082
街はその原形を留めていなかった。
常に開放されていた各区を行き来する門が全て固く閉じられている。東区と中央区の境の高い壁は、上部が崩され、いまだにその破片がボロボロと零れている。
ドラゴンが通ったと思われる道筋には、その翼が巻き起こした風によって屋根が吹き飛ばされた家、風雨に晒されてもなお炎上を続ける建物。それらは、ドラゴンの威力の凄まじさを物語る。
ドラゴンが出現してすぐ、恐怖と混乱に襲われた人間たちは、他区へ逃げるため、扉の前へ向かった。しかし、比較的早い段階でそれらは全て閉じられてしまったため、暫くは絶叫しながら扉を叩く者が後を絶たなかった。
そのような人々も含め、中央区の住民は監察によって避難命令が出され、地下鉄を使用して今は他区へ移動している。
中央区は、ドラゴンの尾によって破壊され、翼が巻き起こす突風によって吹き飛ばされ、吐き出す炎によって火の海と化していた。あちらこちらから黒煙が立ち上り、それは雨に混じって地面を黒く濡らす。
省庁の建物内にいた者たちも逃げようと地下鉄の駅へ向かうが、不幸にも途中でドラゴンの餌食になってしまった者もいた。
濁った紫の瞳をし、鋭い牙を剥き出しにするドラゴンを相手に、ジャンヌはどうすべきか考えていた。
ESOの他のメンバーには、まだ中央区に残っている人たちが一人でも多く無事に逃げられるようにアシストしてもらっている。
「妨害×七重×八」
冷気を纏う氷の盾がドラゴンを囲うように八角形を描いて屹立する。飛龍が他区へ目を向けないように配慮しながら、ジャンヌはアリスペルを発動させる。
彼女の中には、焦燥が渦巻いていた。ESOのメンバーには策があるように言ってしまったが、本当はその対処方法を考えあぐねていたのだ。
目の前で被害を拡大させている白銀の巨大ドラゴンが、どうしてだろう、シルファに見えてしまう。大きさも、瞳の色も、面影も、全てがシルファと違うのに。だからこそ、躊躇してしまう。ちょうどリントがこの街に来ていたことも要因だろう。
ドラゴンというこの世の未確認生物に対して、抹殺に踏み切ることができない。ジャンヌは煮え切らない自分に唇を噛む。
「おいジャンヌ、どうした!」
いつもと戦闘スタイルの違うジャンヌに怪訝な表情を向けるキルス。彼の目には、ドラゴンに直接ダメージを与えるような技を控えているように映っていた。
しかし、そんな声も今の彼女には届かない。
『ドラゴンにはね、一つだけ弱点があるんだよ』
ジャンヌは昔、バレッジでリントから聞いた言葉を思い出す。
『それはね――、双眸なんだよ』
片目では倒れない。両眼を確実に仕留めなくてはならない。
『本当は心臓とか刺されても死んじゃうんだけど、硬い鱗に覆われているから、大抵はそこまで到達できないんだ。瞳はドラゴンのコンディションを見るときにもすごく重要でね、透明度でそれが測れるんだよ。具合が悪い時はちょっと濁ってて、なんだか可哀相になるんだ』
ジャンヌの瞳には薄らと涙が溜まる。
今暴れているドラゴンは、苦しんでいる。自我を保てずに暴走してしまっている。そうとしか思えない。何かそれを止められる方法さえあれば――。
「ギャアアアア―――――」
ジャンヌのアリスペルを破り、翼を大きく広げた直後、ドラゴンが体をうねるようにして奇声を振動させた。何事かと誰もが目を瞠る。
ギイギイと暫くはまだ唸っていたが、一度静止した。空から降り続く雨も徐々に弱まり、遂には止んだ。フロンテリア全体が一時静寂に包まれる。
「濁りが消えていく……?」
濁っていたドラゴンの瞳が、見る見るうちに透明度を増していく。それと同時に、ドラゴンの暴走も止まった。
ジャンヌは訳が分からず立ち尽くす。ジャンヌだけではない、ESOのメンバーも、戦う意思がありながらもドラゴンに近づくことさえできなかった監察官たちも、皆が息を呑みながら動きを止める白銀の飛龍を凝視していた。