075
リントは走って家への道を辿る。頭の上にちょこんとシルファが乗っていたが、ドラゴンを使うわけにはいかなかった。よほどのことが無い限り、今この島でドラゴンで飛び立つことは禁止されていた。シルドラ族の知らない技術でこの島を監視でもされていたら、大きな体のドラゴンはあまりにも目立ちすぎるかららしい。
息せき切らしてようやく家の前まで辿り着き、一目散に家の横に回った。バウンが綱で繋がれている。
バウンは主人が帰ってきたことに嬉しそうに一吠えし、尻尾を左右に振った。リントは頭を一撫でして、素早くリードを外す。
「バウン、行くよ!」
そう言って、再び南西部への道を走り始めた。利口なバウンも横で走る。牧草地の羊たちのことも心配だったが、さすがに全部を連れて行くには時間がかかり過ぎる。食料は牧草だし、雨が降れば水もなんとかなるだろうと自分を納得させる。羊たちも家族だと思っていたリントにとっては、苦渋の決断だった。
リントの家は北東部に位置する。南西部の広原は家と正反対の場所だ。だからきっとリントたちに声がかかったのが最後だったのだろう。
口の中が乾燥し、喉の奥が痛い。苦しくて走る足を今すぐにでも止めて座り込みたい。だがそんなことはできない。
空から雨がぽつりぽつりと降り始めた。地面が濡れてきて、靴が徐々に泥に塗れる。
「!?」
そんな時だった。雨の音に混じって、耳を塞ぎたくなるあの不快音が空気を震わせている。しかも今回は今までに覚えがないくらい大きい。
顔を強張らせ、それでも必死に走る。足元は泥跳ねがひどく、髪も服もびっしょりと濡れていた。徐々に風も強くなる。
南西部まではあと二キロほどだった。そこまで一直線に直走っていると、突然青色の光が空に浮き上がった。アクアマリンのような、透き通った色をしていた。何かと思って目を凝らすと、空に巨大な魔法円が形成されてる。
何あれ……。
その魔法円の中心に同じく青色の光で長方形の扉のようなシルエットが浮かび上がり、中央の線が重々しく手前に開いた。
あれに近づけば近づくほど風の威力が増している。まるであの魔法円を中心に渦を巻いているような、術者以外誰も近づけんとせんばかりだ。
ゲートの向こうに人を乗せたドラゴンが次々と入って行く。彼らはゲートの向こうの紺色の何もない空間で待機している。〝時空移動〟はゲートの向こうへ行けばすぐに転移されるのではなく、閉まってから行われるのかもしれない。
しかし、あれだけ目立っていては敵に攻撃されそうなものだが、こちらに鋼鉄の鳥がやって来る気配はない。
不思議に思い、リントは振り返って空を見やる。そして絶句し、茫然と立ち尽くした。呼吸するのも忘れ、上空に広がる光景をただ眺めた。
見たこともなかった。紫色の澄んだ瞳をした巨大なドラゴン。通常のドラゴンの二倍の大きさはある。その背には誰も乗っていない。吐く息も、ドラゴンが通常繰り出せないと思われる自然操作能力も、威力が桁外れに強い。更に目にも留まらぬ速さで飛び回る様は、素晴らしいという感想を通り越して恐怖だった。ドラゴンという生物をよく知っているリントだからこそ、その光景はあまりにも異形に映った。
紫の瞳の巨大ドラゴンは、島から少し離れた上空で、押し寄せる鋼鉄の鳥たちを駆逐していた。一匹たりとも島には近づかせまいとするように。倒しては次が現れるが、ドラゴンは徐々に島から遠ざかり、敵軍の大陸の方へ向かっていた。
「白き神の使いよ、汝真の姿を我に示せ」
リントはシルファにそう命じ、背中にバウンを乗せる。リントも跨り、空に浮かぶ扉へと飛び立った。よく解らないが、巨大ドラゴンが足止めしてくれている今、シルファに乗っても攻撃されることはないだろうと思ったのだ。
シルファの首元を掴み、ゲートへと一直線に向かう。向こう側には母親もパン屋のおばさんもいた。両手を口元に当て、何やら大声で叫んでいる。
あと一キロというところだった。急にシルファが迂回したのだ。振り落とされそうになりながら左手でシルファの首を掴み、右手でバウンの脚を押さえる。そのすぐ左をオレンジ色の光線が駆け抜ける。
「!?」
首を捻って後ろを見ると、そこには鋼鉄の鳥が一体近づいて来ていた。全く気づかなかったことにリントは困惑し、焦った。雨の音もうるさいが、きっと巨大ドラゴンが対処している敵の数が多すぎて、そちらの音にばかり気を取られていたせいだ。
リントは歯噛みし、絶えず光線を放ち続ける機体から逃れ続けた。迂回、旋回、急上昇、急降下。バウンの体に覆い被さるようにして包みながらシルファに掴まり、なるべくゲートから遠ざかる。光線を放たれてゲートが破壊されては元も子もないと思ったのだ。
なんとかして機体の後方に回り、攻撃したいのだが、光線はある程度発射角度をつけることができるようで、なかなか反撃のチャンスを与えてくれない。一度も実戦経験がないリントが簡単に相手できるような敵ではないのだ。