079
「ようやく魔力が安定してきたな……」
ベルーナは青白く浮かび上がる魔法円を眺めながら、微笑を漏らした。一時はケースの中で奇声を発していたリントも今では一言も発しない。だが、まだ魔力が魔法円に供給されているところを見ると、息を引き取ったわけではないようだ。
ベルーナは脇に置いてあった保冷バッグに手を伸ばす。チャックを開けて中を覗くと、そこには過去犠牲となった者たちの遺伝情報が詰まっていた。
ベルーナはその中から一つの細長いガラスケースを取り出し、感慨深げにまじまじと見つめる。
「やっとここまで来られた……」
あとは術が発動しているうちに、これらの血液を投げ入れれば蘇るはずである。
ようやく今までの苦労が報われる。そう思うと嬉しさが込み上げてきて、体の震えが止まらない。
ベルーナは右手に掴んだ遺伝情報を魔法円の中心に投げ込もうと、腕を振り上げた。
「待って!」
左の方から聞こえてきた声にベルーナの手が止まった。眉根を寄せ、表情を歪めてそちらに目を向ける。
「お前は確か……監察官長のアリア=リズリード……?」
「あたしの名前を憶えてくれてるなんて超光栄」
アリアがどうでもよさそうに吐き捨てる。この現状に苛立っているのだろう。
背後にはシュタルクが控えていて、セフュはルカの傍についていた。
アリアがここへ来ているということは、ゴルゴンゾーラは足止めできなかったということか。
ベルーナは軽く溜息をついたが、最早そんなことはどうでも良かった。彼らは一足遅かった。
「傘も差さずにいると、折角の自前の服が泥に塗れるぞ」
「心配ご無用。あたし、そんなことをいちいち気にするような小さな女じゃないから!」
ベルーナの冷笑を意にも介さず、アリアは右手に嵌るホワイトシルバーの指輪を素早く前に差し出した。指輪はその段階で既に黄金に輝いている。
「放出×三重!」
アリアの手から激しい稲妻が迸る。それは一直線にベルーナに向かうが、彼女は構える様子すらない。眉根を寄せたアリアは、すぐにその理由を察した。ほぼ同時に、それが証明される。
電気の刃はベルーナに届く前に、見えない壁のようなものに弾かれて消えたのだ。空気中にバチバチと黄色い欠片が線を描く。
「なるほどね。永遠を条件に加え、更に強度も増してるってわけか。意外とやるじゃん」
そう呟き、アリアは更に唱えた。
「放出×七重!」
今度は青白く光ったリングから無数の氷の刃がベルーナ目がけて突進する。だが、それも彼女に届く前に粉々に砕け散った。バリンバキバキッという派手な粉砕音を残し、辺り一帯が白い霧のような冷気に包まれる。
「チッ」
白い霧が晴れてきたところで無傷のベルーナを見据え、アリアは甚だ悔しそうに歯噛みする。
アリスペルの強度は七重まで。それで倒せないとなると、ベルーナの周りに設置された結界は、同等の七重ということを意味する。
最強の矛と盾。どちらが勝つかは、誰にも分からない。アリスペルにもまだ解明されていない、不確かな要素は沢山ある。唱えるとき、どれだけの意思の強さを持っていたのか。そんな不確かな要素さえも強度には影響しているのかもしれない。
悔しそうな表情をするアリアを守られた空間の中で楽しそうに眺めるベルーナ。抱腹絶倒せんばかりに嘲笑する。
「これが監察トップの天才!? 聞いて呆れるな!!」
アリアはきつく拳を握りしめた。それから大きく一度深呼吸。
「あまりこれは使いたくなかったんだけど」
アリアは小さくそう呟くと、背中に手を伸ばした。常に背負っている、彼女の身長ほどもある斧。鎌のように刃先が曲線を描き、幅広で、青白く光る。それを引き抜き、一回転させながら地面に突き立てた。大地がざわつき、震撼しているような揺れが湧き起こる。
ベルーナの嗤いはそこで途切れ、斧を忌々しげに睨んだ。同時に眉を顰め、明らかに警戒している。
「〝演算魔法無効化〟……」
ぽつりと零れ落ちた言葉に、アリアはふっと口角を上げる。
「アタリ」
アリアは柄の長い斧を片手で持ち、尖った先端をベルーナへ向けた。
「別に珍しいものじゃないでしょ」
アリアの斧がぽうっとエメラルドに光る。演算を開始したのだ。彼女は斧を天高く持ち上げる。
しかし、ベルーナが余裕の笑みを崩す様子はない。
「〝演算魔法無効化〟は対象に物理的攻撃を与えることで無効化する。お前がここに到着する前に叩けばいい。簡単なことだろう?」
だが、アリアは可笑しさを押し殺すように呟く。
「さあどうかな」
にやりと笑ってから、彼女はトリガーワードを口にする。
「〝大地の精霊〟」
エメラルドの斧がドサリと地面に突き刺さる。風が渦のように巻く。大地は割れるような亀裂を中心に高さ三メートルほどの隆起を起こし、一瞬にしてベルーナの結界まで到達。大地が怒りを体現したかのようにゴゴゴゴという唸りを上げる。鋭く立ち上がった大地は結界を突き刺し、破壊する。ベルーナの作った空間を、大地の隆起という物理攻撃によって破ったのだ。