場を静めてしまった。
彼はそんな雰囲気を漂わせているのだ。生徒たちは勿論、保護者や来賓までもが口を噤み、壇上を注視する。
当のロッソは、周りからの視線を気にするもことなく、飛行型マイクを通して話し始める。
「諸君は何故ここにいるのだ?」
鋭い視線を卒業生へ真っ直ぐ向け、そう切り出した。
緊張感から、囁き合う卒業生は居なかったが、息を呑む音がし、空気が揺れる。
……数秒の間があってからロッソは話を続けた。
「どうして士官の道を選んだのだ? 帝国繁栄のためか? 家名のためか? 己の名誉のためか? ……それとも金のためか? そして、それは諸君にとって命をかける価値のあることなのか? もし違うのであれば、今すぐ此処を出て、他の生き方を模索するべきだ。それは決して恥ではない」
何名かの卒業生が目を伏せる。通常の年齢で卒業していれば、彼らは十八歳。普通なら将来を模索し始める年齢だ。まだ自分の選んだ道に自信が持てる者ばかりではない。しかし、退場する卒業生は一人も居なかった。誰も退場しない様子を確認すると、ロッソは納得したとばかりに頷き、更に話し続ける。
「命をかける覚悟があるのなら、諸君の胸に付いたエンブレムではなく」と言いながら、ロッソは軍服に付いている天馬をモチーフにした帝国軍のエンブレムに拳で触れる。「その奥にある己の矜持に恥じぬ行動に期待する。――以上だ」
ロッソがステージを降りると、今まで我慢していた分、大きな拍手と、それに負けないざわめきが会場を包んだ。
「うわー、ヴィオの婚約者は流石だね」
アリアが真っ黒な瞳を見開く。
「何が婚約者よ!」
会場がざわついているのを良いことに、ヴィオは少し大きな声で抗議して、あからさまにため息を吐いた。
「最悪の卒業式だわ」