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シュタルクが二人を連行する。徐々に遠ざかる背中を一瞥し、アリアはレノに目を向ける。
「で、あなたは? なぜここにいるの?」
レノは逡巡する。実はアドラはクローンだから回収しに来ました、なんて言えるわけがない。この世にクローンは一体も存在しないことになっているのだから。
どう答えようかと考えあぐねていると、エルクリフがレノの代わりに口を開く。
「君はアドラを引き取りに来た研究官だね?」
レノが首肯すると、エルクリフはアドラの手錠をそのままに彼を引き渡した。
「アドラは確かに渡したよ。――だけどね」
エルクリフの瞳が細くなる。ただならぬその雰囲気にレノは思わず唾を呑み込む。
「脱走した囚人が研究所に必要な理由を聞かせてくれるかな? 君たちが彼を使用して人体実験をしないとも限らないのでね」
レノは唇を噛む。第一研究所が人体実験を行っている容疑がかかっている以上、この質問に答えないわけにはいかない。監察が納得しないだろう。事実、アリアが剣呑とした顔でレノを見つめている。
「じ、人体実験!? 俺で!? じょ、冗談じゃない! 早くここから出してくれ!!」
アドラが急に暴れ始め、エルクリフがそれを必死に抑えながら彼を諭す。
「人体実験は行われない。もう終わったんだ。監察がそのことを突き止めてくれたんだ。だから君はもう安全だ」
安定的な低い声がアドラにかかり、彼は力を失ったように静かにその場に崩れ去った。瞳からは止め処なく涙が溢れ出す。
「……俺、自分がここに連れて来られた理由……なんとなく解るんだ……」
唐突にアドラが告白を始める。
レノはマズいと思った。アドラがここで真実を話してしまえば、クローン研究が成功していたことが世に広まってしまう。
ガザリー研究室がクローン研究の成功を隠していた理由。それはまだ実験途中だったから、ということもあるが、大きい理由はもっと別にあった。
クローン人間の人権。今はマウスが実験に多用されているが、それに取って代わる可能性が高いという推測が立った。人間と同じ機能を持つクローンを実験に使用することで、より精度の高い研究が可能になるからだ。
クローン研究は進んでいる。あと少しで成人まで一気に加速成長させられる培養器が開発される見込みだ。そうなれば、クローンの人権が無視される可能性はかなり高い。
クローンにも普通の人間と同じように人格が備わっている。クローンを実際に作ってみて初めて意識、実感したことだ。だからこそ、ガザリー研究室のメンバーたちはそんなクローンたちが実験に使用されることに抵抗を感じ、一先ずクローン実験の成功を隠すことに決めた。そして、クローンは誕生したが死亡したというデマが世の中を駆け巡ったのだ。
まだフロンテリアではクローン人間に対する法整備が整っていない。クローンが生まれたという事実で、法務省では法改正の検討が行われたが、未だその方向性は固まっておらず、発布には時間がかかると思われる。
レノは焦って、咄嗟にアドラの口を塞ごうとした。だが次のアドラの言葉を耳にして、思わずレノは動きを止めた。
「俺が四年前、ドッペルゲンガーを殺したからなんだろ……!」
アドラは震え泣きながら、体躯を縮めている。レノには彼の言っている意味が解らない。
ドッペルゲンガー……? なんでこいつはそんな曖昧な言い方をするんだ? クローンであるアドラ=ドラスキーはオリジナルを殺したと言うはず。もしかしたら、奴は自分がクローンであるということを認めたくないのか? それとも、オリジナルを殺したことで、自分がオリジナルであるという認識が脳内に植えつけられたのか……?
そこまで考えて、レノはもう一つの可能性に気づいてしまった。瞬間、体が硬直し、その可能性を否定したくなる。だが、それを消し去ることはできない。鼓動が加速し、頬に冷汗が伝う。
まさか四年前殺されたのは、オリジナルではなくてクローンだった……?