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「――リント!」
リントは反射的に目を開けた。声がした方に体を捻る。
左前方に、ジャンヌ、シュタルク、セフュ、ルカが屋根上に立っていた。
「あ、反応したわ! やっぱりあれはリントなのよ!」
ジャンヌが嬉々として話している。
みんな……!
嬉しかった。全員この場にいる。今日はちょうど約束の日だ。三年前の約束が叶ったのだ。
リントは訳も分からずバレッジの渓谷に飛ばされ、誰一人知る者がいない環境で記憶を失ったまま今日まで生きてきた。孤独や辛さを感じていたリントに、それを吹き飛ばすほどの楽しい日々をみんなが与えてくれた。彼らはリントにとってかけがえのない存在である。
だが、リントの喜びはほんの一瞬だった。ある一点に視線が奪われ、呼吸を忘れる。
シュタルクが抱える一人の人物。あれって……
オレ?
リントとうり二つの人間がシュタルクに抱えられている。あれは何だ?
こっちに向かってオレの名前を叫んでくれているってことは、こっちがオレだって認識してくれてるってことだよね……?
やはり意味が解らないまま、リントは四人に目を向ける。
「ほらルカ、折角〝神速の魔女〟様が連れて来てくれたんだから、早く話したらどうだ」
シュタルクにせっつかれ、ルカは赤く腫れた両目をリントに真っ直ぐに向けて口を開いた。
「リント、謝っても許してもらえないことをしたのは解ってる。でも言わせて。ごめんなさい」
深々と頭を下げるルカ。リントは悲しい気持ちになる。やはりルカはリントがどうなるか知っていて、あの透明ケースの中に閉じ込めたのだ。
「シルドラ族、それがキミの属する種族の名前だよ」
リントは息を呑んだ。この世界でシルドラ族の存在はなかったことになっているのに、なぜ彼女は知っているのか。
ルカはそんなリントの戸惑いに構わず、語を継ぐ。
「シルドラ族が住むのは、フロンテリアから南西の方角へずっと進んだ先にある小さな島。自然豊かで穏やかな場所。シルドラ族はドラゴンと共存し、自然の力を操る不思議な力を持った種族だった。リントは嘗てこの世に存在したとされるシルドラ族の人間だよ」
ベルーナから聞き、ルカだけが知っているその話に誰もが自然と耳を傾ける。
「この世でその存在を知る人はあまりに少ない。どうしてそんな種族の人間が一人だけここにいるのか。その理由はボクにも分からない。でも、一つの仮説として証明できるものがある」
これからルカはリントの知らないことを話そうとしている。リントの鼓動が速まる。
「それはクリスタルリングだよ。クリスタルリングは時空の破片。何かが時空を移動するとき、一時的に空間に穴が開く。それが閉じるとき、空間を形成している表皮の一部が破れて地上に現れたもの。それがクリスタルリング。破れた部分はすぐに修復されて、新しい世界が形成された。それがシルドラ族の存在を知らない今のこの世界。ボクたちベルーナ研究室のメンバーはそう結論づけてる」
俄かには信じられない新世界創造のストーリーに、シュタルクもセフュもジャンヌも、他の人たちも驚きを隠せずにいる。
「ボクたちはそのクリスタルリングの力を使って、嘗てアリスペル開発のための実験材料になってしまった人たちを生き返らせようとした。それには、魔法量を自分で生成することができる特殊な存在――リントみたいな〝魔導士〟が必要だった。リントを連れて来ないとバレッジを吹っ飛ばすって脅されてたけど、なんとかどっちも助かる方法はないかって毎日考えてた。だけど見つからなかった……」
ルカは拳を握りしめ、口元を小さく引き結ぶ。自分のしてしまったことを悔いているのだ。
「リントの命とバレッジのみんなの命を天秤にかけることなんてできない。だけどこの間、実際に人体実験を目の当たりにして、意思が揺らいだ。あまりにも酷く惨かったから……。迷いはあったけど、結局ボクは命を全て等しい価値と考えて、天秤にかけた。そしたらバレッジの人たちの方に傾いた。ボクは人数の大小で、リントを苦しめたんだよ……」
傾斜が付いている屋根上で膝が折れたルカ。セフュが彼女の腕を間一髪で掴む。
そっか……。ルカも辛かったんだな……。
あれだけ酷い目に遭わされたのに、ルカに対する怒りは湧いてこなかった。彼女は充分苦しんだ。楽しそうに笑う昔のルカがリントの脳裏に浮かんだ。