008
シュタルクはシルバーの指輪が中指にはまった右手を前に差し出す。その指輪には橙の光が帯びている。
シュタルクは角を曲がるのと同時に叫んだ。
「守護!」
シュタルクの右手の平から五センチくらい離れた空間に、その手の平と並行するように、指輪の光と同じ橙の光の半径十センチの円が飛び出した。ただの円ではなく、文字らしきものや図形などの紋様が複雑に入り組んだものだ。
問題の通りにシュタルクの体が晒されてすぐ、正面からは炎が襲ってきた。まるで火炎放射器でも使用したかのように激しい。だがその炎はシュタルクまで到達しなかった。正確にはシュタルクの前で炎が何かに阻まれたように四方に拡散したのだ。
炎が消え、その向こう側にいる人間が明らかになる。スーツを纏うその男は苦々しい表情を浮かべ、身を翻した。その手にはキャメル色のショルダーバックを携えている。おそらく物取りだろう。この地域はスーツ姿の人間が多い。それに混じったのだろうが、あの大きさのバッグを無理やり引っ手繰ったのだとすると、目立たないわけがない。
男はバッグを抱えたまま走って行く。だが、シュタルクが彼をそのまま行かせるわけがない。
背を向ける男に照準を合わせ、先ほどと同じように右手を向ける。今度は黄色の円が現れた。
「妨害!」
すると、数メートル先を逃亡していた男が急に何かにぶつかったかのように転倒した。
シュタルクは放られたバッグを拾ってから倒れた男を素早く拘束する。そのまま監察棟の横に設置されている監察所に向かおうとした。
監察所では監察官が罪を犯した人間の話を聞いて、一時的に収監するか否かを決める。そして収監されることが決まると、北区に設置されている犯罪者収容所に送還されるというわけだ。実際に刑が確定するのは裁判が行われてからとなる。
裁判で死刑と判決が下された人物は、犯罪者収容所の右隣りの小さなスペースで公開処刑となる。残酷かもしれないが、確実に犯人が殺されたということを市民に見せつけるため、フロンテリアではそういうシステムが取られている。
そのシステムには二つの意図がある。
一つは、市民に安心を提供するため。刑の重いものは釈放されず、整形手術や氏名変更を行って別人として都市に紛れ込むことはないという安心感を与えている。
もう一つは、抑止だ。公開処刑とすることにより、自分も罪を犯せば同じ末路を辿るかもしれないという恐怖を植え付けるのだ。
シュタルクは実際に一度処刑を見たことがあるが、それはあまりにも無惨だった。死刑囚は太い一本の鉄柱に括りつけられ、そこに火が放たれる。死刑囚たちは絶叫を上げ、その場から離れようと激しく体を揺らすが、徒労。髪は一瞬にして燃焼し、瞳からは水分が蒸発するように痙攣し白目に変わる。肉の焦げる異臭が広がるにつれて動きがなくなる死刑囚。そんな凄惨な光景は一度で充分だった。
「あのー……」
背後で遠慮がちに話し掛ける声が聞こえ、シュタルクは男の両腕を背中に回してきつく掴んだまま、後ろに振り返った。
「あの、助けていただきありがとうございました。オレまだこの街来たばかりで、その、突然その男の人にバッグ取られちゃって。ホントに助かりました。ありがとうございました!」
男と同じくスーツを着た少年。お礼を言う彼を見てシュタルクは瞠目した。
まさか。そんな言葉がシュタルクの脳内を埋め尽くす。
陽を受けて輝く白銀の髪、透き通るほどに蒼い双眸。
「お前まさか……」
漏れ出た言葉に、少年は下げていた頭を上げてシュタルクの顔を捉える。彼の瞳孔が一気に拡張したのが分かった。
「もしかして……シュタルク?」
やっぱりそうだ。こいつはおよそ三年も会っていない、この世界で唯一のドラゴン使い。
「え、まさかリント!? お前どうしてこんな所にいんだよ!?」
「やっぱりシュタルクだ! 制服着てるし、ちょっと雰囲気変わったから分からなかったよ! なんかよく分からないけど、シュタルクカッコよくなったね! 大人になったって感じ!」
「よく分からないってなんだよ。自分じゃどう変わったかなんて分かんねーけどな。……で、お前なんたってこんな所に?」
「実はね――」
リントは勢いよく話そうとしたが、自分が訊いたくせにシュタルクがそれを制止した。まだ男を拘束したままだということを思い出したのだ。
街には守衛官が溢れている。彼らは街を監視し、安全を守る責務がある。辺りを見回せば大抵一人くらいいるものだ。
シュタルクは少し先の十字路に出て、左右を交互に見て標的を発見。たまたまその場にいた濃紺の制服を着る守衛官に男の身柄を引き渡した。この後、守衛官は監察所へ男を連れて行く。
守衛官は民の安全を守るという責務を与えられ、監察官は悪を排除するという責務を与えられている。
シュタルクに声をかけられた守衛官は、A級監察官を前にして初めは相当驚いている様子だったが、すぐに敬礼して男を連れて監察所へと向かって行った。しかし、内心ではきっと首を傾げていたことだろう。罪人を監察所へ連れて行った後は監察の仕事なのだから、それくらい監察官がやってくれてもいいのに、と。
「これでよしっと。悪い、待たせたな」
シュタルクはそう言ってから、一番近いカフェにリントを案内した。