再開、病院にて
03
緑色の制服、緑色の鞄。そして緑色の歩道。わたし達は常に緑に晒され犯されていた。
わたしが物心ついた時には既に緑は身近に潜んでいて、この色が『緑』だ。という認識はもはや失われていた。
空は何故『青』なのかが、寧ろわたし達ティーンエイジャーの間では謎だった。今の子達は余り気にした事はないだろう。
この頃のわたし達は緑色の制服を自分達なりに改造して個性を出していた。
男性教諭や大人達を意識して胸元を強調したり、スカート丈を調整したりする子達もいたけど、何だかわたしには小さな事に思えて仕方がなかったし、大人に媚び諂っていかがわしい映像記録媒体に自分の恥部を晒す事になるなんてまっぴらごめんだ。
そんな風に考えることしか出来なかったという事自体が、わたしが子供でひねくれていて、尚且つ電脳から偏った知識を蓄え続け今日まで生きてきたという証でもある。
わたしは大体制服の上にパーカーを着て過ごしていたが、キャミィは熊や骸骨、キャンディやチョコレート等の決して打ち解け合う事がないであろうそれらを制服や鞄等に付けていた。
「ねぇロス、今日転校生来るんだってね!」
「そうなんだ。知らなかった」
「暗いなーもぅ。どうせまた電脳の海を潜ってたんでしょ?」
「現実よりもリアルだからね」
身体壊しても知らないから、とキャミィ・ティアはわたしの心配をしてくれる。それなら、心配をかけないようにわたしは自身を提示するとしよう。
「Monocleで観てみたら?」
「そうさせて頂きまーす」
左目を手ですっぽりと覆うと手の中に埋め込まれた認証ICが網膜スキャンを一瞬で済ませる。するとそこに片眼鏡《Monocle》が出現する。
Monocleが本人認証を済ませ彼女の眼となる。それが何を意味するかと言うと、個人情報の閲覧だ。
拒む事ができない強制的な情報開示はお互いがお互いを『より信頼できるように』と、お節介な彼等が作ったツールの一つ。
「うげっ、ロス!あんた全然寝てないじゃん……寝たの二時間前?呆れるわー」
「人のプライベートに土足で入り込んだんだから文句言わないでよキャミィ。わたしにも色々と調べたい事があるの、この世界をもっともっと知りたいからさ、進路の事もあるし」
「そっか……進路、もうすぐ決まっちゃうねー」
わたし達二人の読みではキャミィは看護師、わたしは公務員になるという予想を立てた。
父親より少しでも稼ぎが良く、父親をより苦しめられる。そんな素敵な職業に就く事がわたしの生き甲斐。
期待と不安を一身に背負った胸は膨らみ始め、やがて大人になるのだ。そんな風に考えていた。
そう。そんなふうに考えていたんだ。
「ロス!」
キャミィの甲高い声。
「なに?」
反射的に語気が荒くなった。
「ロス!!」
不思議な事に、わたしの声は彼女に届いていない。ひたすらわたしを呼び続ける。
「だから、なに?」
「ロスってば!!!」
緑衣を着たキャミィがわたしの身体を揺すっている。わたしは落ち着いてと彼女に頼む。けれど彼女はわたしの言葉に従おうとしない。
「わかった、わかったってば……」
「ロス、ロス、ロス!あぁ、もう……心配したんだからね?本当に良かった」
「酷い目に遭ったわ。それでここは?」
「ここはアフガンじゃないわよ、あなたの祖国」
「嬉しい、やっと帰ってこれたのね」
『祖国』という言葉に込められた信仰にも似た偏った感情を彼女から感じた。
寒気がする程に。
「そう、で、他の人達は?」
「助かったのは貴女だけよロス。もう一人だけ手術も終わって吹き飛んだ腕や脚も新しい物を付け替えた。手術は成功よ?でも、その人が起きた時、脳裏に焼きついた人の血や肉片、亡くなった方達の事を思い出して……苦しみだして、それで……」
成る程ね。
「キャミィ、分かった。もう良いよ」
緑は人を安心させる色。だから病院等の施設は全部緑になってしまった。彼女の『白衣』も緑色。それもこれも平和の導き手の意向。
「でもロスは強いね。ほぼ無傷だし、ショックも起こさない。流石PMCとして働いてるだけはあるね」
「どうも、それもこれも寝る間を惜しんで電脳の海に潜ってた学生時代のお陰よ」
そろそろ旧友との会話も苦しくなり始めてきて、わたし達は昔の話でお茶を濁し始め、愛想笑いをお互いに浮かべては相手の話に相槌をうちあう。
まるで友達ごっこだ。そう思った。
「あ、そうそう。お見舞いにどなたか来てたわよ?すらっと背の高い男の人」
「誰?」
「分からない、本当に一瞬だけだったから。私もあんな事があってからずっと働きっぱなしで……貴女の顔を見てそれで帰って行ったわ」
少しだけ鳥肌が立った。『誰か』がわたしのお見舞いに来る。それは有り得ない事。
「名簿は?」
「えっと、待ってね……」
再びMonocleを作動させたキャミィは名簿を確認し始める。わたしにも分かるようにわたしのMonocleに転送してくれた。
二人で名簿に目を通す事二分。多くの面会人の中からその名前を見付けた。
「ジェロニモ……なんか変わった名前ね。アフガンで出来た彼氏?」
「ふふ、だったら良いわね」
お見舞いに来てくれてありがとう。ジェロニモさん。
「秘密って訳ね?はいはい、ほらテレビでも見よ。ロスの顔久しぶりに見たけど、Monocleで確認するまでもなく元気なさそうだもん。気晴らし気晴らし!」
手をぱん、と叩くとわたしの前に液晶が浮かび上がった。
「あっ、始まるよ!」
「あぁ、そう言えば今日だったね」
液晶ではある当選者が発表される所だ。
長く続いた核戦争の後に待ち受けていたのは紛れもない混沌で、その中から希望を見出す事は不可能に近かった。そんな中、平和の導き手は突然現れた。
まるでこのタイミングを待っていたかのように。彼等は平和とは程遠い程の軍事力と神出鬼没の機動力で国々を抑え、地球に平和が訪れ、戦争はビジネスから切り離された。
戦争が無い世界を創り出した彼等は、各国に信用され、そしてついには国と国をも統括する組織に成り上がり、彼等は今この瞬間でもわたし達を見ている。
平和の為に。
そんな組織が創り出したのは忘大和という電脳世界で、そこには多くの国民が暮らしている。
従順且つ、盲目に。
反吐が出る程わたしは忘大和が嫌いだ。理由は一つ。
「あ、ほらお父さんだよ」
「はは、本当だ。年甲斐もなくお洒落してて……変なの」
その全てがヘルスィ・パラドクスの創造物だから。