009
カフェの名前は〝ビショップ〟。監察棟の正面の通りであるナイトストリートを百メートルほど行った先を左に曲がってすぐの所にある。仕事の合間を縫って息抜きするのに、よく使っているカフェだ。街の雰囲気から切り取られたような、少しレトロな趣ある店でシュタルクのお気に入りである。
二人は店に入って奥のテーブルに着いた。そこは窓がないため、外から見られる心配がなく落ち着く。
「ここカプチーノがうめーんだよ」
そう言ってオーダーすると、リントもシュタルクに注文を合わせてきた。シュタルクは満足げに微笑む。
「で、どうしてフロンテリアに?」
オーダーが済むと、シュタルクはテーブルに組んだ腕を乗せて早速リントに質問を投げかけた。
「実はフロンテリアとバレッジの調印式のために来たんだ」
リントはフロンテリア行のチケットを手に入れるために、得意でもないカードゲームで戦い、見事勝利。そしてフロンテリアまでやって来たらしい。
最初はみんなに会えることを凄く期待していたらしいが、フロンテリアほどの大都市となると人探しは困難。今日がその調印式だったこともあり、さすがに諦めて帰ろうと思っていたそうだ。
調印式を終えて帰りのチケットを買おうと乗船場に向かう途中、物取りに襲われたらしい。いくら正装しているとはいえ、見るからに田舎者の雰囲気を醸し出しているリントは格好の的だったのだろう。
突然バッグを引っ手繰られ、その中には覚書も全財産も入っているのに追いかけないはずがない。誰かに助けを求めるのも忘れ、ひたすらに追いかけていたら相手が身を翻し、何もないところから炎を放ってきた、ということらしい。
「なるほどねえ……」
既に運ばれていたカプチーノを一口含み、一先ず訊きたい内容を聞き終わって相槌を打つ。すると、リントがその目に興味の色を宿してシュタルクの顔を覗き込んできた。
「どした?」
シュタルクはそんなリントに怪訝そうな顔を向ける。対するリントは嬉々として口を開いた。
「オレのバッグを引っ手繰った人にしろ、シュタルクにしろ、なんか凄い力使ってなかった? 突然炎が噴き出したり、相手の前に見えない壁が作られたり……。あれってどうやったらできるの?」
「ああ……」
そうか、とシュタルクは思った。リントは初めてフロンテリアに来たのだ。知らなくて当然だ。
「あれは”〝演算魔法〟っていうんだ」
「アリスペル?」
シュタルクは首肯する。
「アリスペルっていうのはまあ魔法みたいなもんなんだけど、ファンタジー本に出てくるような魔法とはちょっと違う」
シュタルクは右中指にはまった銀の指輪をリントに見せる。
「アリスペルは自分の脳内で演算した結果をこの指輪を通して放出するというシステムだ。例えばおれの頭の中で〝電気〟×〝妨害〟という式を組み立て、更に〝設置位置三メートル〟という条件を加えたとするだろ? この場合、トリガーワードは〝妨害〟だから、方向を定めたらそこに手の平を向けて〝妨害〟って唱える。そうするとおれが手を向けた三メートル先に電気を纏った壁みたいなものが現れるって寸法だ。脳が演算した結果をこの指輪が感じ取って、声という音をトリガーに命令を具現化する」
リントはうんうんと首を縦に振り、真剣だ。
「その時、手の平には魔法円が出来上がんだけど、それは脳の演算結果をもたらすために自動作成されたもの。結局はその魔法円がないと何も出て来ねー。強度は一重から七重まで設定できて、強さによって魔力の消費量は違うし、七重ともなると相当有能なアリスペル使いしか唱えられない。炎とかその場にないものも出せるって点で魔法みてーだけど、ファンタジーランドみたいになんでもアリってわけじゃない。相手の傷を回復させたり、相手の身を守ったりすることはできない。あくまで自分だけのものってとこがミソだな。あと、自分の素早さを上げたり、戦闘能力を上げたりすることもできねぇ。自分のスペックはそのままに相手と戦う。つまりは制限があるってことだな」
リントはにこやかに相槌を打つ。
「今は解りやすく説明するために簡単な例を挙げたけど、アリスペルを自在に操る奴らはすげぇよ。相手と戦うとき、戦局も見つつ、相手の次の手、相手の移動先の位置なんかも同時に演算すんだ。スピード、頭の回転の速さ、判断力。それら全てが合わさらないと、あっという間にやられてお陀仏だ」
つい興奮気味に話してしまったシュタルクは、にこにこしながら自分を見つめてくるリントに気づいて恥ずかしさを紛らわすために咳払いをした。
「でも、そんな凄いアリスペルって力があるのに、どうしてシュタルクは剣なんか携えてるの?」
リントの視線がシュタルクの腰に向く。そこには青い柄の剣が備わっていた。
「ああ、これ。対アリスペル用ソードっつー代物」
「対アリスペル用?」
リントが首を傾げる。
「いくら炎を放ったとしても、相手に〝守護〟されちまったらいつまで経っても決着がつかねぇ。そんな時のために、直接相手に攻撃できるような武器も持ってんだ」
「アリスペルの守護って、直接攻撃は防げないってこと?」
リントの疑問にシュタルクはかぶりを振る。
「守護は物理攻撃でも防ぐことはできる。おれの持っているこの剣は既にアリスペルが注ぎ込まれてる特殊なものなんだ。おれはこの剣に〝演算魔法無効化〟と〝電気〟の属性を加えてる。だからこの剣の前ではアリスペルの守護も意味を成さないってわけだな。アリスペルブロックを組み込んだ武器を作れるのは、特殊な資格を持つ鍛冶職人だけ。A級監察官ともなるとそういう武器を持ってる連中は多いんだよ。おれの上司なんかは、背中に大きな斧背負って歩いてるぜ」
ふーんと感心したように鼻を鳴らすリント。
「なあ、リント」
今度はシュタルクが話しかける。沢山喋ったせいか喉が渇き、既にカプチーノはカップから消えていた。
「あの時の約束……憶えてるか?」
リントは目を丸くし、その後嬉しそうに顔を綻ばせた。
「勿論だよ!」
「あの約束なんだが……」
シュタルクが少し言いにくそうに視線を逸らす。リントはその様子に怪訝そうな表情を向けた。