091
三十分後、アリアはカフェ〝ビショップ〟にいた。ドラゴンクライシスで崩壊したため、店自体は新しく建てられたものだが、場所も雰囲気も一緒で昔を思い出す居心地のいい空間だ。
「ごめんアリア、待った?」
慌てた様子で店に入り、カウンター席に座るアリアの隣に座ったのは、研究官長のノエル=リズリード。
「ううん、大丈夫。こっちこそ、お兄ちゃん忙しいのに急に呼び出したりしてごめんね」
「いや大丈夫だよ。アリアに誘われたらどこだってすぐに飛んでくよ」
「そういうふうに調子いいこと言う人に限って、そんなことないんだよね」
「ほんとだって!」
ノエルの主張に笑うアリア。
ノエルはアリアの七つ上の兄だ。高研院卒業後、世界の研究を見て回り、ちょうどドラゴンクライシスの直後くらいにフロンテリアに戻って来た。そして、研究官長に抜擢されたのだ。
「で、話っていうのは?」
マスターから手渡されたカプチーノにノエルが口を着ける。
「お兄ちゃんって好きな人いる?」
「ブッ!」
気管に入って苦しそうに咳をするノエル。
「……急に何言い出すの」
「いや別に……。お兄ちゃんももう二十四だし、恋人の二人や三人いるのかなーって」
「恋人二人や三人は浮気って言うんだよ?」
「はあ……。人間って難しいよね」
「急に哲学チックになったね。そしてお兄ちゃんの話全然聞いてないね」
ノエルは一度咳払いして、アリアの顔を覗き込む。
「好きな人でもできたのかな?」
するとアリアの顔が沸騰寸前のお湯のように急激に真っ赤に変色していった。
「ちがっ……そんなんじゃないに決まってるでしょ!」
「いいよ別に、隠さなくったって。お兄ちゃんは恋する乙女の味方だよ」
「だから違うって言ってるでしょ! それに研究バカのお兄ちゃんに、恋する乙女の味方が務まるとは到底思えない!」
「正論すぎてグサッとくるわ……」
暫し項垂れてから、急に姿勢を正すノエル。
「確かに僕は研究バカだ。だけど、人を愛したことならある。相手のことが愛おしくて、相手のことを失いたくなくて、相手のためなら世界を敵に回してもいいと思えるくらい、一途に好きになったこと」
目を丸めながら、お兄ちゃん……、と漏らすアリア。
「ストーカーみたいだね」
「一言でバッサリだね」
半泣きのノエルを、カプチーノを一口含んでちら見するアリア。
「で……、その人と今付き合ってるの?」
すると、ノエルは刹那表情を強張らせ、苦笑しながらかぶりを振った。
「いや、残念ながら」
「ふられたの?」
「んー……なんて言うのかな……、その人遠くに行っちゃってさ……」
「もう会えないの?」
「……そんなこともない……んだけど……」
「じゃあ会いに行けばいいじゃない」
「そうなんだけど……」
「はっきりしない男は嫌われるよ!」
「アリアはなんでもズバズバ言うから、意中の彼にも振り向いてもらえないんじゃない?」
「…………っ!?」
言い返そうと思ったが、何も出て来なかった。
アリアは一度大きく息を吐いて、話題を変えることにした。こんな色恋話、自分には似合わない。だからちょっと言われただけでこんなにテンパってしまうのだ。
「いつになったら穏やかな日々が送れるんだろうね」
「クローン抗争の話?」
「そう」
アリアは溜息交じりにカウンターに突っ伏す。
「政府は肯定の立場を取ってるから、監察官長のあたしが、反対! なんて声高に言えないでしょ?」
「アリア、反対派なの?」
「うん。クローンは所詮オリジナルの複製。やっぱりユニークの命を軽んじてるような気がするんだよね。お兄ちゃんは違うの?」
難しい顔をして、うーんと唸るノエル。
「僕はどっちが正しいとか言えないと思ってるんだよね。アリアのような考え方もあると思うけど、やっぱり遺族からすれば、たとえそれが複製であったとしても、心の穴を埋めてくれる大切な存在なんだろうなって思うんだ。その存在があるからこれからも生きていけるとか思う人もいるだろうし。それを複製という一言で片してしまうには、あまりにクローンが可哀相だと思わない?」
「でもそれって、結局オリジナルの役目をクローンに押しつけてるだけじゃん。都合のいいようにクローンを利用しているだけ。大切な存在が消えちゃうのは悲しいけど、それを乗り越えていかなきゃいけないんだよ」
「みんながアリアみたいに強かったら、もしかしたらクローンという発想自体が生まれなかったかもしれないね」
「あたしは別に強くなんかないよ……」
自分と違う考えを強く持つシュタルクを見ていると悲しくなって落ち込む。そんな些細なことを気にしている人間は決して強いとは言えない。
アリアはノエルに体を向け、苦笑した。
「強いのはきっとお兄ちゃんの方だね」