092
アリアとのお茶を楽しんで研究官長室へ戻ったノエルは、大きな溜息を漏らした。窓の外の曇り空を遠く眺める。
暫くそうしていると、背後からノック音が聞こえた。これから人と会う約束になっていたことを思い出す。
「どうぞ」
許可を得て入って来たのは、法務官兼SGF調整役のエルクリフ。
「ノエル官長、クローン研究の方は進んでおられますかな?」
「研究第一人者のレノくんが頑張っていますよ」
「ガザリーさんが引退されてからもうすぐ四年ですか」
ノエルに促されてエルクリフはソファに腰掛けた。
クローン研究を行っていたガザリー研究室。その室長だったガザリーは、加速成長培養器の開発を最後に第一線から退いてしまった。クローンは波紋を呼ぶ素材で、それに自分が巻き込まれると思っていたからなのか、理由は分からない。
後任をレノに任せ、今では彼がガザリーの意思を受け継いでいる。
「それにしても、妹さんが反対派とはお辛いですね」
ノエルの目がスッと細められる。
「どうしてそれを?」
「見ていれば分かります。シュタルクくんとクローンの話をしているとき、アリア官長は浮かない顔をしていますから」
「…………」
「そもそもなぜノエル官長がクローン肯定派なのか。彼女は知らないのでしょう?」
「あなたは知っていると言うんですか」
「さあ……私は存じ上げませんが」
こいつは何をどこまで知っているというんだ。
穏やかな表情の裏に渦巻くいやらしい空気。どこからが本当で、どこからがブラフなのか。
エルクリフは一度軽く咳払いする。
「申し訳ありません、前段が過ぎました。こちらが予算の資料になります。従来通りSGFの予算が最も多く、研究省はその次となります」
「こちらはクローンの研究にお金がかかります。SGFにそんなに予算を割く必要が?」
「人数も多いですし、アリスペルリングなどの装備やメンテナンス費用など、意外とかかるのです。クローンの方は、最近は製造が主で、研究は進んでいないようにお見受けしますが?」
「…………」
言い返せなかった。
ドラゴンクライシス以降、華やかだったアリスペル研究が衰退し、研究官を目指すものは減ってしまった。更に、火種となっているクローン研究を行いたい者もほとんどいない。正直なところ人手不足で研究を進める余裕がないのが実情だ。
「というわけですので、私はここで失礼いたします」
エルクリフが席を立ち、扉のノブを握る。そこで一度振り返り、微笑んだ。
「お姉様がノエル官長のお気持ちに気づいて下されば良いですね」
扉がガチャンと閉じる。
「あいつ……」
聞き間違いではない。
「知っている……!」
ノエルは怒気と焦燥を抱いて、奥歯を噛み締めた。