072
ドラゴンの背中に乗りながら隊員たちは、神から与えられたとされる魔力を使い、竜巻を引き起こしたり、分厚い雲の向こうの磁力を刺激して落雷を引き寄せたりしていた。だがそれでも追い付かないほどの数が毎度毎度押し寄せる。
「――引く」
そう口にしたのは、司令官を務めるレスカだった。三人しかいない本部の中で、グレンもライラも息を呑む。
「ちょっと待ってよ! 大人しく降参しろって言うの!?」
「そうじゃ! 引くって言ったって、我らにこの島以外に引ける場所などなかろう!」
食ってかからんばかりの勢いに身じろぎ一つすることもなく、レスカは組んだ手を口元に当てる。
「言いたいことはよく解る。でも、このままでは死人は増え、島も乗っ取られてしまうかもしれない」
「じゃがそれは戦っていても同じことじゃろう! むしろ戦っていた方が、もしかしたらまだ勝てる見込みがあるかもしれぬ!」
グレンが息を荒げながら机を叩いて立ち上がる。それを冷静な瞳で見つめるレスカ。
「いや、それじゃ駄目だ。我がシルドラ族が生き残る方法。それはもう、一つしかない」
その言葉が意味するところをいち早く察したのはライラだった。彼女は弱々しく震えた声を出す。
「まさか……、この世界を捨てるって言うの……?」
グレンはライラの台詞に顔を顰め、それからようやく理解したようにレスカに顔を近づける。
「お主まさか、〝時空移動〟をしようとしているのではあるまいな?」
「…………」
唾を飛ばしながら騒ぐグレンに、レスカは押し黙る。それが答えだった。
グレンは諦めたように肩を竦める。
「お前さんだって解っているじゃろ? 〝時空移動〟には大量の魔力が必要になる上に、大きな危険が伴う。いつどんな世界に飛ばされるか分からんのじゃぞ!? それでもどこかの世界にちゃんと転移できればいいが、失敗して時空を彷徨うことになる可能性もある。さすれば、その瞬間に全員の命は消えることになろう」
「解っている。でも、このままでは確実に世界に殺られる。シルドラ族以外の者が結託して我らを倒そうとしているこの世界に。このままここに居座れば、シルドラ族が全滅する未来しか待っていない。それよりも、全員が確実に生き残れる可能性に俺は賭けたい!」
グレンと同じく勢いよく立ち上がったレスカに圧倒され、二人は目を丸くする。レスカの瞳は揺らぐことなく、既に決意を固めたそれだった。グレンは呆れたように吐息を零す。
「……解った。お主の言うその可能性に賭けよう。老い先短い老いぼれの言うことより、若くこれからの未来を担っていくお主の言うことの方が皆も納得してくれるじゃろ」
レスカとグレンがお互いを理解したかのように頷き合う横で、戸惑いの色を浮かべているのはライラだった。
「ちょっと待ってよ! レスカの言うことは解るけど、グレンさんが言った通り〝時空移動〟には大量の魔力が必要になる。それだけ大がかりなものは、集中力も持続しなくては成功しない。今敵軍がこれだけ攻めてきている中で、どうやってそれを成し遂げようって言うのよ!?」
確かに、と唸りながら顎鬚を擦るグレン。だが、その正面で既に結論を導き出していたかのようにレスカは迷うこともなく言い放った。
「俺が囮になる」
「―――――――――――っ!?」
ライラもグレンもレスカの言葉に目を白黒させ、絶句する。この男は突然何を言い出すのだと言わんばかりの奇異なものを見るような目。
「レスカ、あなた解ってるの!? レスカには優しい奥さんも、可愛らしい息子さんもいるのよ!? 彼らを見捨てるって言うの!? それにレスカはこの島を統括できる貴重な人材。それをこんなところで見す見す手放すわけにはいかないわ!」
「そ、そうじゃ! 緊急事態だからといって先走ってはいかん! お主が奴らを食い止めなくても、わしが行く! どうせ長くもないしな」
だが二人の温かい懇願にもレスカは首を縦には振らなかった。
「敵の数は多い。それを一人で食い止める。それがどういう意味か分からないわけじゃないだろう?」
ここでライラもグレンも言葉を失った。二人では攻め込んでくる無数の敵を食い止めることはできない。それはこの島の者であれば、誰もが知っていることだった。
「〝ドラパート〟ね……」
ドラパート。それはレスカしか唱える資格がない大技。自分の精神をドラゴンに乗せ、ドラゴンと一体化して戦う、シルドラ族の中で最高位の術。ドラパートを唱えれば、通常よりドラゴンの体が大きくなり、より強大な威力が発揮できて素早さも上がる。更には、シルドラ族にだけ与えられた特権である自然を操る力までも破壊的な威力で行使することができる。
一見夢のような技だが、それを実現させるためには過酷な条件が必要となる。
ドラゴンの精神と上手く調和が取れ、ドラゴンに支配されないだけの屈強な精神力を持つ者。大量の魔法を放出するが故に、心のバランスを取ることが難しい。それを満たすのが、この島ではレスカしかいない。
そして最大のペナルティは、二度と人間に戻れないことだ。
「家族には言わないでくれ。翌日早朝に〝時空移動〟を行うことを公表し、全員を町の南西部の広原に集める。ライラとグレンは今のうちからそこに魔法円を作成。翌朝には二人を中心に術を発動できる人員を確保し、異世界に飛び立つ。いいな?」
ライラとグレンは苦々しい表情を突き合わせたが、二人とも渋々頷いた。それに安堵し、レスカは戦争が始まる前の柔和な微笑みを向ける。
「今日は最後の夜になるだろうから、家に一度帰らせてもらうよ」
そう言って本部から出て行ったレスカの背中を、ライラもグレンも胸が張り裂けそうな思いで見送った。