四話 白狼とスライム
扉の中は、生活感漂う空間だった。玄関、机、棚、照明。扉を開けた音に気付いたのか、奥の方から声が聞こえた。それはソプラノの透き通るような冷たい声。怒気が含まれているのは明らかだった。
……さらに、思い出してほしい諸君。僕の格好を。青いとはいえ、透けるスライムの一張羅。不法侵入の上、こんな場面を見られたら豚箱まっしぐらだ。
急いで扉の外に出て、スライムをばねに穴を飛び出そうとする僕。しかし、それはかなわなかった。他でもない、穴の住人の手によって。
「……待て」
レベルの上昇で少なからず身体能力が上がっているはずの僕ですら全く見えないほどのスピードで迫ってきた彼女は、無様に跳び立とうとしている僕の足をひっつかんだ。
無様にスライムのプールに落下した僕。体を起こして見たのは、とても美しい少女だった。
彼女は、真っ白だった。青色の瞳を除いた体のすべてが、色素が抜けたかのように白い。華奢な体つき、小さい頭、真っ白なワンピースからすらりと伸びる手足。天使がそこにいるかのように錯覚させる美貌に、僕はしばらく言葉を失った。
「質問に答えて。……あなたは、誰?」
ハッとして、我に返る。少女が次元の違う存在だとひしひしと感じながらも震えを抑えて言葉を紡ぐ。
「や、柳瀬。柳瀬春。」
「……ハル」
「は、はいっ!」
唐突に呼ばれてどもる。はたから見ればたいそう情けないだろうが、オオカミを前にしたスライムなんてこんなものだ。
顎に手をやってハル、ハル、ハル? と連呼する白オオカミ。スライムの僕は黙るしかない。
「……ハル、あなたはわたしの敵? 味方?」
「へ?」
唐突な質問を理解するのに時間がかかった。しかし、どう答えたものか。
敵だと言えば間違いなく牙は僕を貫く。味方だと言っても、信用されるはずがない。
……って、答えようないじゃん!
「僕は、て、敵じゃないよ?」
「そう?」
無難なところに持って行った僕の機転を誰かに褒めてほしい。ああ、死ぬかと思った。って、まだ危機は去ってないんだけど。
「じゃあ、味方になれる?」
「は、はいっ! え?」
ん? 今何て言ったんだろう。なんだかとても浅はかな回答をした気がするんだけど。
「よかった」
天使のような笑み。普段なら見惚れでもするんだろうけど、なぜか寒気がした。汗がだらだらと流れ出してくる。こ、ここはまず自己紹介だよね。うん
「え、えと、君は誰?」
「私は、魔王アリア・ノワール。よろしく」
そんな真っ白な格好でノワールなんて……アハハ。
じゃなくて!
「魔王⁉」
「ウィ」
あわあわと動揺するしかできない僕。それを見てか、ノワールは一つ頷く。
「大丈夫。私はいい魔王。普通に暮らしていたいだけだから無害」
いい魔王ってなんだよ、と心の中で悪態をつきながら、どうにでもなれの精神で言葉を返す。
「わかった」
「寛容な私は、あなたが裸で人の居城に、勝手に侵入する変態だったとしても許す」
即座に発せられた言葉に、僕は現状を再確認する。
少女の前で真っ裸の僕。現代日本だったとして、この状況だったら確実に僕がお縄だ。たとえ、彼女が魔王だったとしても。
呆然とスライムに包まるしかない僕を一瞥して、ノワールは呟いた。
「服、いる?」
「ください」
全力で平伏した。