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耳のいいリントには、全ての会話が聞こえていた。ドラゴンの体になってしまっている今、いつもよりも更に聴覚は鋭くなっている。
みんなの優しさは有難かった。だけど、監察の力では市民の怒りを収束させられない。
それはリントでも解ることだった。
「ちょっとリント、どこ行くの!? ここから動くと守護結界の範囲外で、また攻撃されちゃうわ!」
ジャンヌが焦ってリントを呼び止める。そんな彼女にリントは一度止まって目を向けた。
ありがとう。でも、もういいんだ。
「リント……」
リントの心の声がジャンヌまで届いたか分からない。だが、彼女はそれ以上何も言わなかった。ジャンヌの瞳には溢れんばかりの涙が溜まる。
リントは守護結界を出て、攻撃を続ける市民たちの方へ向かう。
〝ドラパート〟、それは自分の精神をドラゴンに乗せ、ドラゴンと一体化して戦う、シルドラ族の中で最高位の術。術のペナルティは、二度と人間に戻れないこと。シルドラ族の常識だった。
亀裂の入ったガラス張りのビルに、今のリントの姿が映る。それは、あの時自分を助けてくれた紫の瞳の巨大ドラゴンと同じ姿。
〝ドラパート〟を唱えられるのは、リントの父親だけだと聞いたことがあった。リントは自分が生きている間に唱えた者を見たことがなかったから、どんな風になるのか知らなかった。
でも今なら解る。
腫れぼったくなったリントの瞳から、またも涙が溢れ出す。
八年前、オレを守ってくれたあのドラゴンは、お父さんだったんだ……。
「化け物がこっちに向かって来るぞ! 撃って撃って撃ちまくれ!」
砲弾が当たり、誰かが唱えたアリスペルが当たる。
痛い。痛い。痛い……。
だけど逃げるわけにはいかなかった。
だってもう二度と人間には戻れないのだから。
それに、ドラゴンの姿のままどうやって生きていけばいいのかも分からない。何より、この場が、フロンテリア住民の怒りが収まるとは思えなかった。ドラゴンのまま生きていても、嘗てシルドラ族が〝時空移動〟を選択したような状況に陥りかねない。
リントは一度振り返り、炎の上がる街全体に冷たい息を吐き出す。徐々に鎮火し、白い煙が上がった。
セフュとルカに目を向ける。ルカは慟哭していて、セフュはリントの名前を必死に叫んでいた。
ジャンヌに目を向ける。彼女は涙を流しながら、祈るように両手を組んでいた。
シュタルクに目を向ける。彼はリントを真っ直ぐに見つめ、茫然自失といった様子だった。
どうして〝ドラパート〟を唱えていないリントがドラゴンの姿をしているのか、正確なところは分からない。しかしきっと、強制的に魔力を引き出されたからだろうとリントは思っている。
シルドラ族は元々、ドラゴンとの繋がりが強い民族だ。ドラゴンなしには生きていけない。生まれた時から一緒だったリントとシルファは、心の繋がりも強い。だからリントの魔力が暴走し、それがシルファと連動してしまったのだろう。
――キャッ キャッ
突如脳内に木霊した声にリントは頭上を見上げた。そこに映るのは青い空。
シルファ……?
――キャッ キャッ キャッ
精神を落ち着かせると、シルファの声が聞こえてくる。
リントは微笑んだ。
お前、ずっとオレと一緒にいたんだな。
シルファが一緒にいる。それに、これから行くところにはお父さんもいる。
もう怖いものはなかった。
最後にみんなと一緒に遊べなかったことは残念だけど、五人で心が通じ合った。リントにはそれだけで充分だった。
リントは、自分に向かいくる攻撃を紫の双眸に当てた。ドラゴンの唯一の弱点。
今までありがとう。オレ、みんなのことずっと大好きだよ。
ドラゴンの巨体は街に沈み、それは白い光の粒となって昇天した。