057
リントは気づくと透明なケースの中にいた。身動きが思うように取れない。空間的余裕はなく、息苦しい。横になっているのは有難いが、ずっとこのままでは体が辛い。
光の加減でたまに虹色に変色するケースをぼんやりと眺めながら、リントは今自分がどうしてこんな状況に陥っているのかを考え始める。
ケースの外に映るのは、どこか知らない場所。グレー一色の殺風景な部屋。辺りにはフラスコやピペット、何かの実験器具のようなもの以外、何もなかった。一ヶ所だけチカチカと切れかかっている蛍光灯が苛立ちを強める。
確かオレ、ルカと話してたんじゃなかったっけ……?
リントは思い出す。
ルカが訪ねて来て、暫くそこで立ち話をしていると、彼女の仕事の話になった。するとルカが自分の職場である第一研究所に案内してくれると言うので、北区に行ったことのないリントは是非にとお願いした。すぐに戻るつもりだったから、シュタルクに特に置手紙もしなかった。
第一研究所の外観を見学し、その後裏手にある広場のベンチに二人で座った。第一研究所はフロンテリアの最北にあり、裏手は横に長い広場になっていた。幾つかベンチが設置されている。研究官たちは大抵その広場で息抜きをしているのだとルカは教えてくれた。
「喉渇いたでしょ」
広場に設置されていた自動販売機でルカがジュースを奢ってくれ、親切にも蓋まで開けてリントに手渡してくれた。だが、それから暫くして急に激しい眠気に襲われ、柵の先に広がる漆黒の海から聞こえる波の音が遠ざかっていった。
そこで記憶は途切れている。そして目を開けたら、今のこの状況だ。
そこまで整理して、リントは唾を呑み込んだ。
バレッジで共に遊び、共に育った仲間の一人。その彼女がまさか自分を裏切るはずがない。
三年前のあの日、自分たちは確かに誓ったのだ。〝互いを裏切らず、自分の信ずる道を貫く〟と。
じゃあなんでオレ、ルカと話した後にこんなケースに閉じ込められてるんだ? 飲み物を飲んだ後の恐ろしい眠気は? この部屋って研究室っぽくない?
信じたくない現実が最も近くにいる。
徐々に脳がしっかりと活動し始め、そこでリントは遅ればせながら違和感に気づいた。
「シルファ……?」
呟くが応答はない。いつもなら頭や肩の上に乗っていたり、服の胸ポケットがもそもそと動いて顔を覗かせたりするが、そんな様子は一切ない。
自分がここへ運ばれたときに、シルファが抵抗しないわけがない。動きも素早いし、捕まえるのは難しいはず。となれば、シルファはどこかへ逃げたのか。もしくは、運悪く捕獲されてしまったのか……?
どうにも絶望的な思考ばかりが先行し、悔しさで歯噛みする。一体自分が何をしたというのか。
激しい憤りに苛まれていると、カチャンと音がして部屋に誰かが入って来た。その人物を視界に捉え、リントは愕然とする。
「ルカ……?」
細い声がリントの喉を震わせた。鼻の奥がツンとし、瞳から溢れ出そうとする涙を必死で抑える。
彼女の他には二人。メガネを掛けた女と線の細い男。どちらも白衣を着ている。
「目覚めたか」
女の方がリントに話し掛ける。リントはキッと彼女を睨みつけて返す。
「今すぐここから出せ!」
すると彼女は冷笑を浮かべた。
「それはできない相談だな。お前にはこれから働いてもらわなくてはならない。人類の歴史を大きく塗り替える大実験の要としてな」
女は身を翻し、ルカと男に指示を出す。
「ルカ、お前は遺伝情報をクーラーボックスに詰め替えて持って来い。ゴルゴンゾーラは彼の装置の準備を」
二人は頷き、ルカは部屋を出て行った。ゴルゴンゾーラと呼ばれた男は、リントをケースごと荷台に滑らせ、そのケースに接続すると思われる数本の導線も乗せた。
「おい! シルファをどこにやった!?」
リントの叫びに、ゴルゴンゾーラは首を傾げる。
「シルファ……? ああ! もしかして君と一緒にいたドラゴンのこと? その子ならね、ここにはいないよ」
「どこへやった!?」
ゴルゴンゾーラは困った顔で頭を掻く。
「どこへやったも何も……。あんなに小さくてすばしっこい生き物、捕まえる方が難しいよね。ルカちゃんが捕らえ損ねて、どっか行っちゃったよ」
それを聞いてリントはゴルゴンゾーラにバレないように安堵した。シルファは捕まっていない。どうにかシュタルクたちにこのことを伝えてくれればいいけど。
リントはそれだけを願い、準備が整った研究官たちとともに、どこかへ運ばれて行った。