073
敵が攻めてきてから初めて帰る家。
「ただいま」
レスカが扉を開けると、いつもより蝋燭の明かりが減った部屋でリントが本を読んでいた。最愛の妻は暖炉の近くで編み物をしている。今までと変わらない二人にレスカは人知れず安心する。
「お父さん、おかえりなさい!」
リントは父親との久々の対面に、走って行って足元に抱き着く。するとレスカは、いつもと変わらぬ大きく温かい手でリントの頭を優しく撫でた。
「いい子だな、リント。また本を読んでいたのか?」
「うん! だって沢山本を読めば、生きる知恵もお母さんを守る知恵も得られるってお父さんが言ったから!」
「そうか」
くしゃくしゃとリントの柔らかい髪を撫で回し、レスカは自席に着いた。外は冷えるでしょう? と言って妻がスープを用意する。それに対し、ありがとう、と微笑むレスカ。こういうささやかな日常がとても幸せなことなのだと、思わずにはいられない。
「なあリント、折角久々に帰ってきたし、今日は父さんが本を読んでやろうか」
「え、いいの!?」
「ああ、勿論だ」
レスカはリントを自分の膝に乗せ、本をリントの前で開く。そして読み始めた。
なぜこのような幸せが長続きしないのか。神は我々を見放したというのか……?
リントに物語を語りながら、レスカの心は別の場所にあった。
だが、それはリントも同じだった。折角父親が久しぶりに読み聞かせをしてくれると言うのに、彼の語るストーリーがなぜだか頭に入って来ない。いつもの穏やかな父親に戻っているが、どこか違和感があった。ふとした瞬間に、微かにだが表情に亀裂が入っているような、凄く寂しそうな様子が顔を覗かせるのだ。
「もう眠くなっちゃった」
「そうか。じゃあ今日はここまでにするか」
そう言って本を閉じるレスカ。リントが自分の部屋に行ってベッドに横になると、レスカが柔らかな笑みを浮かべた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
リントは瞳を閉じた。だがどうしても気になって、三十秒ほど経ってから瞼を持ち上げた。するとレスカはまだ横にいて、リントを愛おしそうに見つめていた。
「もしかして起こしちゃったか?」
「ううん、大丈夫。……ねえ、お父さん」
「なんだい?」
「オレね、お父さんのこと大好きだよ。将来はお父さんみたいに町のみんなが尊敬するような人間になって、お母さんも守って、それでドラゴンたちと楽しく暮らしていくんだ」
レスカは驚いた。なぜこの子は、今日というタイミングでそんなことを言うのだろうか。
リントにも正確なところは解らなかった。なぜ自分がそんなことを口走ったのか。しかしなんとなく、言いたいような、言っておかないと後悔しそうな、そんな衝動に駆られたのだ。
レスカはふっと柔和な笑みを浮かべ、リントの頭を優しく撫でる。
「ありがとう、リント。リントならきっとなれる。お父さんよりももっとすごい人間に。きっと強くなってお母さんを助けてあげるんだぞ」
リントは力強く頷いて、今度こそ眠りについた。瞳を閉じる直前、父親の両目が薄らと濡れているように見えたのは気のせいか。
リントが再び目を開けたとき、既に父親は家を出て行った後だった。