065
「目の前に俺とそっくりな奴が現れて……それで俺、怖くなってそいつを……!」
アリアもエルクリフも啜り泣く彼を怪訝そうに見つめている。
レノは口を僅かに開け、そのまま静止していた。
今目の前にいるアドラは、オリジナルか、クローンか。
調べる方法ならあるはずだった。遺伝情報が全く同じでも指紋は異なる。クローンのアドラの指紋も採取していた。だが、その情報は彼が研究所を逃げ出すときに持ち去ったと聞いている。おそらく、自分の出生の秘密などを詳しく知りたかったからだろう。ずっと研究室で育ったため、物の置き場所にはかなり詳しかったようだ。
つまり、現状彼がオリジナルかクローンか見極めることは、不可能。
しゃくり上げながら苦しそうにするアドラは、これ以上言葉を紡ぐことはなかった。アリアとエルクリフの視線が自然とレノに集まる。
「どういうことかね?」
エルクリフに訊ねられて、レノは一芝居打つことに決めた。逡巡を装い、ゆっくりと口を開く。飴はとっくになくなり、銜えていたただの棒を口から離した。
「……実はそいつの言う通りなんだ。アドラは自分そっくりのドッペルゲンガーが現れたことによって、ユニークであるはずの自分の存在を守らなくては、という指令が咄嗟に働き、相手を殺した。それが真実なのかどうか、ドッペルゲンガーは本当に存在するのか、それを検証するために彼に話を聞きたかったんだ。さすがに服役しているときにまで押しかけるつもりはなかったから、こうやって首を長くして待ってたってわけさ。――ま、オレに決定権はないけど、研究が終わったらアドラは解放されると思うぜ」
「あなた……、なぜ調書にも載っていないようなことを知っているの?」
アリアが眉を顰める。レノは間を空けることもなく即答した。
「アドラが殺人を犯したとき、通報したのはウチの研究所のメンバーだったらしくてな。たまたま現場に居合わせちまったらしい。通報はしたが、怖くなってその場からすぐに立ち去ったそうだ。勿論殺人犯に関わりたくもないから、その話も監察にしなかったってことらしいぜ」
アリアはその虚空話に納得したようだが、エルクリフは不満そうな表情を浮かべていた。
「アリア!」
またもや叫ばれた声に、今度は何事かとアリアが体を捻ると、そこには息を切らせたシュタルクがいた。鬼気迫る彼の様子に、アリアは片眉を吊り上げる。
「街が! 街がなんか破壊されてる!!」
「なんかって何!!」
「知るか!」
興奮気味のシュタルクから話を聞きながら、アリアはその場から離れていく。三メートルほど進んだくらいで一度振り返り、彼女はレノに視線を合わせる。
「アドラの身柄は一旦監察で引き取ります。その後あなたの研究室へ戻すかどうかは、そのとき検討します。取り敢えず、今はアドラと一緒にそこにいて下さい。すぐに違う監察官を寄こしますから。それとエルクリフさん、ありがとうございました。あなたは一先ず結構です。お話をお伺いする際にご連絡致します」
それからアリアが振り返ることはなかった。シュタルクと一緒に出口へ駆けって行く。
「それでは私も失礼させてもらおうかな」
一通りの話が終わり、エルクリフも〝開かずの扉〟から足早に犯罪者収容所へ戻って行った。
今この場にはレノとアドラしかいない。手錠されたままのアドラは、座り込んで俯いている。
「お前……」
レノはそんなアドラに目をやりながら、一度唾を呑み込み、緊張の面持ちで訊ねた。
「オリジナルなのか……?」
するとアドラはその言葉に反応するように、微かに顔を上げ、そのままレノを見据えた。
「オリジナルに決まってるじゃないですか」
「―――――――――――!?」
レノは背筋が凍るような戦慄を味わった。刹那、断言するアドラの口元には、薄らと笑みのようなものが浮かんでいるように映ったから。だが瞬きした後、アドラは震える体躯を両手で押さえ、悲愴に満ちた瞳でレノを見上げていた。
「お待たせしました!」
アリアが言っていた別の監察官が走ってやって来た。彼はアドラの横に付き、背中と腕に手をやりながら、その場から離れる。
徐々にアドラの背中が小さくなる。レノはそれをぼんやりと眺めていた。さっき一瞬だけアドラが嗤っているように見えたのは幻覚か。
突き当りの角に差し掛かる頃、一度アドラが停止した。隣の監察官もそれに合わせて立ち止まる。
不思議に思っていると、アドラが体を捻らせ、レノを視界に捉えた。
「それでは、また」
アドラの姿はその言葉を最後にレノの視界から消えた。